困難を乗り越えて深まった2人の絆。まばゆいほどに輝いて命を燃やす、浪花の女性漫才師・爛々が歩んできた10年。

一度喋り始めるとジェットコースターのような勢いで続いていく、関西人女性ならではのコテコテな掛け合いを武器に、『THE W』をはじめとした賞レースの決勝にも進出してきたお笑いコンビ・爛々。ボケとネタ作りを担う萌々さん(左)と、「チョメ!」が口癖のツッコミ担当・大国麗さん(右)によるコンビです。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで一気に活躍の幅を広げていた2023年8月、大国さんが体調不良による活動休止を発表。悪性リンパ腫と脳炎を併発し、約2年4ヶ月にわたる治療生活を送ることになりました。そして昨年12月、萌々さんの単独ライブに大国さんがサプライズで出演し、待望の舞台復帰。現在も高次脳機能障害と向き合いながら、主催ライブを中心にコンビでの活動を少しずつ再開しています。今回は、結成10周年という節目を迎えた2人にインタビューを実施。子ども時代の思い出からコンビ結成の経緯、活動休止を発表した当時の心境まで、たくさん話を聞いてきました。苦しい時期を乗り越え、より強い絆で結ばれた2人。これからも2人らしい形で、さらに輝きを増していく姿を楽しみにしています。そして萌々さん、ご結婚おめでとうございます!
NSCのトイレでの出会いをきっかけにコンビを結成。デビュー後は、同期の中でも最速で劇場入りするなど、芸人としてのスタートは好調でした。(萌々)

4月24日に開催された爛々の結成10周年記念ライブ『寿々』、会場で観させていただきました。10年間をまとめた年表を元に振り返るトーク、2人が喧嘩してきた記録も詳細にまとめられていてすごく面白かったです。
萌々:詰め込みすぎて時間が足りませんでした。今まで書いてきた日記や爛々のWikipedia、AIを駆使して年表を作ったのですが、私の日記は一時期大国さんの悪口まみれだったりもして(笑)。大国さんは病気の影響で記憶が曖昧な部分もあるので、私目線の記録が多くならないよう、大国さんがムカついていた記憶もちゃんと掘り起こして書かせてもらいました。
ライブの締めくくりには、萌々さんと丸亀じゃんごの安場泰介さんとの結婚発表もあり、大きな話題となりました。改めて、ご結婚おめでとうございます。
萌々:ありがとうございます。会場も盛り上がってくれて良かったです。
まずは、2人の子ども時代の話をお聞きできたらなと。どんな幼少期や学生時代を過ごしてきたんですか?
大国:私は0歳からスイミングスクールに通っていて、バタフライが得意でした。母親のことを“オカポ”って呼んでいたのを覚えています。
“オカポ”(笑)。鳥の名前みたいでかわいいですね。
大国:私が泳いでいる時、オカポが「プールプッ、プールプッ、プールプッ、プールプッ」って手を叩いていました。

萌々:それ泳いでる側は聞こえてへんやろ。
大国:それが聞こえてんねん。
かわいいお母さま。バタフライって泳ぎの中でもハードルが高いイメージがありますが……。
大国:そうですね。でも1番得意やったんです。
萌々:あんた水泳やってた史上、1番肩幅狭いんちゃう?
大国:そんなことないやろ。結構教育に力を入れている家で、英会話教室にも行っていましたね。
萌々:私立やったから地元の友達があんまりいなかったみたいで。おじいちゃんとよく公園に遊びに行ってたみたいですよ。
大国:中高大と女子校に通っていました。今でもずっと連絡を取り合っている仲良しの親友はいるんですけどね。
萌々さんはいかがですか?
萌々:私は三姉妹の真ん中っ子で、1つ上の姉と4つ下の妹がいます。妹が長女のことは“お姉ちゃん”って呼ぶのに、なぜか私だけ呼び捨てにしていて。私のことどう思ってたんやろな。常に自分が周囲から浮いてる感覚があって、子どもの頃は人の輪に溶け込むのがとても苦手でした。小学校の先生にも、「みんなを巻き込んでめちゃくちゃにする、竜巻みたいな子」って言われていて、三者面談のたびにお母さんが怒られていましたね。そんな時に初めて先生が褒めてくれて、人に認めてもらえる喜びを学んで、少し変わることができたんです。
具体的に、どんなことを褒められたんですか?
萌々:今思うとめっちゃフェミニストなんですが、私の小学4年生の頃の夢が“男女差別をなくす”だったんですね。当時の私は、腹が立つことがあれば男女関係なく殴りに行く喧嘩っ早い子で、それで先生たちも手を焼いていたみたいなんです。そんな私を見た岡部先生という先生が、「たぶん自分の思いを上手く伝えられなくて、殴るという行動につながっているんだと思う。この子の中の正義を磨いて、素直なところをもっと伸ばしてあげれば、いいように変わっていくはず」という話を母親にしてくれて。母親はそれを聞いて泣いたみたいです。今でも実家に帰ったらたまに聞かされますね。私が今も変わらず大切にしている愚直さ、真っ直ぐな素直さみたいなものが、子どもの頃は良くない方向に働いて、周囲と上手くいってなかったという記憶があります。
いい先生との出会いがあったと。きっと正義感が強いがゆえの行動だったんでしょうね。
萌々:当時は、正義感が強いからこそ人を傷つけることも多かっただろうなと。自分の“こうしたい”という意思も人一倍強かったので、リーダーシップを取ろうとして周りに疎ましがられたこともありました。その一方で自分の直したい部分、コンプレックスもいっぱいあって、意外とネガティブな子どもだったように思います。中学まではそんな感じでした。

高校に進学してからはいかがでしたか?
萌々:私の地元は喜連瓜破で、結構やんちゃな子が多いエリアなんです。みんな制服がかわいい、チャリで通えるとかの理由で地元の高校を選ぶ子が多かったのですが、このままだとこの世界の中だけで私の人生は終わってしまうんかなってふと怖くなって。1人だけ地元から電車で30分くらいかかる扇町の高校に進学しました。勉強もめっちゃ頑張って、偏差値20くらい上げたんですよ。ジャズをしてる叔父の影響で私も音楽をやりたかったので、吹奏楽とマーチングバンドができる部活に入って、必死に音楽を頑張りました。強豪校で部則も厳しかったので、そこで集団行動も覚えましたね。
すごく人数が多い部活だったそうですね。
萌々:部員が100人ほどいる大規模な部活で。天神橋筋商店街でパレードをしたり老人ホームを訪問して演奏したり、大阪港に着港する大型船のウェルカムコンサートをしたり、色んな経験をさせてもらいました。それを年に100回くらいこなしながら、全国大会にも出場していました。
高校生にしてめちゃくちゃハードですね。
萌々:しかも部活の一環なんで、全部ノーギャラですよ(笑)。ただそこで得られたものは大きかったですね。3年生の時に喧嘩して辞めちゃったけど。
どうして辞めちゃったか聞いてもいいですか?
萌々:強豪校を育ててきた顧問の先生が、私の代が3年生になるタイミングで異動になっちゃって。当時私は幹部のメンバーだったんですが、部活の運営に関する意見がみんなと合わなくて。伝統のある部活だったので、もともとすごくたくさん部則があったんです。みんなはそれを並行移動させようとしていたけど、私は先生もいないし変わらずやっていくのが難しいと思ったから、伝統を変化させつつ大事な部分だけ残していこうと提案したんです。とはいえ、私は他の子ほど真面目な生徒じゃなかったので、周りの信用があまりなかったんですね。それもあって、私が楽をするために部則を減らしたいと言ってるんじゃないのかという話になってしまって。そこで唯一私を信じてくれて、「萌々は間違ってない」と一緒に部活を辞めてくれた子が、後に一緒にNSCに行く初めての相方です。
打ち込んでいた部活を辞めて、芸人を目指すまでにどんなことがあったんですか?
萌々:正直なところ、かなり無理してその高校に入ったので全然勉強について行けなくて、卒業するのがやっとの状況だったんです。大学の勉強をする余裕もないし、これからどうしようって思っていた時、進路指導室の横に『ハイスクールマンザイ』(※)のポスターが貼ってあって。しかも準決勝に進めば、10万円免除でNSCに1年間通えると。それをその子と偶然見つけて、学生として扱ってもらえるなら行ってみたい!と思って、彼女と組んで漫才をやってみることにしたんです。当時から2人ともお笑い担当で、ふざけて漫才みたいなことをして、「あんたらコンビみたいやなぁ」ってよく言われていたんですよね。そこから漫才を始めて、実際に準決勝まで進むことができました。ただ彼女は母子家庭で、家庭を支えるために看護師になるという夢があったので、卒業後はお笑いの道に進む予定ではなかったのですが、やっていくうちに芸人をやりたいという思いが強くなって。お互いの母親を説得しようと4人でお好み焼き屋さんに行って、「芸人になりたいです」と勇気を出して話をしたんです。そしたら「それはならなあかん!!」って言ってくれて、2人でNSCに入って本格的に芸人を目指すことにしました。
(※)ハイスクールマンザイ:高校生のお笑いNo.1を決める決定戦。優勝者はNSCの入学金が免除されるなどの特典がある。

もともとお笑いはお好きだったんですか?
萌々:それが全然見てなくて。うちは有線放送で音楽が流れているような家だったから、テレビより音楽っていう感じでした。NON STYLEさん、やすともさん、中川家さん、ブラマヨさんくらいしか本当に知らなくて。ネタは私が書いていたのですが、「萌々ちゃんそろそろ漫才見て。自力だけでいこうとするのやめて」と大国さんに言われて、芸歴3年目くらいからようやくM-1を見始めました。私は小さい頃からトムとジェリーが1番面白いと思っています。
ザ・関西人なしゃべくり漫才が2人の特長だと思っていたのですが、子どもの頃から好きだったのは、もっと毒っ毛のあるコミカルな笑いだったんですね。
萌々:実は最初、アメコミみたいなコント漫才をしていたんです。劇場に上がったのも「ドライブデート」っていうコント漫才でした。でも私は私、大国さんは大国さんのキャラのままでずっと喋ってるから、コントインして誰かを演じる必要ってあるんかなっていうので、しゃべくり漫才を始めました。
トムとジェリーで参考にしているのは、体がフライパンみたいになったりするシュールでポップなところより、2人が本気で殺し合いする寸前までやり合っているけどずっと見てられるところ。喧嘩はしてるけど、なんやかんやこいつらは仲良しだから大丈夫って見てられるのが漫才やと思っていて。あの関係性が漫才の極限なんじゃないかと感じるんですよね。
大国:お前はジェリーをやれてんのかと、いつもネタ合わせの時に言われていました。
トムとジェリーに漫才を重ねたことがなかったのですごく新鮮です。大国さんはどうしてお笑いを始めたんですか?
大国:私はFUJIWARAさんや2丁拳銃さんが出ていたバラエティ番組『吉本超合金』(テレビ大阪)が大好きで、オカポの兄の家に行けば見せてもらえるので、家に行くのがとっても楽しみでした。その流れで、チュートリアルさんやロザンさんを観にbaseよしもとに通っていたこともありますね。ちなみに、ロザンさんは菅さんのお顔も好きでした。当時から芸人さんへの憧れはありましたね。
芸人になる前はビームスで働いてらっしゃったんですよね。
大国:そうですね。おしゃれが好きだったのでビームスで働いていて、当時は店長にまでなったんですよ。4年ほど働いて自分の中でもうやりきったと感じるようになり、次は何をやってみたいかと考えた時、憧れていたお笑いの世界に入ってみたいなと。FUJIWARAさんくらいまでなって、お笑いで稼いだろっていう思いもありました。
私、ビームス時代のあだ名が鬼軍曹で、レイアウトとかも結構厳しく、「ちゃんとやってよオラァ!」とかって日常的に言ってたんですよね。だから周りには恐れられていました。
萌々:これ本人の耳に入るってやばいですよね。陰でこっそり言ってるはずやのに。でも1番クレームが来てたらしくて、忙しくてレジの対応が悪すぎるっていうので1日2件クレームが入ったらしいですよ。

鬼軍曹はなかなかですね。1人でNSCに入るのは怖くなかったですか?
大国:25、26歳くらいでNSCに入ったんですが、特に躊躇はなかったです。当時の私はすごくミーハーで、ビームスで店長になるまで働いたのは、周りに「すごいやん」って言われたかったから。それと同じで芸人を始めようと思ったのも、みんなにすごいって言ってほしかったからですね。
萌々:入学当初、大国さんは「性格差」という男女コンビを組んでいて、めっちゃ気が弱そうで舎弟になってくれそうなメンズが相方でしたね。ほんでネタもよくわからんかったです。相方をスパイスカレー屋の店長にして、ただただスパイスの名前を叫ばせるっていう狂気的なネタをしていて。意味がわからなかったし、それが逆にウケるとかもなかったです。で、相方さんは飛んじゃいました。鬼軍曹って呼ばれるくらいやから、あんまり上に立ったらあかんタイプなんですよ(笑)。大国さんは同期の女芸人の中でも1番年上だったので、存在感も印象もすごく濃かったですね。
萌々さんは18歳、大国さんは26歳くらいでNSC入学と年齢の差もありますが、出会った当初はお互いのことをどう思ってました?
大国:萌々ちゃんは高校の同級生と「ぴーひゃら」っていうコンビを組んでいて、ちゃんとネタも書けていてすごいなと思っていました。こいつ生意気やなとも思ってましたけど。

お話をする機会はありましたか?
大国:正直あまり交流はなかったですね。
萌々:私も18歳で周りがほとんど年上だったから、絶対にナメられたくなくて。全員敵やと思って、誰とも喋るな、目を合わすなっていうのを元相方と徹底してました。大国さんによく言われるのが、当時私は帽子を深く被っていて、その隙間から見える目が吊り上がって「11」に見えていたっていう話。いつでも攻撃できるぞっていう幼少期の自分が出てたと思います。
私からすると大国さんは、今まで出会ったことのない大人って感じ。26歳の方に申し訳ないですけど、「なんやこのババア」とは思ってました。でも、「萌々ちゃん、ネタ見せ面白かったよ〜」って普通に言ってくれたり誰とでも喋りに行く人やったので、大国さんに対して悪い気はしてなかったです。ただ年上すぎるので、変なヤツやとは思ってましたけど。
距離が一気に縮まった瞬間はありましたか?
萌々:東西の同期と一緒に行く合宿があって、偶然同じ部屋になってガッツリ2人で喋った時に、意外とこの人ちゃんと考えてるし、しっかり会話もできんねやと思って、それまでと印象が変わりましたね。しかも寝起きドッキリの時にまぁまぁえげつないこともされたんですが、嫌な顔もせずキャッキャしてたので、この人は何をやっても大丈夫なんやと思いました。
その寛容さは芸人さんとしてすごい武器ですよね。その後、コンビを結成したきっかけは?
萌々:大国さんが2人目の相方にも飛ばれて、私もそのタイミングで相方が飛んだんです。私の相方には男ができて、「泉南の女になる」って言って去っていっちゃったんですね。いや泉南って近すぎるやろ(笑)。ぴーひゃらはNSCの中間ネタバトルでも1位になっていて、これから頑張ろうとしていた矢先にダメになってしまって、かなりダメージを受けたんです。私はNSCでもトガってたから、話を聞いてもらえる友達も特にいなくて。先生に解散報告に行った後、お母さんに電話して気持ちを落ち着かせようと思ってトイレに入ったんです。そしたらこいつがちょうどクソをしてて。
一同:(笑)
大国:もう萌々ちゃん、チョメ!

萌々:トイレ入るまで泣いたらあかん、トイレまで頑張れって必死に耐えて、個室のドアを開けようとしたら鍵が閉まっていて。ドアをコンコンってしたら大国さんがいて、「萌々ちゃんやな。ちょっと待ってな」って言われて5分くらい待ったんです。たぶん相方が飛んだ話は大国さんも噂で知ってて、「なんか大変そうやなぁ。私も今相方おらんねん」っていう話をドア越しにしていました。そしたらふと、こいつ合宿でも許容範囲広かったし、言ったらなんでもついてくるんちゃうかと思ってきて。「バーキン(バーガーキング)でちょっと茶しばこか」って誘ったらOKしてくれて、洗ってない手で握手して、そのままお茶に行った流れでコンビを結成しました。
トイレでの出会いが結成のきっかけだったんですね(笑)
萌々:その2ヶ月後にNSCの大ライブを控えていて、それがお客さんの前でやる初めての漫才でした。誰も私たちのこと知らんから、周りは何やこいつらってなってたんですが、ダークホース的な感じで準優勝することができました。
結成2ヶ月で準優勝、めっちゃカッコいいですね。当時から黒の衣装だったんですか?
萌々:黒でしたね。組みたての頃、お互いのことを何も知らなかったので、好きな色とか食べ物とかとりあえずいっぱい聞いたんです。そしたら大国さんが「黒が好き」って言ってて、なんで好きなんか聞いたら、「何者にも染まらないから」やと。当時はカッケェってなったけど、たぶん誰かの受け売りやと思います。でもそれがあったから、私らの衣装は黒でいこうと。揃いの衣装で色違いっていう女芸人が多かったけど、私たちは変えてもええんちゃうかって。最初は全身真っ黒なんてポップじゃなさすぎるし、お前ら人を笑かす気あるんかって言われたこともあったけど、“爛々”っていう言葉も周りが恐怖を感じるほどに光り輝く、みたいな意味があって。だから逆に黒がいいって思ったんです。
芸人としてデビューして、劇場メンバーになるまでもすごく早かったんですよね。
萌々:2回目のオーディションライブで劇場入りして、同期の中では最速でした。あの8.6秒バズーカーさんくらいの速さで、最初の勢いだけは本当にすごかったですね。
大国:でも最初だけやってんな。
萌々:そやねん、そこから地獄を見るねん。しばらくは劇場の入れ替え戦にめちゃくちゃ出場して、ギリギリの当落線上を行ったり来たりしていました。毎回劇場メンバーが出演するバトルライブで下位を取って、チャレンジバトルっていうオーディションメンバーとの入れ替え戦でギリギリ残って、また劇場のバトルライブで下位になって……。芸人がよく“生き地獄”と言っているやつです。大国さんは記憶が曖昧なことも多いけど、この時期のことはしんどかったからよく覚えているみたいです。

その頃の2人の仲はどうでした?
萌々:ぶっちゃけ悪くなかったですよ。この時期は2人とも必死やったので、力を合わせて戦っている感じでした。
よく周りの芸人さんのトークの中で、お2人が楽屋でよく激しい喧嘩をしていたと聞きます。
萌々:「お前ほんまあほやな!」「お前がな!」とかですよね。
大国:「お前がな」「いやお前がな」ってずっと続いていくやつ。
萌々:あれはもうちょっと先ですね。劇場メンバーにも定着してある意味落ち着いてきて、より良くするにはどうしたらいいんやろって考え始めた時に倦怠期みたいな時期があって、相方の鼻息にさえムカつくみたいな(笑)。たぶん誰もが通ってきた道ではあると思います。私たちはそれがちょっと激しかったんでしょうね。
苦しい時期を乗り越えて、コンビとしての活動が上向きになったターニングポイントはいつですか?
萌々: 2021年に初めて『NHK上方漫才コンテスト』の本戦に出場して、翔グランプリでも上位20位くらい、調子がいいと10位以内に入れるようになってきたんですね。漫才のスタイルも少しずつ固まってきて、ネタもやりやすくなりました。その後、2022年に『THE W』の決勝に出場して、そのあたりから少しずつ賞レースで結果が出たりテレビに呼ばれることが増えてきました。『ウチのガヤがすみません!』、『上田と女が吠える夜』(共に日本テレビ)、『週刊さんまとマツコ』(TBS)など、バラエティ番組にも結構出させてもらいました。

爛々
共にNSC大阪校38期。1997年生まれ、大阪府出身の萌々(左)と、1990年生まれ、京都府出身の大国麗(右)によるコンビ。NSC時代にコンビ解散のタイミングが重なり、2017年に結成。デビュー後、同期の中でも最速で劇場入りを果たし、2022年『女芸人No.1決定戦 THE W』で決勝進出。2023年『第53回 NHK上方漫才コンテスト』準優勝。同年8月、芸歴7年目以下のよしもと漫才劇場の翔メンバーが総出演する『Kakeru翔GP』にて初優勝するが、同月、大国の体調不良による活動休止を発表。その後、萌々は漫談などをしながらピンで活動し、大国は治療に専念。2025年12月に開催された萌々の単独ライブ『麗々』に大国がサプライズで登場し、約2年4か月ぶりに舞台復帰を果たす。現在は、主催ライブを中心に少しずつ2人で舞台に立っている。
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