【私的録-MY PRIVATE SIDE】 “妖怪のなんでも屋”こと河野隼也さんと、この世とあの世のあわいをめぐる京都散策。
数々の怪異や伝承を秘めながら、街中にとけこむ一条戻橋。

日も傾いてきた頃、次に向かったのは堀川にかかる一条戻橋。平安京の時代からずっと同じ場所にあるとされる歴史の古い橋ですが、ここも“あの世とこの世をつなぐ場所”として有名です。そもそも、なぜ戻橋と呼ばれるのでしょうか。河野さんがその由来を教えてくれました。
「三善清行という人が亡くなって、それを知った息子が修行先の熊野から急いで帰ってきたときに、ちょうど棺がこの橋の上を渡っていて。息子が棺に取りすがって泣きながらお祈りしたら、お父さんが一時的に生き返ったんですよ。それで、親子で最後の対面を果たすことができたんです」

また、平安時代の陰陽師・安倍晴明の伝承も残っています。晴明は使役していた式神(使い魔のような存在)を、普段はこの橋の下に潜ませていたそう。「晴明の奥さんが式神を屋敷に置くのを嫌がるから、用事のある時だけ呼んでたそうです。かわいそうですよね(笑)。あと、この橋は京の外から人がやってくる時に通る道でもあったので、情報収集の意味もあったと思います」。近くにある晴明神社とセットで訪れる人も多く、陰陽師ブームの際や、フィギュアスケートの羽生結弦選手が晴明をモチーフにしたプログラムを滑った時期には、多くのファンが参拝に訪れたそうです。

ちなみに河野さんの名前は、晴明神社で名付けてもらったもの。「晴明神社の“せいめい”は姓名やと思ってたほど、晴明神社は名付けで有名なんです」

ほかにも、武将の渡辺綱(わたなべのつな)が橋の上で出会った美女を馬に乗せたら、突然鬼に変身して愛宕山へ連れ去られそうになり、とっさにその腕を切り落とした……という伝説も残っています。今でこそ遊歩道が綺麗に整備されていますが、以前は照明もなく真っ暗。「いろんな場所でフィールドワークをしましたが、夜の一条戻橋がいちばん怖かったです」
数々の怪異や伝承が残る橋ですが、現在は近隣の人々が自転車で行き交い、すっかり生活道路として地域に溶け込んでいます。現在の一条戻橋の向こうには税務署。この橋を渡れば、納めた税金が戻ってくる―かどうかはわかりません。

さて異界めぐりで疲れた体を癒そうと、河野さんの同級生が営むクレープ店『mantis』に向かおうとしたのですが、残念ながらこの日はお休み。というわけで、一条通にある河野さんおすすめのイタリア料理屋さんへ車で向かうことになりました。
その道中で話題になったのは、鵺(ぬえ)。「鵺は猿の顔、狸の胴体、前後の肢は虎、尾は蛇という、いろんな動物が合体したような妖怪なんですけど、平家物語では夜ごと内裏で不気味な鳴き声を出して天皇を病ませたので、源頼政によって退治されるんです。その矢じりの血を洗った池というのがこの近くにあって、鵺が祟らないようにまつっている神社もあります」。鵺の鳴き声はトラツグミがモデルだとされていて、河野さん自身も今年4月ごろ、アトリエでその鳴き声を耳にしたそう。
「弱いブルース・リーみたいな鳴き声なんですけど、それが朝4時ぐらいにすぐ近くで聞こえるんですよ。山とか動物園とかなら別に不思議じゃないんですけど、住宅地で聞くとめっちゃ怖くて。御所の内裏という、いるはずのない場所で鵺が鳴いたらそれは怖いなっていうのが実感できました」

河野 隼也
1982年、京都市伏見区生まれ。妖怪文化研究家、妖怪造形家、百鬼夜行クリエイター。妖怪芸術団体「百妖箱」主宰。水木しげるの幼少期を描いたドラマ『のんのんばあとオレ』をきっかけに、妖怪の世界に魅了される。大学では妖怪を観光資源とした町おこし企画などを研究。観光×妖怪を軸に、京都を拠点に国内外で妖怪をテーマにしたイベントの企画や創作活動を展開。「一条百鬼夜行」「モノノケ市」「嵐電妖怪電車」「三井寺妖怪ナイト」「伏見妖怪酒祭」「怪々YOKAI祭」など、数多くの妖怪イベントを手がけるほか、テレビ番組『妖怪とあそぶ』にレギュラー出演。著書に『きみのとなりにいるリアル妖怪図鑑』(西東社)などがある。