「俺らにしかできない楽しいことをたくさんやりたい」。『THE SECOND』ファイナリスト、信じる道を突き進む<ヤング>の素顔。
芸人としてやっていく覚悟を込めて個人事務所を設立。その3年後に『ライヴ喫茶 亀』をオープン。

当時はどんな場所でネタを磨いてたんですか?
嶋仲:いわゆるインディーズライブっていうやつですね。今は出るの禁止なんですけど、当時は吉本の芸人も出ていて。今の漫才劇場があるビルの7階に、ワッハ上方レッスンルームって呼ばれる70〜80人規模の小劇場があって、ほぼ毎日ライブが行われてたんです。自分たちで主宰ライブを打ったり、他の芸人に呼んでもらったりして出たりしてました。
寺田:朝昼晩ずーっとライブをやってましたよ。朝は1,000円で借りられるんです。入場無料やったら日中でも1,600円とか。
嶋仲:だからみんな入場無料のライブをやるんです。朝10時くらいにワッハに行けば、無料のお笑いライブを毎日観られる。お客さんは5人くらいやったりするんですけど、ほんまにどうしようもないライブを朝からやっていて。芸人もよく観に行ってました。
寺田:確かに。芸人もよく来てたなぁ。
嶋仲:夏場は路上で生活してる方とかも普通に来るし、出てる芸人もどうしようもない人らが多かったけど、たまにレッスンルームが満席になるようなライブをやる人もいたんです。とにかくいろんな芸人がいて面白かったですね。僕ら先輩付き合いはあんまりなかったけど、ミルクボーイや金属バットは仲が良くて、よく一緒にライブをやっていました。
寺田:『THE SECOND』のノックアウトステージで、先輩にえらい言われるネタをやったんですが、あれ実は当時おった先輩がモデルなんです。名前は伏せますけど、「ちょっとお前ら来い」って呼ばれて、「マスク顎につけて挨拶するんやめろ」って怒られたんです。こっちは「え、そんなんで怒んの?」って思うじゃないですか。そしたらその相方が、「お前ガタイええな。なんかやってたんか」って聞いてきて、「柔道やってました」って答えたら、「柔道やってたか知らんけど、そんなに偉そうにしてたらあかんな」って怒られました。「その柔道のくだり何やねん!」って思って作ったのがあのネタです。やっぱ怒りってモチベーションになるんですよね(笑)

嶋仲:あのネタくらいやろ。毎回怒りをモチベーションにしてるわけじゃないですよ。
寺田:当時はいろんな人がいましたから。
baseよしもとのオーディションにも出られてたんですよね。
寺田:それはずっと出てましたね。
嶋仲:当時はNSCを卒業しなくても、オーディションを受けて合格すれば吉本に所属できたんです。朝から並んでエントリーして月に1回ライブに出るんですけど、なかなか受からなくて。難しかったですね。
どんなオーディションだったんですか?
嶋仲:ネタ時間は2分で、作家さんが審査員をやるんですけど、おもんなかったら途中で切られるんです。1日30組出て2〜4組受かる程度やったと思います。僕らも出てたんですけど、大体1分くらいで切られることが多くて。終わってから作家さんにダメ出しを聞きに行ったら、「スーツをちゃんと着こなせ」とか「顔つきが怖い」とかばっかり言われるんです。ネタがどうやったかも聞いてみるんですけど、僕らはそれがあんまりピンとこなくて。その一方で、ワッハでやってる自分たちのライブでは、好きなように漫才をしてお客さんも盛り上がってくれる。そのギャップを感じて、吉本にこだわらず、自分たちのやりたいことを追求するほうがええんちゃうかと。そういう経緯で、24〜25歳の時にフールズっていう個人事務所を会社として立ち上げました。
お若いタイミングだったんですね。今はフリーで活動している芸人さんも多いですが、個人事務所にこだわったのはどうしてですか?
寺田:当時は“フリー”の概念がなくて、プロかアマチュアだったんです。アマチュアって趣味の一環みたいな感じやから、そもそも売れる気ないじゃないですか。それはファンの方も応援できひんやろうと思って。
嶋仲:会社を立ち上げたのは、これから芸人としてきちんとやっていくぞっていう姿勢を見せるためでもありました。会社のほうが営業も取りやすいし、活動しやすいからっていうのもありますね。
寺田:その頃はABCやytv、NHKの賞レースは、会社を通してじゃないと出られなかったので。そこに出るためでもありました。
嶋仲:『M-1』以外のテレビの賞レースは事務所宛に通知が来るんです。今はフリーでも出られるようになったけど。
寺田:金属バットはフールズの名前を使ってNHKの手見せ(※)に2回くらい出てますね。
※賞レースなどの事前審査。
嶋仲:金属バットも僕らと一緒で、baseよしもとのオーディションに全然受からなかったんです。それでも2人は吉本におって。でも所属できてない状態やから、もちろんそんなお声もかからない。それでフールズの名前を貸して出ていました。

厳しい世界ですね。『ライヴ喫茶 亀』はどのタイミングで作ったんですか?
嶋仲:個人事務所を立ち上げて3年後くらい、27歳の時に始めました。ここは寺田は関係なく、僕個人で運営しています。当時音楽をやってる友達と一緒に住んでいたんですが、ライブもできる喫茶店があったら楽しそうっていうので作りました。
じゃあお笑いに限らず音楽のイベントなどもされているんですね。
嶋仲:いろんなライブをしていて、喫茶営業している時もあります。こういう場所があると活動しやすいんですよ。YouTube撮影やラジオの録音はもちろん、普段はやらない実験的なライブもできる。打ち合わせにも使えますし。よそを借りるとなるとお金がかかっていちいち大変ですから。1つ場所を持っているだけでかなり動きは楽ですね。
最初は谷九だったんですよね。
嶋仲:谷九で5年やって立ち退きをくらって、玉造に移転して6年ですね。
どうして玉造を選んだんですか?
嶋仲:ほんまに偶然です。立ち退きって言われて次の場所を探してたんですが、なかなか条件に合う場所が見つからなくて、ようやく見つけたのがここ。ボロい昭和のカラオケスナックなんですが、家賃が安くて駅から近いし、何よりライブをさせてもらえる。特に場所にこだわりはないですが、玉造は地元でもあるし好きな街です。
寺田:『ライヴ喫茶 亀』がある道は地元の人もなかなか通らへんけどな(笑)
嶋仲:まぁ知る人ぞ知る場所ですよね。最初は躊躇すると思うんですけど、入ってみたら怖くないんで、気になる人は1回来てほしいですね。
寺田:『THE SECOND』きっかけで、今度シャンプーハットさんが『ライヴ喫茶 亀』に出てくれます(※)。めちゃくちゃ近い距離で観れるんで、こんな機会なかなかないと思いますよ。
※2026年7月24日(金)開催 『プラチナ喫茶 亀』



ヤング
中高一貫校の同級生として嶋仲拓巳(左)と寺田晃弘(右)が出会い、2003年8月、高1の時に<ぷくぷく隊>としてコンビ結成。2011年1月に<ヤング>へ改名し、同年個人事務所・株式会社フールズを設立。2015年から谷町九丁目の『ライヴ喫茶 亀』を中心に活動。2019年に立ち退きのため一旦休業し、2020年に玉造で再オープン。第1回『M-1甲子園(現:ハイスクールマンザイ)』ファイナリスト、2008年『M-1グランプリ』準決勝進出、2026年『THE SECOND 〜漫才トーナメント〜』のファイナリストとなり話題に。
寺田: Instagram / X
嶋仲: Instagram / X
https://lit.link/pukupukuyoung