【ぼくらのアメ村エトセトラ vol.6】 <CMK>のJOEとCASPERが描いてきた、これからのアートシーンに痕跡を残す、想いと覚悟があるグラフィティアート。

ストリートカルチャーの代名詞の一つとも言える、グラフィティ。アメ村をはじめ、大阪各所の壁にも見られるグラフィティを10代の頃から描き続け、落書きからアートへと昇華させながら今もなお精力的に活動している<CMK>のJOEさんとCASPERさん。時代の流れとともに規制が強まる中、一方でアートとしての価値が見出されている今、日本の第一線を走り続けている二人が考えるグラフィティアートとは!? 6月15日(木)から心斎橋PARCOで始まる「コンテンポラリーアートコレクション」の制作が佳境を迎えているタイミングでしたが、それぞれのアトリエにお邪魔してじっくり話を伺ってきました!グラフィティアートとの向き合い方から制作のこと、これからのこと、そして10代から過ごしてきたアメ村のことなど、濃いめの話が満載です。JOEさんとCASPERさんが描くグラフィティアート、これは一見以上の価値があるので、ぜひぜひ生の原画を展覧会でガン見してください!!きっと、シビれると思います!

小さい頃、一人の時はずっと絵を描いて過ごしてた。15歳になってアメ村でグラフィティアートを初めて見て、単純にカッコええなって…。

JOEさんとグラフィティの出会いの部分から話を伺っていきたいんですが、初めて見たり知ったりしたのは、いつ頃だったんですか?

15歳くらいの時、アメ村でCOSA ONEとかELMのグラフィティを初めて見て、「あぁカッコいいなぁ…」って。

初めて見てから、自分でも描いてみようと思う心境の変化やきっかけは何かあったんですか?

単純にカッコつけたかったんでしょうね…。だってカッコよかったから…、グラフィティアート(笑)

当時はどの辺りに描いてたんですか?

自分の家の周り!(笑)。奇跡的に今も残ってるんで、浪速区某所としときますね。“練習の壁”って呼んでて、最初は漢字で“不倶戴天”とか描いてたけど、あぁ…なんか違うなぁって(笑)。それで英語で描いてみようと思いつつも、アホやったからしばらくは“LOVE&COOL”って描いてました!ヤバい闇歴史です(笑)。でも、夜な夜な練習してたこの“練習の壁”が、自分の原点的な場所ではありますね。他にも、大阪ドーム前の木津川沿いにある壁とかに自分で白くペンキ塗って、描きやすくして夜中にグラフィティの練習してました。

そこ、僕も知ってます。グラフィティがズラーっと並んでましたよね!

最初は自分一人だったんですが、噂が広がって日本全国からグラフィティライターが集まる場所になってしまって。当時、落書きが増えることに困った警察が携帯電話をホームレスの方に渡して、ライターが来たらその携帯で通報するシステムが出来上がったくらい有名なスポットになりましたね。

すごいシステムですね、それは(笑)。スポットになってしまったことで描きづらさも生まれてしまったかもですが、JOEさん的にはどうでしたか?

壁の上でいろんなグラフィティライターと知り合ったり情報交換したり、小競り合いしながらまあまあ楽しかったですよ。

壁を通じて刺激し合える環境でもあったと。JOEさんとしては、今まで伺ったようにストリートで描かれてきたわけですが、そこからの発展はどんな経緯があったんですか?

バイトとかしながら適当に落書き描いてましたね。一回だけ捕まったかな(笑)。それから18歳の時にアメ村の服屋とグラフィティアートを月契約で提供するようになって、益々環境が整いましたね。褒められてアイデアがどんどん湧いてきました。

プロデビューとも言えますよね!

えへへ…そうかもしれませんね。

これまで描いてきたグラフィティが仕事にも繋がっていく中で、<CMK>というグラフィティクルーを立ち上げたのが1997年だったと思うんですが、そこには何かきっかけがあったんですか?

自分が中心と言うか、CASPERとかVERYとかあと何人かで始めたクルーですね。この時は自分も含めて“仲間”の本当の意味も分からずに、ただ徒党を組んで悪ふざけしてただけですが…。しかも、自分はその後アメリカに行っちゃうんですけどね。

仲間と一緒に過ごせる場所があるのって、すごく素敵だと思います。ちなみにアメリカのどちらに?

転々としましたが、長かったのはニューヨークでした。

渡米目的はやっぱりグラフィティの修業ですか?

グラフィティも他の事も、とにかく自分のレベルを上げたかったんですよね。力不足を感じてたし、経験値高そうな場所に行って一気にレベル上げたかったんですよ…。

ニューヨークには⻑く滞在されてましたが、グラフィティの本場で過ごした時間は、JOEさんにとってやはり大きなものになったんじゃないでしょうか?

ニューヨークは人間動物園みたいな場所で、ほぼ全ての人種がひしめき合ってましたね。良い人も悪い人も、本物も偽物も、たくさん見れていい経験なりました。最初に自分が住んでいたブロンクスはグラフィティというゲームが始まった場所で、MOK.DFM.BRONX TIME.3つのクルーに入って、いろんな場所に描いて3人の仲間を新たに<CMK>に引き入れました。

「グラフィティというゲーム」と話してましたが、ゲームという側面もあるってことですか?

簡単に言うとグラフィティはライターそれぞれが落書きのスタイルを作って、それを街中で勝手に描いて見せ合い、数やスタイルや場所や色といった暗黙のポイントを競い合いながらリスペクトを勝ち取るという、街全体を使った終わりのない迷惑なゲームなんですよ。時代を超えて、これからも続くでしょうね。昔は駅に忍び込んで追われながら作品制作してましたが、最近は駅構内に作品制作の依頼があったので、CASPERと一緒に阪堺の新今宮駅に描いたりもしました。今では、アートとして少しずつ認識され始めたみたいですね。

まさにストリートのカルチャー。終わりがないからこそ競い合えるし、スタイルや表現が進化していく。そこにアートとしての価値も生まれてきたから、現代まで続いてるのかもしれませんね。ちなみにJOEさんがアメリカに住んでグラフィティを描いてきた中で、得たものや感じたものとは?

世界の色んな分野のすごいヤツらを見て、憧れて真似して…。でもある時、憧れて真似するだけで終わっていいのか?本物と肩を並べたい…そんな気持ちが湧き起こり、真似じゃなくて自分なりのスタイルを開花させるべきだなと思ったんです。長く住んだからニューヨークにも愛着はありましたが、自分が一番力を発揮できるのは日本やなと。その時、ニューヨークの家がユダヤ人のマンハッタン再開発計画で立ち退きになるタイミングやったんで、立ち退き料をいただいて大阪に戻ることにしました。

絵も映画も音楽もスポーツも…、衣食住に関係ない仕事やからホンマにすごい作品で人が感動するものを創らないと意味が無い。趣味じゃなくてプロで芸術やるなら、そこが最低ライン…そんな想いで描いてます。
1234
Profile

JOE

1997年にを結成。日本での活動後、渡米を経て2013 年に『CMK gallery』をオープンする。高野山の恵光院への守本尊 毘沙門天図、天橋立の和貴宮神社の拝殿への天井画の奉納をはじめ、世界のアートシーンを揺り動かす作品づくりから地元密着のアートプロジェクトまで、幅広いシーンで活躍中。

https://cmkgallery.jp/
Instagram:@cmkgallery

Profile

CASPER

<CMK>所属。2005年に水戸芸術館で行われた日本初のグラフィティー展「X-COLOR」、2007年「SUMMER SONIC」でのライブペインティング、FENDIのワールドプロジェクト「F IS FOR FENDI」、スノーボードメダリスト平野歩夢のX GAMES Aspenミューラルアートなどに参加。その他、店舗の内装・外装、著名アーティストのステージ衣装、ロゴデザインなど、さまざまなシーンで活動を続ける。

CATEGORY
MONTHLY
RANKING
MONTHLY RANKING

MARZELでは関西の様々な情報や
プレスリリースを受け付けています。
情報のご提供はこちら

TWITTER
FACEBOOK
LINE