『wad』=は、和の道。カフェ、ギャラリー、金継ぎを手掛ける小林剛人さんの、とてつもなく深い器への愛と造詣。

南船場にある『wad』。作家ものの器でいただく京都・和束のお茶や和スイーツが人気のカフェスペースは、SNS映えもあって行列ができることも。インスタのフォロワーも2.5万人を誇り、気鋭の器作家の展示を行うギャラリーや、昨今流行の金継ぎ教室も大盛況。そんな人気店を手掛ける店主の小林剛人さんは、さぞやり手の経営者に違いない……と思ってお会いしたところ、想像をはるかに超える、器への愛情と造詣が深すぎる方でした。コレクターでありキュレーターであり、金継ぎの職人であり、作家のプロデューサーでもあり……と、「店主」という枠にはおさまりきらない小林さんの多彩な仕事。とても物静かで穏やか、でもその内には情熱がたぎっている、そんな小林さんのインタビューをお届けします。

花器のリースをしていた料理屋さんから「金継ぎできへんか?」って言われて。当時は本も何もないから、古物の本を見て、継ぎ方を勉強しました。

小林さんが器に目覚めたというか、器を好きになったきっかけを教えてください。

僕が小学生のころに父親が焼き物にハマって、備前とか信楽とか、六古窯と呼ばれる古い焼き物の産地に家族旅行で行ってたんです。でも僕自身は別にそんなに興味があったわけではなくて。それが高校生になって、香川に住む祖父の家に行く途中で備前を通ったときに、焼締めっていう本物の薪で焼いた器を、自分のお金で買ったんです。そこから、器も面白いなあと思うようになりました。

高校生が備前焼に惹かれるというのは珍しい気がしますが、なぜ買おうと思われたんですか?

なんか、いいなと思ったんですよね。酒器みたいな平杯なんですけど、すごく焼きが良くて、いま見てもいいんですよ。その時はピンときていいなって思っただけでしたけど、ああ、ちゃんと本物だったんだなと思います。でも、備前で薪で焼成している焼物は、もう何百年も続いているもので、昔からいいものは変わらない。本質的なものを見極められたのかなと思います。

いま見てもいいということは、当時から目利きが効いていたんですね。その頃から、器を仕事にすることを考えておられたんですか?

ぜんぜんそんな意識はなくて、美容学校を出て美容師をしていました。でも雇われるのがどうしても無理で、27歳で独立しようと思って。24歳で美容師を辞めて、アルバイトをして3年でお金を貯めようと思ったんです。それで、友達の古着屋の2階を家賃1万円で借りて、節約しながらいろんなバイトをしてました。

美容師として独立される予定だったんですか?

いや、別に美容師でもレコード屋でもなんでも。独立することだけ決めていて。それで、美容師を辞めたときに、父親にそのことを伝えたんですよ。そしたら、「まあいいんちゃう、自分の人生やし」って言った後に、「家にいっぱいある焼き物も、全部お前の物になるしな」ってぽろっと言ったんです。それを聞いて、あ、使っていいんやと思って。それで、実家にたくさんあった花入をリースにできないかと考えて、25歳の時に名刺1枚作って、料理屋さんに営業に回ったんです。

コレクションルームにある器の数々。現代陶芸作家のものから古物まで幅広いラインナップ。

花入とは、花器のことですよね?花入のリースというのは、どんなものだったんですか?

いまは料理屋さんでも女将さんのいる店が少ないから、花は入れ替えるけど花器は同じという店が多かったんです。だから、うちにある花入を月替わりで貸し出そうと考えました。最初は相手にされなかったんですけど、色々な料理屋さんに営業しまくっていたら、この若者面白いなって感じで仕事をくれる人が出てきたんです。それで、料理屋さんに毎月、これはこういう器ですっていう資料を付けて、花入を貸し出す事業を始めました。

花器のサブスク!すごい、新しい商売ですね。

そうやって毎月花入を届けているうちに、「器の金継ぎできへんか?」って言われたんですよ。金継ぎは漆や純金を使って直すからすごく高くて、料理屋さんでは採算が合わないんです。でも簡易金継ぎと言って、現代の道具を使ってやる技法もあって、それができないかと言われて。試しにひとつやらせてもらおうと思って、持ち帰ったんです。当時出入りしていた料理屋のベテランの料理人さんで修行時代に金継ぎを学んだ方がおられたので、その方にベースを教えてもらって修理して持って行ったら、めっちゃいいやん!って言われて。その場で、段ボールいっぱいの器をどさっと預けられました。

花器のリースから、今度は金継ぎまで、どんどん仕事が広がっていきますね。

金継ぎを始めたらそれがヒットして、クチコミでいろんな器を預かるようになって、毎月何百個って仕事が来るようになったんですよ。古着屋の2階に並べてアルバイトの合間に直して返却するというのをずっと繰り返して。それがいつの間にか、器を仕事として扱うようになった流れですね。

小林さんが金継ぎを施している、沖縄の壺。本漆で接着し、乾燥させた後、金で仕上げるため、作業は一年近くかかることも。

器のお仕事に至る経緯が、意外すぎてびっくりしました。でも器好きのお父様の存在が、大きなきっかけになっているんですね。

父親が好きだったのが、焼締めという器で。ガスや電気じゃなくて、薪で焼成する伝統的な焼き物がすごく好きな人だったんですよ。そういうものを使わないのはもったいないというか、人目に付くところに出したいなっていうのもありましたね。それで、花入なら料理屋さんに需要があるかなと。

目の付け所がよかったんですね。そこから、金継ぎにつながっていくわけですが、金継ぎの技術はどうやって磨かれたんですか?

料理人の方に教えてもらったのが最初ですが、当時はとにかく資料も情報もぜんぜんなくて。金継ぎの本なんてなかったので、古本屋で古物の本を買って、金継ぎの方法は載ってないんですけど、金継ぎされている器の写真を見て、継ぎ方を勉強しました。物に合った修復をするのが金継ぎなので、なんでこういうラインなのかなとか、考えながら見てましたね。
あとは、簡易金継ぎに使う樹脂などの薬品の成分ですね。食器に使うので、この薬は食品衛生法的に使用できるのかとかを自分で調べて。本金継ぎに使う漆についても、漆器の職人さんにわからないことを教えてもらいながら勉強しました。

そういえば、「金継ぎ」という言葉がメジャーになったのもわずかここ数年のことですよね。まだ全然情報もない中で、ほぼ独学で勉強されたんですね。

始めたのは17年ぐらい前ですね。器が好きだったので金継ぎというものを知ってはいましたが、いろいろな人に教えてもらったり本で調べたりしながら、なんとか身に着けました。

フランスに滞在していたとき、ペドロに「英語を話せる人間はいくらでもいる、でも日本のことを理解している人間なら、世界中どこでも仕事ができる」って言われたんです。
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Profile

小林 剛人

『wad』店主。奈良県出身。器好きの父親の影響で、子供の頃から六古窯の窯元を訪ねる。美容師を経て、2009年西区新町に『wad cafe』をオープン(現在は大阪市中央区南船場に移転)。ブームになる以前より簡易金継ぎ・本金継ぎを学び、教室も開講。国内のみならず、海外でも金継ぎのレクチャーを行っている。

Shop Data

wad

大阪市中央区南船場4-9-3 東横ビル2F・3F
2Fは茶道の精神をアレンジし、器と素材を楽しむカフェスペース。3Fのギャラリースペースでは、現代陶芸作家の企画展を定期開催。日本の古道具や、wadの価値観に通づる世界各地の古物を集めたコレクションルームは予約制。新町のアトリエ(西区新町3-11-20)では、金継ぎ教室も開催。

https://wad-cafe.com/

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