ダンス演劇舞台、アパレルブランド、間借りカレー屋…。クセになる世界観で多くの人を魅了する謎の集団、<四畳半帝国>とは!?主宰の松田拳翔さんに、その全貌を聞いてきました!


なぜスパイスカレー屋!? 人との出会いが前進するバイタリティに。

現在の活動に繋がる人生のターニングポイントってありましたか?

いくつかあるとは思うんですが、一番大きいのは、大学でダンスを始めた時、ですかね。

ダンスを始めたきっかけは?

大学に入った時、本当は劇団に入って役者をやってみたいと思ってました。でも、大学にあった劇団の雰囲気が何となく自分に合わなくて(笑)。他の地方劇団でも探そうかと思っていた時に、たまたま友達に誘われてダンスサークルの体験へ。

舞台や役者をやってみたいと思ったのはどうしてですか?

中学生の時に、舞台役者をしている友達のお姉ちゃんが、「人手が足りないから出てみない?」って誘ってくれて。主人公にめった斬りにされる役でしたけど(笑)。その時に、舞台袖から見たステージの景色が忘れられなくて。スモークが漏れ出て、スポットライトが当たる板の上はまるで違う世界で。一歩足を踏み入れれば、普段の自分とは違う人物としての人生が待っている。その感動から、舞台というものに憧れるようになりましたね。で、ダンスサークルの体験に行った時に「舞台に立てるやん」ってあまり深く考えずに始めました。

やってみてどうでしたか?

正直、この時までダンスの世界って全然知らなくて。高校の時、ダンス部のショーを見たことがあるっていう程度だったので、全てが新鮮でした。華やかな世界からアングラなストリートの世界まで、こんなにカッコいい人達がいるんだっていうのに感動しました。技術面ですごい人達がいるのはもちろん、ひとくちにダンスといってもいろんな表現方法があって、ゴリゴリのブラックミュージックでカルチャーを背負って踊る人から、風の音とかで瞑想みたいなダンスをする人まで。僕もひよっこなので、知らない世界がまだまだあるんだと思います。

影響を受けたダンサーはいますか?

たくさんの人に影響を受け続けていますが、日本の4人組ダンスパフォーマンスグループ『s**t kingz(シットキングス)』の影響が大きいです。ダンサーとしても超一流の方々なんですけど、彼らのダンスを用いた演劇舞台が大好きなんです。イメージはチャップリンの無声映画みたいな。ちゃんと役柄のキャラクターや世界観をダンスで表現しているんですよ。もちろん、ダンスのためのダンスも大好きなんですが、「踊る」ということも一つの手段として、いろんな世界や感覚を表現することにすごく興味があります。

なるほど。では大学卒業後、ダンスや舞台の道へ?

いや、一般企業で研究の仕事に就きました(笑)

え!?大学で獣医師免許を取って、ダンスに魅了されていたなら、獣医かダンサーかと思っていました。

就職活動が始まる頃には、舞台への憧れとか忘れて、普通に就職する頭になってましたね…。ただ、獣医は獣医で、実習に行ったりするうちに自分にはできないなっていう気持ちになってしまって。

獣医学部は6年制だから、24歳で就職ですよね。いつまで会社員してたんですか?

1年は大学浪人してたので、25歳で就職して29歳まで会社員でした。今、31歳なので2年前くらいに辞めましたね。

辞めるに至った経緯は?

会社は、嫌な上司がいる訳でもないし、残業がめちゃくちゃ多い訳でもない。なのに、どうしてか徐々に擦り減っているというか、気がついたらちゃっかりメンタルやっちゃってて、出勤できず環状線をぐるぐる回っていたんですよね(笑)。あ、向いてないんだって思いました。

実際に辞めようと決断できた決め手は?

いきなり辞めて時間ができても、結局自分は何もしないんだろうなっていう自覚があって。まずは仕事を続けながら空いている時間でできることを考えて、一旦間借りのスパイスカレー屋さんを始めたんです。

ちょっともう凡人の私には理解が追いつきません…。理由を教えてください。

「やりたいこと」っていうのを考えてもよくわからなくて。ただふと、久々に色んな人と会いたくなったんです。とりあえずイベントやるか、っていう思いつき。ただ、ダンスイベントでは限られた人しか集まれない。ダンスをしていない友達も多かったので、参加ハードルが低くて、大勢の友達が集まれて、僕にできることは?で、スパイスカレーでした。友達に声をかけてスペースを借りて、ただ音楽を聴きながら、みんなでビール片手にカレー食べる雑なイベントを開きました。そこから縁あって、ゲストハウスで間借りのカレー屋をすることになったんです。

確かに食のイベントなら誰でも気軽に参加できますね。カレーもいきなり作れたんですか?

インド料理屋で働いていた父親に教えてもらって、イベントをやる前から趣味でスパイスカレーを作ってたんですよ。まあ、父親は店長だったので、ホールスタッフやったんですけどね。インド人から父親へ、父親から僕へ、受け継がれてきました。

いやそんな秘伝のスパイスカレーです、みたいに言われても。ほんで真顔でボケるの止めてくださいよ(笑)

ごめんなさい(笑)。この期間のおかげで結果的に、色んな人と会えました。普段から会う友人、数年ぶりに話す友人、この時が初対面で今も仲良い人。多くの人と会って、話して、刺激をもらう日々を繰り返しているうちに、色んなやりたいことが自然と出てきたんです。あの人とはこれをやりたい、この人とはあれをやりたいみたいな。この時点でようやく退職することに決めました。収入の目処は立ってなかったんですけど、「もっと時間が欲しい!」ってなっちゃって(笑)
そのタイミングでコロナ禍へ突入。カレーは人を集めることが一番の目的でしたから、一旦カレー屋は活動休止する事になりました。

貯蓄で耐え抜く戦いですね。

いやいや、貯蓄もないですよ。退職時の銀行の貯金残高は冗談抜きで700円くらい。本当に貯金ぐせがないのと、アパレルの製作とかも始めてたので。29歳でこんな大人になってるとは思わなかったですね。やばいとは思いつつも、半年前に会社へ退職願を出していたので引くに引けなくて…。

もはやファストフード2食分…。

ほとんどその時のこと覚えてないんですよ。乗っちゃったから、くだるしかないジェットコースターみたいな。まあ今のところ元気に生きてるんで、良かったんじゃないですか。

それはこっち側が言うセリフですね。

自分にも、関わる人にも、嘘をつかないように。

<四畳半帝国>は、いつ頃に立ち上げたんですか?

あ、時系列でいうともう過ぎてますね。大学時代に先輩と2人で組んだダンスチームが<四畳半帝国>なので。先輩の家の書斎から本のタイトルを組み合わせて、何となく響きが良いから決めました。江戸川コナン方式です。一つは森見登美彦の『四畳半神話体系』で、もう一つはなんちゃら帝国やったかな…?忘れました。

今なお<四畳半帝国>と名乗っている理由は?

カレー屋もなんですけど、「やりたいこと」で思いついたことのジャンルが割とバラバラで。ダンスの舞台とかアパレルとか。いろいろ考えた結果、もうめんどくさいから全部<四畳半帝国>でやっちゃえって。意味は特にないけどすごく気に入ってる名前だったし。でも、活動を続けるうちに、後付けだけど意味がついてきた感じですね。

どんな意味ですか?

自分に対する自戒の念も込めてます。ラフなテンションに見られがちな僕ですが、実は周りの目をすごく気にしていて。保険をかけて自分の意見を言わなかったり、目立たないように無難にやり過ごそうとする性格なんですよ。1人で黙々と妄想膨らませてる時はすごく楽しいんですけどね。表に出るとそれを隠しちゃうんですよ。あ、『ラブ・アクチュアリー』っていう映画観たことあります?

あります! 色んな年齢や環境の人々がクリスマスを祝う群像劇ですよね。

作中で、男の子が自分の部屋に閉じこもるシーンがあって。扉には、「お腹減ってない」みたいなこと書いた黒板を掛けて、誰にも邪魔されずに好きな子のためにドラムの練習するんですよ。「パパも入らないでね!」とか言ったりしちゃって(笑)。その状況に共感したというか、自分の部屋って誰にも邪魔されない自分の国みたいな。そこに閉じこもったときにしか出てこないエネルギーやアイデアがあるんですよね。それって何かを生み出す上ですごく大切なもの。周りの評価や世間体よりも、まずは自分の“好き”を優先する。そんな感覚に、<四畳半帝国>がしっくりくるようになってきたんです。

<四畳半帝国>を再び立ち上げてから、次に取ったアクションは?

ロゴの制作です。元々はなかったので。デザイナーを探す中、以前にMARZELでも取り上げていた北新地にあるBAR『蜆楽檸檬』さんのロゴやグッズのデザインをしていたyuto君を見つけて、「この人だ!」って思ってお願いしました。

ロゴをオーダーしたときの会話を詳しく聞きたいです。

<四畳半帝国>のネーミングに込めた想いや今後の展開を伝えました。当時は間借りカレーもやっていた時期で、カレー屋でもあり、ダンスやファッションにも合うような感じ。世界観はあるけど、イメージを固定しすぎないようにって。無茶苦茶なオーダーですよね。何かを指定しているようで、何も指定していない(笑)。イメージを汲み取って、形にしてくれたyuto君には頭が上がりません。

そこからどのように<四畳半帝国>が続いてきたんですか?コロナ禍直前から現在に至るまでの3年間も続けられるってすごいことだと思うんです。

嬉しい質問ですね!理由は大きく2つ。ひとつは、<四畳半帝国>を続けてきたから。実際、カレーは活動休止していたり、アパレルやダンスの活動頻度もまちまちやったり。ただ、全部ひっくるめて<四畳半帝国>の名前で活動してきたので、「四畳半帝国を続けている」と感じてもらえているんだと思います。もうひとつの理由は、嘘をつかなかったこと。大衆ウケや世の中のトレンドなど周りからの評価を気にせずに、自分が本当に良いと思うかどうかを指針にしていたので、アパレルやダンスとジャンルは違えど、世界観は自然と似てきます。こうして自分の想いに嘘をつかなくなると、一貫性が出てくるし、コミュニケーションにも嘘が混じらない。すると、<四畳半帝国>の世界観を好いてくれる人たちが集まってくれるようになりました。結果的に、僕にとっても居心地の良い場所として続いているんだと思います。

周りの仲間たちとの普段のコミュニケーションで意識していることとかはあるんですか?

出来ないことや分からないことは見栄を張らずに助けを求めます。ほとんど自分で形にしてから周りに投げるときもあれば、逆に丸投げしてしまってる時もありますね(笑)。なるべく、相手の好きなことや個性を理解できるように気をつけています。逆に、無理矢理やらされる時もありますけど…。

主宰なのに?(笑)

去年のダンスの舞台がまさにそう。ビビっている僕を見て、「できるっしょ」みたいなテンションで、その場で箱を抑えてスケジュールを組まれて(笑)。まあでも、イヤイヤやらされている訳ではなくて、自分だけじゃ一歩踏み出せなかった背中を押してもらえた感じですね。

話を聞く前は<四畳半帝国>=コミュニティと思っていたんですけど、どうやらニュアンスが違いそうですね。いつもどうやって人に説明しているんですか?

とりあえず、「ハートフルコメディ集団」ですかね。でも、人によって説明変えているような気がします。何となくその人にしっくりくるように。実際は上手く言語化できないし、まだしなくても良いかなっていうのが本音です(笑)。絶対的な目的があって、未来から逆算しながら動いている訳でもなくて、今この瞬間を面白いと共感してくれたら一緒に何かを創りたい。個人の価値観や願望が細分化されている時代だからこそ、常に一本の軸みたいなものでまとめるのには限界があると思ってて。実際、今深く関わっているみんなが<四畳半帝国>と距離を置く時期があっても良いし、興味やワクワク感が一致する時に一緒に活動できたらいいなって思います。寂しいのは寂しいんですけどね(笑)

10年後も、20年後も、今みたいなことがずっとできてたらいいな(笑)
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Profile

松田 拳翔

1991年生まれ。三重県出身。アパレルブランドの立ち上げ、ダンスを起点とした舞台や映像作品など、マルチに活動する謎の集団<四畳半帝国>の主宰。「座して半畳、寝て一畳、天下取っても四畳半」のスタンスに込められた想いや、クセになる世界観で多くの人を魅了し、共犯者を拡大中。しかし、未だ謎は多く、メンバーの人数も不明。獣医師免許や元カレー屋など意外な一面も隠し持つ。

https://www.45tatamiempire.net

ダンス映像作品:Youtube

活動全般:Instagram@4.5tatami_empire

アパレルブランド:Instagram@4.5tatami_empire_store/

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