【私的録-MY PRIVATE SIDE】 “妖怪のなんでも屋”こと河野隼也さんと、この世とあの世のあわいをめぐる京都散策。


妖怪百鬼夜行の始まりから今日まで、一条通とともに歩んできた軌跡。

到着したのは、河野さんが主宰する妖怪藝術団体『百妖箱』のお店にもほど近い、イタリア料理店『イルピアット』。百鬼夜行が通ったとされる一条通を眺めながら、イタリアンをいただきました。

河野さんがこのエリアと関わり始めたのは2005年。大将軍商店街が妖怪仮装行列『一条百鬼夜行』を企画した際、学生だった河野さんは妖怪の面などの造形を手がけるとともに、イベントの実現に向けて奔走しました。この『一条百鬼夜行』の成功をきっかけに、河野さんのもとには全国からさまざまな妖怪企画の依頼が持ち込まれるように。その依頼を受けるために『百妖箱』を立ち上げ、拠点を構えました。

「ある有名なアーティストさんから、コンサートに妖怪を何体か用意してほしいという依頼が来たり。あと、サスペンスドラマで知られる俳優さんがロケに来たこともありました。寒い屋外で待機してる妖怪一人ひとりに握手をして声をかけてくれて。すごくいい人でしたね」

『百妖箱』やアトリエの近くにはおいしいお店が多く、食事には事欠かないという河野さん。『イルピアット』は作業の合間などに、『百妖箱』の副代表でもある奥様ともよくランチに来られるそうです。ふだんは奥様が料理をされますが、この夏は少し勝手が違ったそうで、「僕がごはんを作って待ってる日もありました」

7月から8月にかけて開催された京都・太秦映画村の「YOKAI BON DANCE NIGHT -妖怪たちの夜あそび-」を、『百妖箱』が監修・企画制作。その現場を担当していたのが奥様でした。「土日だけじゃなくて平日もあったので、僕が晩ごはん担当で。白菜とお揚げを炊いたりとか、おばあちゃんのごはんみたいな献立をよく作ってました」

il PiAtto 紙屋川
Instagram:@ilpiatto

料理をする機会は、コロナ禍にも多くあったそう。「当時はイベントも何もないし、子供が生まれたばかりで、奥さんが実家に帰っていて一人だったんですよ。大学の仕事が終わってもせいぜい16時とか17時。家に帰ってもすることがなくて、料理をして、19時ぐらいには寝てました」。暇を持て余していたその時期に、出演するようになったのが怪談ライブ。「当時は飛沫とかの問題で、音楽のライブができなくなったじゃないですか。マイク1本でボソボソしゃべる怪談ライブはちょうど良かったんです。それで、YouTubeやclubhouseなどで怪談を語っていた人がどんどんライブに出るようになって」

河野さんも誘われて何度かライブに出演したところ、「思ってたより、意外と喋れたんですよ」。そこから依頼が続々と舞い込むようになり、現在も声がかかれば、時折出演されています。

そんな河野さんが食事中に語ってくれたいくつかの怪談話が、それはもう本当に怖かった!!さらりと雑談の流れで聞いていたら、背筋が凍りました。ぜひぜひ怪談ライブの機会があれば、足を運んでみてください。

百鬼夜行のその先へ、広がり続ける妖怪文化とこれから。
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Profile

河野 隼也

1982年、京都市伏見区生まれ。妖怪文化研究家、妖怪造形家、百鬼夜行クリエイター。妖怪芸術団体「百妖箱」主宰。水木しげるの幼少期を描いたドラマ『のんのんばあとオレ』をきっかけに、妖怪の世界に魅了される。大学では妖怪を観光資源とした町おこし企画などを研究。観光×妖怪を軸に、京都を拠点に国内外で妖怪をテーマにしたイベントの企画や創作活動を展開。「一条百鬼夜行」「モノノケ市」「嵐電妖怪電車」「三井寺妖怪ナイト」「伏見妖怪酒祭」「怪々YOKAI祭」など、数多くの妖怪イベントを手がけるほか、テレビ番組『妖怪とあそぶ』にレギュラー出演。著書に『きみのとなりにいるリアル妖怪図鑑』(西東社)などがある。

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