【ぼくらのアメ村エトセトラ vol.9】 もう、この道を極めていくしかない。韻を踏んで一歩を踏み出し続ける、HIDADDYさんの俺 is HIP HOPな人生。


アメ村は、MY HOOD。俺の地元です。街の景色や人は変わっても、変わらずあり続けてるのは三角公園と自由の女神。三角公園ではPVも4本撮ってるし、泊まったこともありましたね。

HIDADDYさんの人生としてもラッパーとしても、アメ村は切っても切り離せない街だと思うので、その辺りの話もいろいろと聞かせていただきたいと思います。『DOWN TOWN』の後はアクセサリー屋で働いてたとのことですが、店を移ったのには何か理由があったんですか?

アメ村のショウザンビルがあるじゃないですか。当時は地下にも店があり、西海岸系の『サンドラ』、今は東心斎橋に移転してる『2000BC』、DJのTANKOさんがオーナーだったB-BOY系の『B-MATIC』、そして俺が働くことになる『バラカ』っていうアクセサリー屋があったんです。『B-MATIC』には茂千代やDJ BENKEIも働いてた時期があって、俺が行った時はグラフィティライターのZENONEさん、ダンサーのマリッペが働いてました。ZENONEさんがいるから大阪中のグラフィティライターがよく集まってたし、TANKOさんは関西のHIP HOPシーンにおける大御所。だから、ほんまは『B-MATIC』で働きたかったんですよ。

でも、ダメだったと。

そういうわけでもなくて、実は履歴書を持って店には行ったけど、TANKOさんは俺のことなんか知らんし、緊張して履歴書を出すことすらできなかったんです。

面接の予約があったわけじゃなく、履歴書持参で直談判するつもりだったんですね。

そうなんですよ。で、普通に接客されて「何も買えへんの?」という言葉に萎縮してしまい、結局言い出せずに「すみません…」って感じで店を出ました(笑)

HIDADDYさんにもそんな時代があったとは(笑)

それで店を出たら向かいのアクセサリー屋の人が「兄ちゃん、何か探してたん?」って声をかけてくれて、実は仕事を探してたことを伝えたら、「ちょっと待っといてー」って。そしたら「あるよー仕事!こっちおいでー」と店の裏に通されると、鼻の高〜いイスラエル人がおったんです。とりあえず履歴書は持ってたから渡したんですが、じっくり見始めた挙句に「ボク、ニホンゴ、ヨメナーイ」と言うてきて(笑)

渾身のボケやったんですかね…。

なんやねんって思ったけど、「いつから来れる?」と言われたので「明日から!」と答えたら、「じゃあ、明日の11時に来い!」って。

働きたい店の向かいの店に採用されたと(笑)。でも、ラッキーではありますよね。

おかげでTANKOさんやZENONEさんとも仲良くなれたし、その時に繋がった人たちが相当濃いんですよ。CHIEF ROKKAや遊戯もそうで、CASPERも働きに来ましたからね。

CASPERさんも!

吉野家でバイトしてたけど、賄いで牛丼が食べたらアカンってことがわかって、1日で辞めてこっちに来たんですよ(笑)。結局、一緒に4〜5年は働いたかなぁ。HEAD BANGERZや韻踏合組合の最初のアルバムジャケットは、CASPERが描いてくれましたから。

それぞれのシーンで活躍されてる方ばかりだし、自然と繋がっていくというか、共鳴していくのが不思議です。もちろん行動してるからですが、それもアメ村の魅力なのかなと。

ラッパーやグラフィティライター、パンクス、スケーター…、当時のアメ村はいろんな奴らが入り混じってましたからね。16歳でアメ村に出て来てかれこれ30年近く経つし、完全に村人ですよ。ずっとこの村にいてるので、今では村長って呼ばれるくらい。

村長!確かにHIDADDYさんにぴったりハマる気がします。

俺よりも村長的な先輩たちもたくさんいてるんですけどね。ちなみに奥さんと出会ったのもアメ村。『バラカ』で働き出した1997年頃に付き合い始めて、今も一緒にいてますから。

スゴイ!出会ってもう27年も経つんですね。馴れ初めも聞いていいですか?

クラブで見つけたんですよ。可愛いなと思って声かけたら、「初めての夜遊び〜♪」とか言っててね。6年くらい付き合って、2003年にできちゃった婚しました。今は子どもが4人いて、全員に歯の矯正をさせたのは父親としてのちょっとした自慢です(笑)

歯の矯正、めちゃ高いですもんね。

そこは頑張りました。まぁ子どもらはありがたみもわからずで、適当にしてるから「ちゃんとリテーナーしろよ!」ってよく言うてたかなぁ(笑)

そりゃ言いたくもなりますよね。HIDADDYさんが父親として子どもたちに伝えてきたことって、何かありますか?

別にあれこれ言うことはないけど、挨拶はちゃんとしろってことくらいですね。

基本だけど、やっぱりそこは一番大事。

意外とね、挨拶できない奴が多いなって。別に「おはようございます!!」じゃなくて、「ちゃーす!」でもいいんですよ。挨拶って声をかけることだし、コミュニケーションの始まりだからこそ、大事にせなアカンことやと思ってます。

ほんまにそうやと思います。ちょっと父親の一面も聞かせていただきましたが、2003年にできちゃった婚をするじゃないですか。ラッパーとしてはCDを出したり全国ツアーをしたりと精力的に活動しつつも、アクセサリー屋で働きながらの状況に対して、ぶっちゃけ不安とかはなかったんですか?

もちろん不安はありましたけど、俺にはラップしかないですからね。結婚したり、子どもができると「もうラップできない!」って言う人が大概だと思うけど、俺は真逆でした。「子どもができた。もっとちゃんとラップせなアカン!」って。

この道を極めないとアカンと?

今更いい会社に就職なんかできへんし、ここから勝ち上がっていくにはラップしかなかったんですよ。ただ現実としては、リリースしたアルバム「ジャンガル」の全国ツアーに出てたので、週末稼働できるように店長の役職からバイトに戻してもらい、時給900円で働くことになったタイミングでした。さすがにバイトで家族を養うのはまずいなと思って、OUTOのミッチュンさんに近況を相談したんです。子どもが生まれるけど、アクセサリー屋で働き続けるか、独立するか…。でも別にアクセサリー屋をしたいわけでもないしって感じで。

ラップで勝ち上がっていくにしても、現実的な問題がありますもんね。

そしたら次の日に、<サタンアルバイト>の安田さんが店に来て、ごはんに誘ってくれたんです。その時「うちの会社は子育てしながら絵を描いたり、バンドしてる奴もいるから、うちに来ないか?なんぼもろてんの?」って。店長時代の給料が24万円だったことを伝えたら、「じゃあ24万円やるから、いつから来れる?」とトントン拍子に話が進み、速攻で社長に連絡して、翌月から<サタンアルバイト>で働かせてもらうことになりました。

安田さんとHIDADDYさんの即断即決がシンクロした感じですね。でも、これでラップと結婚生活を両立できる基盤ができたと。

<サタンアルバイト>で働いたことでラップは続けられるし、ラッパーとしての地位が上がれば、会社での地位も上がる。いいサイクルが生まれる環境に、身を置けるようになったんです。スケーターでアーティストのHITOTZUKIのKAMIがデザインを担当して、韻踏合組合モデルの服を出した時とか、ラップを頑張れば会社にも貢献できるなと思ったし、服と音楽の親和性も改めて実感しましたね。

今、HIDADDYさんがしてる『一二三屋』の形態にも近しいですよね。ちなみに『一二三屋』を立ち上げたのは、<サタンアルバイト>から独立する感じで?

まぁそんな感じですが、<サタンアルバイト>が店を閉めることになりましてね。安田さんから「HIDAは引き抜いて子どもが生まれたばっかりやのに、迷惑かけてすまん。後は自分でやれ!」って言われたんです。服の生産管理をしてた人も紹介してもらい、在庫やハンガー、レジ、照明、ソファとかの備品も全部もらって、場所だけ借りたら始められる状況でした。

『一二三屋』の名前は、韻踏合組合のデビュー曲でもある“揃い踏み”の「数えろ!一二三」のリリックから。当初は横文字系の店名も考えてたそうですが、CASPERさんが「絶対に一二三屋やで!もうそれしかないやん。デザインも考えてるから!」ということで出来たのが、この家紋のロゴ。扉や店内にもCASPERさんのグラフィティが描かれてます。

スゴイ展開!それで『一二三屋』を立ち上げたと?

そうですね。2004年12月に今は無きダウンタウンビルで『一二三屋』はスタートしました。ちゃんとやり出したのは2005年からなんですが、店を構えてたってことで、今年で20周年を迎えます。

大きな節目になりますね。ラップもして店の経営もするって、大変じゃなかったですか?

最初は全然わからずで、販売に関しては何でも売る自信はあったけど、服作りにおいては完全な素人ですからね。タグを付けるにしても、平縫いや四方縫いとかいろいろあるんやなぁと思いつつ、1つずつ勉強しながら作ってました。

今となってはええ思い出ですが、どんな局面でも絶対に諦めずに努力し続けてきたってことですよね。アメ村でのHIDADDYさんの歴史を聞いてきましたが、HIDADDYさんにとってこの街というか村は、どんなものなんでしょうか?

MY HOOD。俺の地元です。街の景色や人は変わっても、変わらずあり続けてるのは三角公園と自由の女神。三角公園ではPVも4本撮ってるし、泊まったこともありましたね。村人としては、何かあればここに集まるのがお決まりなんですよ。

地元であり、表現の場であり、自由に生きれる場所がアメ村だと。

ちなみに三角公園七不思議って知ってます?俺も1つしか知らないんですが。

何ですかそれ?

三角公園の真ん中にある1984の刻印があるんですが、そのクロスの真ん中に立ってファミマ辺りを向いてしゃべると、めっちゃエフェクトがかかるんですよ。少しでもズレたら何も起こらないんですけどね。

HIDADDYさんの立ってる場所が、三角公園七不思議の1つであるエフェクトポイント。ぜひお試しを!

マジですか!?

俺が知ったのは15年前くらいですが、村人なら知ってる人はけっこういるかな。エフェクトかかって声がちょっとディレイする感じやから、ここで歌ったら気持ちいいやろね。不思議な話やけど、みんなも1回試してみてください(笑)

HIP HOPって何?ラップって何?と聞かれたら、俺なんですよ。俺がHIP HOPであり、俺の歌がラップなんです。
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Profile

HIDADDY

本名は肥田直幸。1979年3月15日生まれ、豊中市出身。韻踏合組合やHEAD BANGERZのメンバーとしてはもちろん、ソロ活動でもジャパニーズHIP HOPの黎明期から活躍し、圧倒的な押韻スタイルでシーンを牽引。自身がオーナーを務める『一二三屋』は、ラッパーの、ラッパーによるラッパーのための店として人気を博し、大阪をはじめ全国からファンが集まる。サウナーでもあり、4児の父でもあり、指スケ20年選手でもあり、アメ村の村人でもある。吸ってるタバコはecho。

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