自分の胸に届いた、ある日の言葉。FM802のDJ・板東さえかさんが、ラジオの向こう側にいるリスナーへ届けたいもの、伝えたいこと。


聞かれたことに対して考えたり、何かを見つけたり、そこから話が転がっていったり。深い浅いじゃなくて、対話することの楽しさ、その良さを小沢健二さんに導いてもらった。

オーストラリアの地で改めて突き進むことを決めた、夢への道。帰国後は、どのようにしてその道を歩んでいったんですか?

とりあえず全財産を使い果たしてたので、心斎橋筋商店街の入口にあったダイコクドラックでバイトを始めました。時給も良かったし、やりたいことをしながらバイトしてる人が多くて、私も「ラジオDJになりたい!」と話してたら、京都にコミュニティ放送があることを教えてもらったんです。そこは、京都三条ラジオカフェという市民が主役の放送局。カフェの店内放送で流れる局地的なものでしたが、とにかくやってみたいと思い、担当の方に会いに店へ行くと、自分のやりたい番組のイメージがどんどんあふれてきました。

その番組のイメージって?

留学や一人旅の経験から、ラジオと旅はすごく相性がいいと思ってたので、旅や現地での出会いの楽しさを伝えたいなと。『パラレルワープレディオ』というタイトルで企画書を作成して放送局に再度伺うと、月に1回15分の番組を担当させてもらえることに!大学3回生から4回生の間は、月に1回ラジオDJとして現場に立つことができてたんです。

有言実行、夢に向かう行動力にリスペクトです!

言ったからにはやらないといけない、そんな負のエネルギーを力に変えてるのかも。大学でも「ラジオDJになれるん?」とか言われたこともありましたけど、チクショー精神でいつかギャフンと言わせるって思ってましたし(笑)。150人いた学科内でラジオDJを目指していたのは私ともう1人だけだったことも、ライバル少なくて逆にラッキーだなって。

反骨心とポジティブヴァイブス、やっぱ大切ですね。京都三条ラジオカフェでラジオDJはしつつも、4回生だと就活のタイミングもあるわけですが、板東さんはどうしてたんですか?

就活のタイミングで、FM802が久しぶりにDJオーディションを開催することになったんです。チャンス到来だと思ったんですが、その時は1次の書類選考で落ちてしまいました。でも、ラジオDJになりたい気持ちは変わらずで、大学卒業前に声の仕事ができる事務所に所属させてもらい、商業施設でのイベントの司会などをやらしてもらってたんです。ただ、当時はどうしてもラジオの向こう側にいるリスナーさんに喋りたい気持ちが強かったので、なかなかしっくりこなくて。今はMCの醍醐味も体感できてるから、気持ちも変わってるんですけどね。結局、2ヶ月くらいで辞めて、6月頃からは引き続きダイコクドラッグでバイトしながら次のチャンスを狙ってました。

先が見えない当時はツラかったと思いますが、へこたれず、前へ、前へ、ですね。

それしかなかったんですよね。とは言え、FM802のDJオーディションが2年連続で開催されたのは、私にとっては本当にラッキー。2度目のチャレンジとなる2013年に合格することができましたが、実は、てっきり落ちたと思ってたんです。2次審査でブースに入って喋った時、自分を全然うまく出せなくて。ボロボロだったから、あーーーもう終わったなと。帰り際に駅のトイレで、めちゃ号泣しちゃいました(笑)。でも、3次審査に呼ばれることになり、その時は「これが最後やからとにかく楽しもう!」って。気持ち的にも吹っ切れたのが良かったのか、自分らしく喋れたんです。

2次審査での自己評価と涙が、功を奏したのかもしれませんね。そして、いよいよ念願のラジオDJデビュー!!

デビューまで半年ほどの期間があったので、音楽をさらに吸収したくて『タワーレコード難波店(当時)』でバイトを始めました。そして、2014年4月に野村雅夫さんの『Ciao!MUSICA』と、飯室大吾さんの『RADIO∞INFINITY』でアシスタントDJデビューを果たせたんです!!

アシスタントDJとしてデビューし、初めてラジオの向こう側にいるリスナーさんに言葉を届けた時の心境は?

最初は『RADIO∞INFINITY』で、自宅から電話での出演でした。いつもラジオを聴いてるラジカセの前に正座して、「来週からアシスタントとして出演するのでよろしくお願いします」的な内容を喋ったと思います。当時はradikoのタイムフリーもなかったので、「あー、今流れたんやー」って感じでしたね。

ラジカセの前で正座してる姿、なんだか感慨深くなっちゃいます。その後、ラジオDJとしてのデビューは、2014年10月からスタートした『LNEM-エルネム-』でしたよね?

そうですね。新人DJの6人で月曜日から土曜日の深夜3〜5時をそれぞれが担当する、新人枠の番組でデビューさせてもらいました。毎日同期のみんなでバトンを繋いでるのが楽しかったですし、番組が終わって朝帰る時も、街行く人は新しい朝が始まってるのに私はまだ昨日を引きずってる、そんな独特の感覚があったのを覚えてますね。自分の番組がもてたことでラテ欄にも載るから、その切り抜きは今でも大切に残してます(笑)

うわー、その昨日を引きずってる感覚って、素敵な余韻ってことですよね。楽しんでる証のような気もします。ちなみにDJの皆さんやリスナーさんも板東さんのことを“ばんちゃん”と呼んでますが、そのあだ名は昔からですか?

小学生の時からで、おじいちゃんもお父さんのあだ名も“ばんちゃん”!生粋の“ばんちゃん”一家なんです。だから、本当は“ばんちゃん”のDJネームでデビューしたかったんですけどね。でも、先輩DJの皆さんもそう呼んでくれますし、ディレクターさんも原稿には“ばんちゃん”と書いてくれてるから、リスナーさんにも伝わっていきました。自分から言うよりも、周りから自然と呼ばれる方が結果的には良かったなって。今では“ばんちゃん”のイメージが強くて、板東と言っても誰かわかってもらえず、下の名前も知らない人の方が多いかも(笑)

見事な結果オーライ現象ですね(笑)。では、板東さえかさんに聞きます!!ラジオDJとしてデビューして9年目を迎え、いろんな体験や印象的な出来事があったと思いますが、「一皮剥けたかな」って感じるような転機と言えば!?

そうですねー…。いろいろありますけど、2017年10月から担当している番組『Poppin’FLAG!!!』の初期の出来事です。今は金曜日の18〜20時ですが、当初は火曜日の深夜帯で、スタート時はゲストを呼ばずにまずは番組の中身を濃くしていくというのがディレクターさんの方針でした。そんな中で、最初にお迎えすることになったゲストが、まさかの小沢健二さん。新曲のキャンペーンで来阪され、各世代のDJと小沢さんが喋ることをテーマに、20代のパートでは私がお迎えさせていただいたんです。トーク内容は考えつつもそこまで気負わずに臨もうと思ってたんですが、本番直前に小沢さんからの希望で進行内容が変わってしまって(汗)

どう変わったんですか!?

普通は私がゲストの方をお迎えして進行するんですが、その回は小沢さんが私を迎え、まずは新曲を流して感想を聞いてから、トークを始めたいと。考えてたトーク内容も一瞬で白紙になり、これはもう丸腰で行くしかないなと。

インタビューする側が、される側になったと。

小沢さんが私のプロフィールとかもふまえて進行していく感じです。インタビューって核になる流れがあって、聞き手としてはちょっとでもいい話を聞きたいとか、心に残る言葉を引き出したいとか、そんな欲があるじゃないですか。でも、小沢さんとのトークを通じて、対話することが大事なんだと気づかされました。聞かれたことに対して考えたり、何かを見つけたり、そこから話が転がっていったりとか。深い浅いじゃなくて、対話することの楽しさ、その良さを小沢さんに導いてもらえて、以来、インタビューの姿勢も変わったと思えるんです。

それって、まさにライブですよね!形式的な言葉じゃなくて、生きた言葉でのキャッチボール。板東さんも楽しかったでしょうし、ラジオの向こう側にいるリスナーさんにもそのライブ感が伝わったでしょうね。

インタビューは今でも難しいなと思う反面、やっぱり好きだし、自分の中にある大事なもの。いつでも対話を楽しむことは、忘れちゃいけないなって。ピンチでもありチャンスでもある、いろんな気づきが生まれる瞬間がFM802にいるといっぱいありますね。

ではでは、今だから話せる的なエピソードって何かありますか?(笑)

えーー、何でしょうね。噛むこともあるし、放送中にポンコツなこともしてますけど、楽しいことしか思い浮かばない(笑)。多分、楽観的なのかも。

それもキャラですかね。全部包み込んじゃう的な。

あ!やらかしてしまったこと……、思い出しました(笑)。今年1月に公開された映画『そして僕は途方に暮れる』の取材で、主演の藤ヶ谷太輔さんと監督の三浦大輔さんにインタビューした時のことです。スマホがキーになる映画でもあるんですが、取材中に私のスマホが鳴ってしまって……。音声も録ってるし、ましてやインタビュアーの私のスマホが鳴るなんて絶対にアカンこと。でも、藤ヶ谷さんがおもしろくイジってくださり、そのユーモアと適応力にどれだけ救われたことか…。そもそもマナーモードにするのを忘れちゃいけないんですが、場面を楽しく乗り切るスキルとユーモアが私も欲しいと切実に思いました……。

変な汗が噴き出たんじゃないですか?(笑)。それは焦りますよね。

ポキポキ♪♪(LINE通知音)

あれ?今、鳴りましたよね?(笑)

えーーーー(汗)。切っといてよー、私………。

最高のタイミングで、フラグ回収ありがとうございます!!

今日取材だったんで、到着の連絡があったらすぐ気づけるようにしてて…(汗)。マナーモードにするのを忘れてました……。

いえいえ、逆にこの展開が僕らにとってはラッキーです!

すみません…マナーモードにしました!今からはもう大丈夫ですので(笑)

思い出の引き出しを開けられるような存在になりたい。昔は音楽が好きだったけど今はめっきり…になりがちな世代でも、ラジオDJならそこを思い出させることができる仕事だから。
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Profile

板東 さえか

1月30日生まれA型。大阪、堺出身。大阪芸術大学・放送学科アナウンスコース卒業後、DJオーディションを受け、2014年FM802『Ciao!MUSICA』『RADIO∞INFINITY』でアシスタントDJデビュー。同年10月スタートの『LNEM-エルネム-』でラジオDJとしてのキャリアをスタート。現在は、毎週金曜日の18〜20時の『Poppin’FLAG!!!』と毎週火曜日の深夜24〜27時の『FLEEKLOUNGE』を担当。読売テレビの『あすリート』のナレーターも務める。イベントMC/DJ、TVナレーション、コラム連載など、活動の幅を広げながらローカルの繋がりを大切にカルチャーを発信中。最近の趣味は、週1のパーソナルジムで自分を追い込む筋トレ。

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