「俺らにしかできない楽しいことをたくさんやりたい」。『THE SECOND』ファイナリスト、信じる道を突き進む<ヤング>の素顔。


高1で出場した『M-1甲子園』では大阪代表として決勝進出。「中3の頃から仲間内で漫才をして遊んでいたのが原点です」

子ども時代のこともお聞きしたいのですが、お2人は中学校の同級生なんですよね。

嶋仲:中高一貫の男子校に通っていて、中学1年生からの同級生です。

いつ頃から仲良くなったんですか?

嶋仲:中1と中3で同じクラスだったんですけど、1年生の頃はただのクラスメイトという感じで、本格的に仲良くなったのは3年生になってからです。進学校だったので、中3になると何となく勉強のできるやつと、できへんやつに分かれてくるんですよ。できるやつは休み時間返上で勉強していて、東大、京大、阪大に進むようなやつもたくさんいました。僕は完全に落ちこぼれで、成績も下から数えたほうが早いくらい。もう勉強は諦めて、「部活だけは頑張ろう」みたいな感じでした。寺田も同じような立ち位置で、そんな落ちこぼれ組5〜6人が自然と集まって、昼休みや放課後によく遊んでいました。

当時はお笑いの話をしていましたか?

嶋仲:してなくはないけど、熱意たっぷりに話してるとかではなかったです。ずっとふざけてるみたいな感じでした。

寺田:革靴でサッカーしたりとかな。今考えたらありえへん。革靴でサッカー。

当時はクラスのお笑い担当みたいな感じではあったんですか?

嶋仲:寺田は明るいクラスの人気者で、お調子者みたいなイメージでした。

寺田:率先してふざけるタイプでしたね。

嶋仲:授業中ふざけてよく先生に怒られてたな。でもハマる先生にはめっちゃ気に入られるし、ガリ勉のやつとも仲良かったですね。俺はグループの中では全然はしゃぐけど、クラス内ではそんなにふざけてなかったから、そこは寺田と違うかもしれないです。

そして、そのまま一緒に高校へ進学すると。

嶋仲:高校はずっと同じクラスで、高1の時に初めて漫才の大会に出場しました。

どうして出ることになるんですか?

嶋仲:中3くらいから仲いいグループの中でコンビを作って、漫才して遊んでたんです。授業中にネタを考えて、誰もおらへん教室でやって、それをみんなで見て笑うっていう。そこで初めて寺田と漫才をやったんですけど、グループ内では俺らが1番おもろいっていう感覚は何となくあって。『M-1甲子園』っていう高校生の漫才の大会が始まるっていうのを新聞の隅っこから友達が見つけてきて。せっかくやし出てみようぜと。

学生時代に遊びで漫才やろうぜってなるの、結構あるあるなんですか?

寺田:俺らは早かったかもしれないですね。今はもうめっちゃあると思うけど。それこそ関西人はちっちゃい頃からずっと漫才を見てきてるから、潜在的に「やりたい」って思うんじゃないですか。

嶋仲:本家の『M-1』も俺らが中学生くらいの時に始まったんかな。世間的にもお笑いが盛り上がってきて、あの人ら決勝行ったなぁっていう話は普通にしていました。ただ漫画とか音楽とか格闘技とか、他にも好きなものがある中で、お笑いも好きっていう感じでしたけど。『M-1甲子園』に出ようってなって、和歌山での合宿中にネタを書いた記憶もあります。

寺田:勉強合宿ですね。和歌山の宿舎に入れられて、2〜3日間缶詰状態で勉強するんです。

めっちゃ進学校ですね。

嶋仲:俺らはずっとネタを作って練習して、友達に見せたりとかもしてました。友達もおもろいやんとか言ってくれて。『M-1甲子園』の予選は、当時NGKの下にあったNGKスタジオっていう舞台であったんです。そんな場でやるん初めてやからめっちゃ緊張して。覚えたネタをやっただけなんですけど、結構ウケて、大阪代表として決勝に進出しました。決勝はNGKで、大阪ローカルやけどカンテレでテレビの放送もされて。結局優勝はできなかったけど、テレビで漫才できてめっちゃ楽しかったですね。構成作家の先生にも「君らはプロになれるよ」って褒めてもらえました。高2、高3は予選で落ちちゃったんですけど。

寺田:めっちゃウケてんけどな。

嶋仲:まぁ俺らももっとおもろいネタ作るぞって気合い入れて攻めすぎたかもな。高2の時は、途中で覚醒剤のボケが出てくるネタとかやってたし。

寺田:あー、タイマー測ったと思ったら覚醒剤やったやつな。

ちょっと攻めすぎかもしれませんね(笑)

嶋仲:自分らはそんなんあかんってこと気付いてないんです。おもろかったしウケてたやろって。寺田は「なんで俺らのこと落としたんですか?」って審査員に直接聞きに行ってました。そしたら「君らは高校生らしくない」とか言われちゃって。その時は意味わからんと思ってました。

寺田:今考えたらそんなやつ通すわけないもんな。

(笑)。その後はどんな道を歩むんですか?

嶋仲:高校卒業後は、2人とも大阪市立大学に進学しました。そのあたりからフリーライブに出たり吉本のオーディションを受けたりして、他の芸人とも仲良くなっていきました。

大学に通いながらライブに出ていたと。

寺田:2人とも中退しちゃうんですけどね。在学中は空き教室でネタ合わせとかしてましたよ。

嶋仲:誰もおらん教室で冷房ガンガンつけて。テレビもあったから、これいじったら観れるんちゃんとか言って『M-1』のDVDかけて漫才の勉強したり、ネタの動画を撮って見直したり。漫才の勉強ですね。

寺田:部活かお笑いしかしてなかったんで、ある意味むっちゃ真面目でした。

20歳の時には『M-1』準決勝に進出されていますよね。

寺田:嶋仲はまだ残ってたけど、僕はもう大学を辞めていました。

嶋仲:今はもっと難しいと思うから、あくまで当時の『M-1』ですけど。でもアマチュアで準決勝行くのも珍しかったし、すごく楽しかったですよ。

準決勝や敗者復活戦のこと覚えてますか?

嶋仲:準決勝はNGKで、敗者復活戦は東京の大井競馬場でやるんです。みんなブルブル震えながらダウンジャケット着てる映像、たまに流れてるでしょ。

寺田:あれお客さん6,000人入れてるんですよ。

嶋仲:確か入場料払えば観覧できたとかじゃないかな。野外やのにピンマイクもなくて、冷たい風にビュービュー吹かれながら出て行くんです。「どうも〜」って言ったら声がわーんと響き渡って。全然いいパフォーマンスができなかったですね。

寺田:今出ても無理あるんちゃうか。

嶋仲:その時はオードリーさんがめっちゃウケて勝ち上がりました。出演者はでっかい楽屋に全員詰め込まれるんです。俺らは20歳で全然知り合いもおらんままそこにいて、南海キャンディーズさんとかハリセンボンさんもおって、トイレ行ったらキラキラの衣装を着たハチミツ二郎さんに会って。すごい1日でしたね。

そんな中に20歳の2人がいるってすごいことですね。

寺田:俺誰とも喋ってないんちゃうかな。雰囲気に呑まれてたら絶対無理ですね。相手を食っていくくらいでいかんと。

嶋仲:でもその時は何も考えられへんくて。ネタも大して決まってなかったし。

寺田:ネタ決まらんまま深夜バスで行ったなぁ。着いてから「ねっむ、どうしよ。まじでやばい」って焦ってた。

嶋仲:そうそう。「腹減った」とか言いながら、でも呼ばれたらもう出ていかなあかんから。

寺田:「もう適当にいこう。1番好きなあれやろう」とか言って。時間も全然測ってなかった。

ちなみに敗者復活戦の反響はありましたか?

嶋仲:僕はまだ大学に行ってたけどほぼ友達がいなくて。大学に行っても何も言われるわけでなく、誰にも知られてない感じやったんをめっちゃ覚えてますね。

寺田:当時の敗者復活戦はケーブルテレビとかでしか観られへんかったっていうのもあるしな。

嶋仲:今ほど一般の人も関心がないからね。芸人とかは「あいつら準決勝行った奴らや」ってなってましたけど。

店内には、亀にまつわる雑貨もたくさん。
芸人としてやっていく覚悟を込めて個人事務所を設立。その3年後に『ライヴ喫茶 亀』をオープン。
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Profile

ヤング

中高一貫校の同級生として嶋仲拓巳(左)と寺田晃弘(右)が出会い、2003年8月、高1の時に<ぷくぷく隊>としてコンビ結成。2011年1月に<ヤング>へ改名し、同年個人事務所・株式会社フールズを設立。2015年から谷町九丁目の『ライヴ喫茶 亀』を中心に活動。2019年に立ち退きのため一旦休業し、2020年に玉造で再オープン。第1回『M-1甲子園(現:ハイスクールマンザイ)』ファイナリスト、2008年『M-1グランプリ』準決勝進出、2026年『THE SECOND 〜漫才トーナメント〜』のファイナリストとなり話題に。

寺田: Instagram / X
嶋仲: Instagram / X
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