ラムソン、メイク、BLACK SHEEP。大阪屈指のHIPな立ち呑み屋を手がける高橋裕基さんが、愉快な仲間たちと追求する、楽しいこと、やりたいことの中にあるもの。

天満の『ラムのラヴソング』、北浜の『MAKE ONE TWO』と言えば、酒呑みラバーな人なら必ず知ってる&行ったことがある人気店。でも、いわゆる立ち呑み屋さんなのに、何かが普通とは違う。もちろん、ラムやエスニックを軸にしたスタイルはセンセーショナルな登場だったし、大前提でおいしいけど、オープンから数年経ってもお客さんが集まり続けてるのには、そこ以外にも相乗させてる何かがあるなと。しかも、お店に立ってるメンツもみんな個性的で、キャラ立ちしてる。今年の7月には新店の『BLACK SHEEP』もオープンしたということで、代表の高橋裕基さんとその愉快な仲間たちに集まってもらい、色々聞いてきました。飲食業にかける想い、仲間のこと、コロナ禍での解散宣言…、そしてこれからのこと、なんかバンドみたいなメンバーが勢揃いしたこのチーム、アツくてすごくおもしろいです。

ボクシングは好きで始めたし、やめるにしても結果を残してやめないと成功癖はつかない。だから、プロになって1勝したらやめようと決めてました。

ちょっと色々と遡りながら聞いていきたいんですが、学生時代の高橋さんはどんな感じだったんですか?

何の変哲もない普通の学生と言うか、どっちかと言えばアホな感じで(笑)。勉強も苦手だったし、高校も地区最下位レベルで、勉強も運動もダメな方向に行ってましたね。

何かに没頭してたことなどは?例えば音楽とか。

学生時代はパンクブームだったのでその辺りはかなり聴き漁ってましたけど、その程度ですね。でも、高校を卒業して特にやりたいこともなかったから、とりあえずボクシングが好きだったんでジムに通い始めたんですよ。一応、プロのライセンスも取りました。

すごい!そんな経歴もあったんですね。そこからどういう流れで飲食業界に?

ボクシング始めた当時はまだフラフラしてたんですが、自分の仕事や将来のことを考えた時に、このままやったら大した仕事もできないだろうし、何かしらスキルを身につけて商売したいなって19歳くらいから思ってたんです。ただ、ボクシングは好きで始めたし、やめるにしても結果を残してやめないと成功癖はつかない。だから、プロになって1勝したらやめようと決めてました。ボクシングしながら飲食店でバイトしてたんですけど、その時に感じたのが、飲食店はお金の流れも分かりやすいし、自分のしたことへのレスポンスも早いということ。自分の将来もイメージしやすかったというのもあり、飲食業界で独立したいなと思うようになったんです。

ってことは、プロでも1勝してるってことですよね?

プロライセンスを取って、デビュー戦に勝利してスパッとやめました(笑)

ジム側からすると手塩にかけて育てた選手がいきなりやめるって、めちゃ反対されなかったんですか?

井岡ジムに通ってて、実は井岡一翔君とデビュー戦が一緒やったんです。一翔君がメインで僕が前座を務め、一翔君のお父さんも目をかけてくれてたのでやめることに対してはけっこう怒られましたね。でも、プロになっても食べていくのが難しいし、世界チャンピオンにならないと成功できない世界。僕は近視が強かったし、左腕を怪我して筋繊維が何本か切れてしまってパンチ力も下がってたから、どの道プロではやっていけないと思ってたんです。心の中では飲食業での独立も考えてたし。でも、自分の決めたことは貫き通したかったので、怪我を隠してプロになり、1勝できたことでケジメはつけれたかなと。

結果を残してやめるのは自分で決めたこととは言え、怪我を隠し通すってフィジカル的にもそうですが、メンタルを保つのも大変だと思います。

小中高と背が小さくて、学生時代は特にコンプレックスも強かったんですよ。両親も離婚してて母方に僕はつくんですが、親父は開業医でけっこう稼いでるから、学生時代に揶揄されることもあった。そんな悔しい想いもしてたので、反骨精神は養われてたのかなと。

なるほど。そこから飲食業界に本腰を入れていくわけですね。

当時勤めてた箕面の居酒屋で社員になり、店長を任されて1年経った頃に自分の至らない部分とかをすごく感じるようになって、このままだとダメやなと思ったんです。街に出て、もっと実力のある人たちが切磋琢磨してる環境に行くべきやなと。それで、北新地のイタリアンで勤め始めたのが、25歳の頃。4年間みっちり働いて29歳の時に退職し、そこから1年間は街の酒場を転々としながら働いてました。で、30歳の時に独立したんです。

それが最初に作ったお店、『BANQUET』ですね。そもそも天満界隈に出店しようと思ってたんですか?

何も考えてなかったですね(笑)。今は独立していきなり軌道に乗る子も多いし、「あの店で働いてた子が独立するみたい!」的な話もあるけど、当時はまだまだそんなこともなかったですから。僕とかは経営脳がアホな状態で始めてて、マーケティングも知らない、プランニングも知らない感じ。勢いだけで始めました。でも、体力だけはあったから、「売り上げが立たなかったら朝から深夜までやったらええやん!」的な考えでしたね。

勢いと体力も、不可欠ですけどね(笑)

天満界隈に出店したのも偶然で、当時入ってた別のテナントの方が譲渡先を探してて、不動産屋を経由して僕に話があったんです。それで、「じゃ、居抜きで入ります!」って感じで始まったのが『BANQUET』です。最初は友だちがいっぱい来てくれて売り上げもあったんですが、やっぱりそれだけじゃ長続きしない。飲食店の経営も勉強してるようでしてなかったから、鳴かず飛ばずの状態で5年くらいやってましたね。業態としてはイタリアンバルで、当時流行ってたバルスタイルの系統は取り入れつつ、洋食でも気軽に飲める居酒屋のようなお店でした。

コロナ禍の時は、社員みんな集めて解散宣言をしかけてました。「売り上げが全くないから、俺に遠慮せずに就活してくれていいよ」って。
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Profile

高橋 裕基

天満の『ラムのラヴソング』、北浜の『MAKE ONE TWO』、そして今年の7月に新たなにオープンした『BALACK SHEEP』を運営するスコンクワークスの代表。ラムを軸にした立ち呑みスタイルの店舗展開で、各店ともにエリアを代表する大人気店としてたくさんのお客さんに愛されている。自身もプレイヤーとして『BLACK SHEEP』に立ち、接客からDJまで行いながら日々奮闘中。

ラムのラヴソング :Instagram(@ramusong)
MAKE ONE TWO :Instagram(@make_one_two)
黒羊羊肉串店 BLACK SHEEP :Instagram(@blk_sheep2)

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