【ぼくらのアメ村エトセトラ vol.3】 いざ、あの不夜城へ。『LOCK STOCK』ヤスさんと巡る「三ツ寺会館」人物図鑑。

アメ村特集の第三弾は、「大阪屈指のアングラスポット」「大阪一ディープな雑居ビル」など数々の異名をとる日宝三ツ寺会館、通称ミッテラ会館へ。1階路面は飲食店、地階から3階には個性あふれるというか癖が強すぎるお店がひしめき合い、さまざまな人種で夜ごと賑わう、まさに「アメ村の不夜城」です。各階の通路にずらりと並ぶドアは、異世界への入り口。ドアの向こうにはどんな世界が広がっているのか、潜入レポートでお届けします。ナビゲーターは、3階にある『LOCK STOCK』のオーナーにして、アメ村歴20余年のヤスさん。最強にして最高の案内人のもと、4つのドアを開けてきました!

開店4か月で前のオーナーが飛んで。500万の外車を買ったと思えばこの店、俺の物になるんやなと思って、25歳で『LOCK STOCK』のオーナーになりました。

まず最初にお邪魔したのはヤスさんのお店『LOCK STOCK』。オーラありすぎるヤスさんとは一体どんな人なのか、ビールを飲みつつ伺いました。

ヤスさんは今日同行しているMARZEL編集チーム・森下とは旧知の仲ということですが、ヤスさんはお店を始められて長いんですか?

ヤス:2001年に始めたから、もう22年になるんかな。最初はここじゃなかったですけどアメ村で、25歳で店を始めて。

すごい、22年も!

ヤス:いやでもね、20年やっててもこの界隈ではまだ中堅なんです。僕らが店始めた当時の諸先輩方がまだ元気なんで。

森下:ヤスくんの最初のお店は、アンダー(ラウンジ)の並びにあったとこ?

ヤス:そうそう。ここより広くて、DJとかもいて。そこで10年ぐらいやってて、それから三ツ寺に移って2月でちょうど13年。

ヤスさんがお店を始めたきっかけは何だったんですか?

ヤス:僕、前職を辞めて貯金がけっこうあったんですよ。それで毎日お酒飲んだりあちこち旅してたら、一年ぐらいで底ついて。知り合いの店とか手伝ったりしてるときに、服屋さんで仲良くしてた人が店をやるってなって、それが『LOCK STOCK』だったんです。僕そこに、オープニングで入って。それが2001年の5月なんですけど、そのオーナーさんが4か月で飛んじゃって。

えー!たった4か月で…。

ヤス:不動産屋さんに聞いたら、オープンして1回も家賃払ってなかったらしくて。そういえば7月頃から、酒屋さんがレジ金だけでもくれって来てたんですよ。結局どこにも何も払ってなかったって話で。もちろんそこで辞めてもよかったんですけど、トータル500万ぐらい必要やったんかな?僕20代前半で500万の外車を買ってたから、ええ車買ったと思えば、この店俺のものになるんやなと思って。それで、2001年の9月に、その店のオーナーになりました。

森下:じゃあ『LOCK STOCK』という名前もヤスくんじゃなくて?

ヤス:前のオーナーさんとかみんなで考えてたときに、映画の『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』おもろいよなって話になって、そこから。あとこれは後付けなんですけど、ロックストックってROCKじゃなくてLOCK、鍵のほうなんですよ。だから、お客さんをロックしてストックしていく、みたいなことも言うたりしてました。

ご自身でお店をやろうと思ったわけではなくて、成り行きみたいな。

ヤス:そうですね。でも僕も当時から刺青も入ってて就職するっていう感じでもなかったし、お酒飲むのも好きやったから、そんな流れで。

ヤスさんは「MADBUNNY」の大阪クルーとして、フジロックにも参加。

ちなみに、外車に乗れるほどの貯金が作れた前職というのは?

ヤス:外資系のモトローラっていう会社に勤めてて。僕は新潟の出身で、当時1995年頃はPHSが全盛やって、新潟から東京まで国道17号線っていうでっかい国道があるんですけど、そこの200メートルごとに基地局があるんですよ。最初はその保守の仕事をしてたんです。それが大阪で、今で言うau、当時の関西セルラーがCDMAを日本で初めて入れるってなって、そのために全国から人が集められたんですよ。で、結婚してる先輩とか誰も行きたがらなくて、19歳やった僕がなんか面白そうやなって大阪に来たんです。

それで大阪に。

ヤス:全国いろんなとこ、出張もよう行ってました。でも新潟の会社が潰れて帰らなあかんようになったんですけど、モトローラの部長さんと仲良くて、面接受けさせてもらって、いつの間にか社員になってて。そしたらもう出張費は出るわ残業代は出るわで。当時は交換機のトラブルで2日間徹夜とかザラでしたから。それでお金いっぱいもらって。

携帯電話が急速に普及し始めた時代ですよね。モトローラの端末、あこがれました。アメ村はその頃からよく来られてたんですか?

ヤス:遊び場でしたね。梅田とかも上司に連れられて行ったりしたけど、楽しいのはアメ村。当時はもうごちゃ混ぜの街で、ロック、ファンク、外国人、ヤクザ、もういろんな人がめちゃくちゃおったから。

新潟から来られて、大阪の印象はどうでした?

ヤス:衝撃的でしたよ。僕ね、最初5月ぐらいに来たんですよ。そしたら、会社の子がええとこ連れてったるって西成に連れてってくれたんです。90年代の西成ってまだ裸のおっちゃんとかそこらへん普通に寝てるし、これが大阪スタンダード?ってびっくりしました。でも大阪は、都会やけどそんな都会くさくない感じがあって、居心地は良かったですね。

それからずっと大阪に?

ヤス:もう大阪のほうが長くなりました。

三ツ寺に移転されたのは、なにか理由があったんですか?

ヤス:前のとこは広かったけど家賃も高かったし、僕が一人でやるならこれぐらいかなって。

森下:前の店、圧倒的に広かったもんね。

ヤス:僕もちょっと疲れてたんでしょうね。もうこの仕事辞めようかなと思ったりもしたんですけど、先輩に相談したら「三ツ寺あるで。3階けっこう空いてるで」って教えてもらって。今は全部埋まってるけど、当時はまだ3階とか全然空いてたから。

森下:当時僕もこのビル飲みに来てたけど、そういや3階までは行かへんかったなあ。今はそうなんや、全部埋まってるんやね。

昔の怖いアメ村も好きやったけどね、あれは若いから面白かったんかな。今はもう毎日揉めごとにハラハラするんも嫌かな(笑)
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