39組の作品が京町堀を彩る、現代アートまみれの3日間!見どころが満載すぎた、第2回目の「メタセコイア・キョウマチボリ・アートフェア」
SNSでおもしろいものを作って出している人はたくさんいるんですけど、それを「現代アートとしてやってます」って人はまだいないなって(南村杞憂さん)
ここからは作家さんのインタビューを。事前に私がWEBサイトで気になっていた作家さんにお話しを伺っていきます。
一人目は南村杞憂(なむら きゆう)さん。事前にチェックしていたステートメントがすごく面白くて、お話を聞いてみたい!と思った作家さんです。Windows95がリリースされた1995年生まれの南村さんはインターネットやSNSのカルチャーを題材にした作品を発表されていて、なんと審査員賞を3つ受賞(今回最多!)されました。
南村さんは、旧ツイッターやIEのロゴをあしらった遺影など、アクリル素材を使ってインターネットやSNSをテーマにした作品を発表しておられます。こういうものを題材にしようと思われたきっかけを教えていただけますか?
生活の中でのインターネットやSNSのあり方が、現代アートと合わさった時にどういう扱いになっているか、みたいなことを考えてまとめたのが、作品のステートメントなんですけど、私の中では、消費やアイデンティティ形成がテーマなんです。
もともと視覚的に透明な素材が好きだったことと、インターネットが好きなので、そういうものをテーマに、新規性のある作品がつくれないかなと模索してました。
メタセコイアのWEBサイトに掲載されていた南村さんのステートメント、面白かったです。すごく読ませる文章で、引き込まれました。
私、経歴としては美術大学を出てないんです。関西学院大学の文学部を出て、神戸大学の大学院で社会学系の領域に進み、そこでアイデンティティ形成の研究をしてました。今回の出展も、ポートフォリオのかわりに修士論文を置いてるんです。
作品はデジタルファブリケーションという手法で、レーザーカッターを使って制作しています。こういったものを扱うのは、完全に独学です。
美術畑のご出身ではないんですね。
現代美術をやろうと思ったとき、私はアウトサイダーアートとも言われ得るんですよ。現代アートって、美術教育を受けている人と受けていない人という区分が存在すると言えばするんです。専門の美術教育を受けていない私の作品は、人によってはアウトサイダーアートに分類されると思います。でも、そういうものはあまり気にせず制作しようと思っていて。うるせえみたいな(笑)。作りたいもの作るんじゃいって気持ちです。
ステートメントでもそうでしたが、現代アートとの向き合い方が、いわゆる美術畑の方とは一線を画しているように感じます。
あのステートメントはけっこうたくさん読んでいただいているみたいなんですけど、実はこの文脈を整理できたのはここ半年なんです。5月の締め切り当日に思いつきのようにエントリーだけして、それからステートメントを書くことにしたんですけど、それこそ美術教育を受けていないので、そこにあるコモンセンス、常識のように存在する価値観を身体化していないんです。社会学系の領域から出てるので社会学のことはある程度わかるんですけど、美術のことはわからんなと思って、あらためて勉強して、言語化したのはここ半年ぐらい。自分の作っているものが、現代アートにおいてどういう意味があるのか、現代アートとしてどう価値があるのかを説明できないといけないと思って。
それまでも作品は作っていたけれど、ご自身で整理されたのはここ半年?
そうですね、それまではずっと、作りたいものを作ることを大事にしてたんですけど、デジタルファブリケーションという手法で作品を制作するようになったここ5年ぐらいで、インターネットっぽいモチーフとか見せ方とか、イメージがかたまってきました。
美術のほうに進もうとは思われなかったですか?
なにかを作るのも絵を描くのも好きでしたけど、美大にいこうと思わなかったですね。母親に「あんた美大にはいかれんよ」って言われてましたし、私もそんなつもりはなくて。中高の6年間は文芸部でした。美術部もあったんですけど、好きなものは作れない気がしたので、文芸部ならほっといてもらえるかなと思って。
でも集団は苦手なのに、高校の学祭のクラス旗を作るときは毎年立候補してました。美術部の子もいるんですけど、いの一番に「やります!」って手をあげて。私が監修で、字が上手い子にレタリングをしてもらって、美術部の子に色を塗ってもらって、自分は全員分の似顔絵を描いたりしてました。
すごい、美術部に指示を出す文芸部だったんですね。
でも私、中高まともに学校いってなかったんです。中一の秋ぐらいから保健室登校になって。母が許さなかったので不登校ではなかったんですけど、教室はすぐ抜けだして保健室に行ってました。なんせ教室にはいない奴だったのに、学祭準備のときだけ出てきて、なんかええ感じにクラス旗を仕上げていくっていう(笑)。まあ浮いてはいましたね。
お母さまが美大にいくのに賛成されなかったのは?
母の知り合いのイラストレーターの方が苦労されていたのを見て、娘にそんな想いはさせたくないと思ったみたいです。私自身も美大に行くイメージはなかったので、いかへんよって。
もともとは理系だったんですけど、学部受験のときに国語の先生が、今でいう人文社会学系のことをたくさん教えてくれたんです。岩波新書とかたくさん読ませてくれたり、学部生が研究で使うようなテキストを高校生の時に読ませてくれて、それに感銘をうけて文学部に進むことにしました。
もし美術系に進んでいたら、今の表現にはなっていなかったかもしれませんね。
なってないかもしれないですね。何より、思想の部分がもっと固まってないんじゃないかなと思いますし、語彙が手に入れられていない可能性もあると思います。この道筋だったからこそ、今こうなってるのかなって。
ステートメントの中の「1000年前の枕草子は読めても、たった15年前のブログはほんの一瞬世にはばかってそれっきり、もうおそらく永久に読めないのです」という一説がとても印象的でした。
小さい頃、さんざんインターネットは怖いんやでって言われ続けてきたのに、最近サービスが終了して見れなくなったもんめっちゃ多くない!?って思ったんです。ネットに対して思ってたことがどんどん変わっていて、でもそれって今の人じゃないとわからへんやろなと思ったので、そこはアーカイブしていきたいなと思いますし、せなあかんもんやってことを露わにしたいなという思いもあります。
ネットやSNSでウケるツイート(現在はポスト)や作品を発表することを、「ネット(特にSNS)土着のフォークアートみたいなもん」と表現しているのも面白かったです。
民俗学の授業もとってたんですけど、民俗学ってぜんぶ柳田國男みたいなものではなくて、名古屋のモーニング文化みたいなものも民俗学として捉えられるんです。そういう市井の人たちの間で自発的に発生した行為や創作物は、ヴァナキュラーな行為とかフォークアートと呼ばれたりするんですけど、SNSのバズとかも、それに近いものが根っこにあるなと思って。それを現代アートの文脈に持ち込むことを、そろそろやってもいいんじゃないかなと思ったんです。アートの世界って新しい手を繰り出して過去の世界と戦って積み重なっていく部分があるんですけど、そろそろこのカードが出せるんじゃないかなと思って。私は作品をSNSでバズらせたりとかいいねがたくさんもらえるツイートをすることができると言えばできたので、それをアートの世界に持ち込んでみようかなと。
たしかに、SNSのなかでしか存在し得ない文化みたいなものはありますね。
SNSでおもしろいものを作って出している人はたくさんいるんですけど、それを「現代アートとしてやってます」って人はまだいないなって。じゃあこれをそう言ってみるか、さあどうだっていう感じで参加したっていうのはありますね。
そしたら、審査員の方のレスポンスも意外とよくて、賞もいただくことができて。反響をいただいて、私は大変満足しています。
南村さんご自身がアートの世界ど真ん中の方じゃなかったからこそ、の視点や表現だと思います。
そうですね、もし現代アートの教育をちゃんと受けていたら、先生によっては、こういうのは邪道だと言うかもしれないですね。その点、私は独学なので、よくいえば柔軟に発想できたというのはあるかもしれません。
受賞をきっかけに、こういうことやっていきたいみたいなのはありますか?
今回けっこうちゃんと現代アートの市場を作っていらっしゃる方が賞をくださったので、新しい展開はあるだろうなとは思っています。自分の作品を、現代アートとしての価値を高めていくっていうのは、私の新しい試みになるかもしれないですね。でも、あまり枠にとらわれてはいけないと思ってます。反骨精神の塊なので。絶対に権威には逆らうぞっていうところが性格上にあるので、適度に言うことを聞かずにやっていきたいなっていうのはあります。
王道じゃないからこそ、我が道を?
なんせ、自分の作りたいものを作っていくっていうのは、絶対に変わらないと思います。新しい展開がどういうカタチで待っているのかはまだ具体的にはわからないですけど、今年の2月はテレビに出させてもらったり、毎年何かしら新しい展開はあるので。
そういえば、ラジオのパーソナリティーもされてるんですよね?
やってます。来場された方の中にも、ラジオ聞いてますって方がいらっしゃって。ラジオと同じ笑い声や!って言われました(笑)。音楽の番組なんですけど、私は“音楽がわからない人枠”で出てます。
音楽わからない人枠、なんですね!
実は私、音楽も映画もアニメも興味がなくて、美容室で話題に困るんですよ。好きなものが、小林賢太郎と『水曜どうでしょう』とモンティ・パイソンとか、ちょっとクラシックなお笑いなんですけど、それ以外は本当に好きなものがあまりないんです。世代的にはまわりはオタクが多いんですけど、私自身はぜんぜんオタク気質じゃないんです。
自分で趣味ないんかな?って思うんですけど(笑)。でも私は、自分の作るものがいちばん好きなんです。ずっと制作のこととか、自分の見せ方のこととかを考える時間が人より長いので、だから私の好きなものは、きっとそうなんだと思います。
PROFILE
南村杞憂
1995年生まれ。徳島県出身、関西在住。関西学院大学文学部卒業、神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程前期課程修了。独学でデジタルファブリケーションの手法を駆使し、インターネットカルチャーやSNS等をテーマに日々けったいなものを制作しています。
Instagram:@kiyunamura