システムエンジニアから丹波篠山で罠猟師になった黒沼さん夫婦が、屋号「かけがえのない日」に込めた想い。
すごいしんどそうやったから、もう次のことは後から考えたらいいから、早く辞めてって思ってました。その時に、ここ(山)があるっていうのはすごく気持ちの支えになってて。
今いるこの山は、黒沼さんが購入されたんですよね?なぜ山を買おうと思ったんですか?
シンスケ:それよく聞かれるんです、なんで買ったん?って。仕事辞める前に買ったんですけど、でも何しようとか全然考えてなかったです。キャンプしたり、ウッドデッキとかツリーハウスとか作りたいなとか言いながら、ちょっとずつ整地して。4月に山を買って、5月には退職の意思を伝えたんですけど、仕事を辞めたのも、この山があったからっていうのも大きいかもしれないです。この山はとりあえず買ってるから、この場所があるから、2人でなにかできるっていう変な自信はありました。
マイコ:何かあっても、ここなら畑もできるし、がんばれば鹿も獲れるしね。
シンスケ:そう、狩猟をする目的のひとつとして、例えば世の中から食べ物が少しずつなくなっていっても、動物性たんぱく質を摂ることができるんですよ。だから僕は、マイコを守れるんです。畑は、土があれば、なんとかできると思うんです。でも、鹿を獲ることはなかなかできない。
確かに、野菜は育てられても、お肉は一般人には獲れないですね。とは言え、仕事を辞めるのは怖くなかったですか?
シンスケ:10年以上システムエンジニアをやってましたけど、8時から23時までずっとパソコンしてるんです。年末になっても、年度末になっても、4月が来ても終わらない。で、ある夜マイコにもう辞めるわって言うて、翌朝会社に辞めますって電話しました。ずっと待遇の改善を求めてたんですよ、こんな境遇では働けませんって。でもなにも変わらなかったので。だから辞めた時、何するかなんか決まってないんです。
別に猟師になるつもりで辞めたわけではなくて。
シンスケ:全然ないです。で、無職になるから、当時僕らは池田の分譲マンションに住んでたんですけど、売ることにして。ちょうど内覧に来てくれた1組目の人が買ってくれました。
マンションを売ってしまって、お住まいはどうされたんですか?
シンスケ:マイコが実家で使ってた部屋が広かったんで、池田のマンションのリビングの家具とかをごっそり持って行くことができたんです。マイコの実家に住まわせてもらうことになって、一気にいろいろ好転しました。
ということは、今はマイコさんのご実家に?
シンスケ:そうです。奥さんの家族と同居ってまあ抵抗ないわけじゃなかったですけど、でも僕ら、14歳から付き合ってるんですよ。
マイコ:中学2年からの変態恋愛なんです。
中2から!すごい、めっちゃ長いお付き合いですね。
シンスケ:だから、僕は中学の頃からマイコのお父さんもお母さんも知ってて。そういうのもあって、すごく受け入れてもらいやすかったし、僕も飛び込んでいきやすかった。
本当に、暮らしも住まいも一変したんですね。
シンスケ:池田のマンションはけっこういい物件で、絵とか家具もこだわって揃えてたんですよ。僕はサラリーマンとして、そういうものをマイコにあげることができたっていうのが心のどこかにあったから、なかなか手放せなかったんです。でも使ってた家具とかをそのまま持って行けたから、マンションに対する執着はなくなりました。
ひとつ大きなものは手放したけど、でもローンがなくなった時の晴れやかさ!俺は何に縛られとったんやって思いました。家は失ったかもしれないですけど、それの何倍もの自由を得たし、もうサラリーマンに戻りたいなんて絶対に思わないです。マイコごめん、当時の給料の何十倍もらっても無理や、戻られへんわ。
マイコ:あんなシンスケ支えるのはマイコも無理やから。
マイコさんは、シンスケさんが仕事を辞めることに対して不安はなかったですか?
マイコ:それみんなに言われるんですけど、本当に一切なくて。むしろ、やっと辞めた!って感じでした。辞める直前は在宅勤務になって、オンオフの切り替えが難しかったみたいで、険悪な雰囲気になったりもしてたんです。もともと俺はいつかサラリーマン辞めるって言ってたんですけど、次を決めてから辞めるんやろうなと思ってたんです。でも最後のほうはすごいしんどそうやったから、もう次のことは後から考えたらいいから、早く辞めてって思ってました。その時に、ここ(山)があるっていうのはすごく気持ちの支えになってて。
次の仕事は決めなくても、山さえあれば何とかなると。
マイコ:そう、だからもう、自分でもおかしいんちゃうかなって思うぐらい不安がなくて。うちの親もなんの反対もなく、シンスケが会社辞めるって言ったら、お疲れさん良かったね、乾杯しようみたいな。あんたらやったらなんとかなるって思ってくれてたみたいで。中2から一緒にいて、ずっと見てるから、多分信頼してくれてるんだと思います。
シンスケさんが罠猟師になることに心配はなかったですか?
マイコ:そういえばこの前、シンスケが罠をかけにいったら、別の罠に獲物がかかってて、午後から処置を始めたことがあったんです。
シンスケ:罠をかける時は僕1人なんで、マイコは家にいて。16時前に電話して、あと2時間ぐらいで終わるなと思ったから、作業に集中してたんですよ。この辺は17時には暗くなるから、必死で作業してたら電話が鳴ってるんです。マイコからやったんですけど、でも手袋とかしてるから出られへんし、後にしようと思ってたら何回もかかってて。
マイコ:もう17時なんて真っ暗やのに大丈夫かなと思って。電話かけても出ないし、折り返しもないし。うちの母も心配しはじめて、不安が2倍になるんです。熊も多いし、実際に猟場にも熊が出るから。心配すぎて、これはもう現地まで行こうと思ったら、電話かかってきて。
シンスケ:あの後マイコ、3日ぐらいダメージ抜けてなかったもんな。
マイコ:もう死んだと思ったから。未亡人になった気持ち味わったから。
いやでも、本当に心配やと思いますし、待ってるほうはたまらないですよね。
マイコ:猟師になって、あったら嫌だなと思ってたことだったんですよ。連絡がつかなくて、怪我したらどうしようとか。めっちゃ焦った。でも仕方ないですよね、猟師やから。
ちなみに、猟師になると聞いて、まわりの方の反応はどうでした?
シンスケ:特に何も知らせてなかったですね。
マイコ:だからまわりの人も、今インスタとか見てめっちゃびっくりしてると思います。
シンスケ:でも、インスタにイベントの告知を上げたら、会いたいな、来てほしいなと思ってた人たちがみんな来てくれるんです。僕らがジビエを食べてほしいと思ってた人たちに来てもらえて、それはほんまに嬉しいですね。
狩猟だけではなくて、イベント出店をやっていこうとなったのは、どういう流れですか?
シンスケ:狩猟って期間があるんですよ。地方によって違うんですけど、この辺りは11月15日から3月15日。それ以外の時期って、猟師は無職なんです。
その時期は、どう過ごされるんですか?
シンスケ:僕もみんなどうしてるのかと思ったら、やっぱり猟師っていう職業はないんですよ。それで食っていける人なんて、もうほんのひと握り。全国で十人いないぐらいらしいです。おじいちゃんが趣味でやってるとか、そんな感じみたいで。だから、僕らみたいなのは珍しいと思います。
狩猟期間に獲ったお肉を、禁猟期間にポップアップで販売するというスタイルですね。
シンスケ:昨年の冬に獲ったお肉を業務用冷凍庫で保管してるんですけど、ほんまにめちゃくちゃ美味しいんですよ、ジビエって。もっと食べてもらうには、飲食店は大変やけど、イベントやったらいけるかなと思って。露店営業の許可とか取って、さあどこでやろう?ってなったんですけど、フェスとかちょっとハードル高いじゃないですか。そしたら、中崎町に『BOW&ARROW』って老舗のヴィンテージショップがあるんですけど、そこの店長が僕の従兄弟で、オーナーさんも学生時代から良くしてもらってて、お店の前でやらせてもらえることになったんです。そこからは、『BOW&ARROW』とか、難波にある『nation』とかでやらせてもらいながら、いま猟期に入ったころです。
だから今年は、昨年とは全然心持ちが違うんです。みんなに美味しく食べてほしいっていう目的を持って猟期を迎えてるんで。
昨年は、獲ったはいいけどどうしよう、みたいな感じですか?
シンスケ:もう右往左往してましたね。でも、お世話になってる人がイタリアンとか串焼き屋さんとか紹介してくれて、そこに卸らせてもらったりしてたんです。西脇市にある『串万』さんなんて、お肉のさばき方とか道具の使い方とかも教えてくれて。
スキルも、昨年以上に上がってるんですね。
シンスケ:そうですね、知識とか技術がついてきたら、だんだん怖さがなくなってきた気がします。今はもう、本当に冷静に作業できます。恐れはもちろんありますけど、気持ち悪いとかは絶対思わない。やっと、ここまで来れたかなって気がします。
かけがえのない日
元システムエンジニアのシンスケさんとマイコさんの罠猟師夫婦(trapper a.k.a hunter)。罠製作から捕獲、解体、精肉までを行い、“人生で最高に美味いジビエを提供したい”をテーマにイベント等に出店。丹波篠山の持ち山も絶賛開拓中