【ぼくらのアメ村エトセトラ vol.9】 もう、この道を極めていくしかない。韻を踏んで一歩を踏み出し続ける、HIDADDYさんの俺 is HIP HOPな人生。

韻踏合組合やHEAD BANGERZのメンバーとしてはもちろん、ソロでの活動、UMB大阪予選の4連覇など、圧倒的な押韻スタイルでジャパニーズHIP HOP史にその名を刻んできたラッパーのHIDADDYさん。教えを受けてきたラッパーたちは数え切れないほどいますし、今もなお最前線で韻を踏みまくり、この道を極めようとするラッパーとしての人生と、村人として生きてきたアメ村での日々をクロスオーバーさせながらインタビューしてきました。そして今年は、自身がオーナーを務めるラッパーのための店『一二三屋』も20周年!!大きな節目を迎え、シーンに確かな功績を残してきたのは間違いないんですが、まだ通過点なのかな?ひょっとすると序章かも?と思わせてもらえるのは、HIDADDYさんが立ち止まることなく歩み続けてるから。そんなHIDADDYさんの俺 is HIP HOPな人生、お届けします!

食っていくというか、当時はラップしてCD出せば食えるとは思ってもなかった。でも、ラップしかしてなかったし、俺にはラップしかなかったから。

まずはHIDADDYさんのルーツを辿っていきたいんですが、HIP HOPに興味を持ったのはいつ頃だったんですか?

最初に興味を持ったのはダンスでしたね。中1の2学期にあった文化祭で中3の人たちが演劇をしてたんですが、当時はダンス甲子園が流行ってて、MCハマーのダンスを踊ってる人がいたんです。それを見て衝撃を受けてしまって。中3に兄がいたから、ダンスを踊ってたバブオ君を紹介してもらったのが、全ての始まり。バブオ君の家にはターンテーブルもあったので、いろいろ教えてもらうようになったんです。

ダンス甲子園、懐かしいですね。そこからダンスを始めるんですか?

興味は持ちつつも、実際に始めたのは中2の夏くらいだったかなぁ。

何かきっかけが?

ちょうど夏頃に、田舎の学校と提携して交換留学するような市の教育プログラムがあったんです。豊中には1中から18中まであって、各学校から男女1名ずつ選ばれるんですが、俺は16中の代表になってね。その時に7中のアツ、4中のツルって奴らと仲良くなって、みんなダンスが好きやったから「チーム作ってやってみよ!」って感じで。緑地公園にラジカセ持って集まり、夜な夜なダンスしたりしゃべったり、いろんなことしてましたね。

SNSがある今とは違って、中学時代で他の学校の子とつるむのって珍しい気がします。

あんまり他では聞かなかったかなと。で、4中のツルが友だちのナベって奴を連れてくるようになったんですけど、そのナベが今の茂千代なんですよ。

えっ!そうやったんですね。その頃からの付き合いで、お互いがシーンを代表するラッパーになってるというのがスゴイ。みんなでダンスをしてたってことですが、HIP HOPにはどのようにして浸かっていくんですか?

茂千代の家とかでもHIP HOPはよく聞いてたんですけどね。ただ、自分でラップするっていう感覚にはまだなってなかった。中学を卒業してみんなは高校に行くんですが、俺は散髪屋をちょっとかじるんですよ。関大前の『ヘアブティック24』って店で働くようになり、WORD SWINGAZのOKI君とかいろんなDJが来てて、当時はダンスしか知らんかったけど、HIP HOPの知識もどんどん得られるようになってね。

めちゃ刺激的な環境!

そこで出会った先輩たちは今でも付き合いがありますね。自分の中ではその環境もだし、もう1つ衝撃だったことがあるんです。それは、同じダンスチームだった奴らの活躍。

緑地公園で夜な夜なダンスしてたメンバーの?

ツルは別の高校に行ったんですが、アツと茂千代は同じ高校に進んでて、てっきりダンスチームを作ると思ってたらラップチームを結成したんです。ダイナモっていう名前で。それもビックリやったけど、テレビ東京の「浅草橋ヤング洋品店」という番組のラップ企画に出演することも決まって…。

「若きラッパーのど自慢大会」って企画ですよね、確か。

そう!しかも、その時に全員覆面で出てきた雷っていうチームが、後に“証言”を歌うRINOやTWIGY、ZEEBRA、YOU THE ROCK、MARYAN、GAMA、DEV-LARAGEたち。アツや茂千代が雷と同じステージでラップしてる姿をテレビで見た時は、もう衝撃でした。

スゴイ面々。そんな光景を目の当たりにしたら、否が応でも刺激を受けますよね。

ラップもかっこいいと思ったけど、俺もちゃんとダンスに打ち込みたくて、散髪屋を辞めてアメ村に出ることを決心したんです。16歳の終わり頃で、夜な夜なクラブで踊って家には帰らず、友だちの家を転々としながらアメ村で生活してましたね。最初は『WALKIN’ STORE』で働き出したんですが1ヶ月でクビになり(笑)、いくつか店を渡り歩いた後に『DOWN TOWN』で働いてました。

ダンス漬けの日々が始まるんですね。でも、1ヶ月でクビって(笑)

まだ若かったから、けっこうイタい奴やったかなと(笑)。まぁ『DOWN TOWN』ではちゃんと働いてましたが、向かいの店にいわゆるボン・キュッ・ボンッなお姉ちゃんがいましてね。店員のツレとお姉ちゃんのことをよく話してたこともあって、ある日、当時流行ってたSOUL SCREAMのトラックに合わせて「向かいのお店のボン・キュッ・ボンッなお姉ちゃんからは俺なんかアウトオブ眼中」って、リリックを乗せたんです。

それがHIDADDYさんにとっての初めてのラップってことですか!?

初めてのリリックは、まさにアウトオブ眼中なものでしたけどね。そこから俺もラップしてみよかなと思うようになったんです。

ダンスの道は諦めようと?

ダンスもしたかったんですが、今みたいにコンテストやバトルもなかったし、クラブのダンスイベントでショーケースがあるくらい。何度か出演もしてたけど、ダンサーはやっぱり2人以上で長い時間かけて練習しないとダメで、なかなか仲間にも恵まれなかったんですよ。みんな捕まったり、飛んだりして(笑)、最終的に1人になってしまったので。

アメ村にラップの仲間はいたんですか?

特にいなかったですが、ラップはトラックさえあれば1人でもできますからね。当時はみんなオリジナル音源でやってなくて、レコードのインストを探して合うの見つけて歌うのが主流。レコードさえあれば、例えば「この2曲目をかけて!」的な感じで、ライブもできてたんですよ。ほんまに一瞬ですが、ダンスのショーケースに出た後にラップでライブしてた時期もありましたね。多分、2回くらいはあったかなぁ。

16歳でアメ村に出て、HIDADDYさんがダンスの道からラップの道へ進み始めた90年代半ばは、ジャパニーズHIP HOPの黎明期的な時代だったと思いますし、大阪のアンダーグラウンドシーンでもいろんなラッパーの方々がしのぎを削ってたんじゃないかなと。

ラップに本腰入れて取り組むようになってから最初に知り合ったのが、CHIEF ROKKAでしたね。クラブのバーカウンターでERONEさんやSATUSSY、DJ KANが話してて、来日するGroup Homeとベイサイドジェニーでライブする時のビデオカメラマンを探してたので、「俺その日行けますよー」って。それで8ミリカメラの係として、ライブに参加したんです。

なんと!後の韻踏合組合のメンバーとは、そんな出会いだったんですね。

自分でラップもしつつ、CHIEF ROKKAの8ミリカメラ係もしてたんですよ。それからERONEさんの後輩のアツシ(AACと命名)を紹介してもらい、HIDA+AACとして一緒に活動してましたが、AACが家庭の事情で抜けることになったのでソロで動くように。

遊戯さんやDJ KITADA KENさんとのHEAD BANGERZはその後に結成を?

そうですね。遊戯とはドンフレックスで出会ったんですけど、歳下やのに俺のことを顎で呼ぶような奴で(笑)。「ラッパーやったらラップしてみろよ!」って言うて見せてもらったんですが、まだまだな感じやったなと。その頃のラッパーはフリースタイルとかしてなくて、でもERONEさんはどんどんフリースタイルをしてたから、俺もだいぶシゴかれてたんですよ。それで遊戯も俺が働いてた店に通うようになり、フリースタイルでラップのスキルを磨くようになっていきました。

店で練習してたんですか?

『DOWN TOWN』を辞めて『バラカ』っていうアクセサリー屋で働いてたんですが、社長が寛大な人で、営業終わりにみんなが集まってパーティーしてたんですよ。フリースタイルしたり音源録ったり、ライブに出かけたりと、毎晩ラップ漬け。

フリースタイルをするってのは、今で言うとサイファーする感じですかね?

当時はサイファーって言葉もなかったけど、そんな感じですね。フリースタイルに関しては、ERONEさんにほんまに揉んでもらいました。

ラップに夢中になれる、めちゃくちゃ濃い時間ですね。HEAD BANGERZの結成はどんな経緯で?

遊戯とはお互いがソロだったから、俺もお前のライブを手伝うから、お前も手伝えよって感じでタッグを組む機会が増えていき、その流れで一緒に曲を書いてみようとなって。1999年にDJ KITADA KENも誘って、HEAD BANGERZを結成したんです。

やりたい道に進み、そこで動き、人と出会う。そしてカタチになっていく。行動と人との出会いが今までの話でも印象的だなと思うんですが、当時はラップで食っていくっていう想いもどんどん強くなっていった感じですか?

食っていくというか、当時はラップしてCD出せば食えるとは思ってもなかったかな。ラップしながら何かしないとアカンとは思いつつも、何も考えてなかった気がします。ただみんなとつるんでラップして、ライブに出るのが楽しかった。それに、ラップしかしてなかったし、俺にはラップしかなかったから。中卒で勉強もしてない、ダンスも挫折して、散髪屋をちょっとかじったくらいで専門的な知識もナシ。販売員はしてたけど、自分の中ではそこまでの思い入れもなかったし。

夢中になれるのが、ラップだったと。それに自分の気持ちに正直だったからこそ、ラップが必然なものになっていったのかもしれませんね。韻踏合組合の結成にはどんな背景があったんですか?

元々は、DBCっていうクルーが始まり。NasがやってるQBC(クイーンズ・ブリッジ・コネクション)をオマージュした、道頓堀ブリッジコネクションをCHIEF ROKKA、HEAD BANGERZ、Notable MC(現在は脱退)、ILLMINT(現在は脱退)で組んでて、2回くらい一緒にイベントもしてました。とにかくみんな韻を踏むのが好きで、当時は俺らの中で“韻”というワードで韻を踏むのが流行ってたんです。いつもの感じでフリースタイルをして遊んでたら、SATUSSYが「韻踏合組合ってヤバない?この名前でクルー作れへん?」って言い出してね。それを聞いてみんなが「ヤバいやん!」「俺も組合に入れてやー!」となってたんですけど、「HIDAやんはまだ韻が甘いからアカンわ」と言われたりもしてて(笑)

名前自体も、韻を踏み合ってる中で生まれたんですね!しかも、韻が甘いとアカンという入会基準もちゃんとあるという…。

まぁネタではあるんですが、悔しかったからそれまで以上に言葉を意識するようになりましたね。

言葉を意識?言葉を乗せる練習ではなくですか?

練習するというか、まず言葉を意識することがポイントなんですよ。言葉を常に頭の中で巡らせながら、ちゃんとした意味よりも韻としての響きを意識し続ける感じ。

なるほど。だからこそ言葉が直感的に飛び出していくと。リリックを残したりはしないんですか?

そんな時期もありましたけど、韻を踏むのが職業病みたいになっていくんですよ。居酒屋行ってもメニュー見て踏み出すし、誰かが何か言葉を言うと、みんなが頭の中で踏み出してフリースタイルが始まる。癖というか、頭の中の思考が完全にそうなってますね。特にERONEさんがそういうタイプだから、俺らも自然と同じ感じになったんです。

仲間の存在と環境がスキルを磨き合えるって、理想的だと思います。HIDADDYさんの徹底的な押韻スタイルも、そこに由縁するんですね。そして、2000年に韻踏合組合を結成し、2002年5月に未発表曲をまとめた音源集「Volume.0」を、同年7月にグループとしてのレコーディングアルバム「CRITICAL11」をリリース。

当時の韻踏合組合はそれぞれがグループ組んでたり、ソロで活動してたり、そんなメンバーが集まった組合という形態で、アルバム収録曲もコンピレーション的な感じでしたね。「一網打尽」のヒットをきっかけに、組合ではありつつも、1つのグループとしてやっていく方向へとシフトしていき、現在に至ってます。ちなみに最初に出した「Volume.0」は、ほんまは2000年に出す予定だったんですよ。

何かあったんですか!?

出す予定やったインディーズレーベルの奴が、マスター音源を持って逃げたんですよ。

マジですか…、そんなことあるんですか!?

SATUSSYがそいつを見つけて捕まえて、結果的には取り返せたんですよ。で、別のレーベルのKSRから出せることになったからよかったけど(笑)。その時の詳しいエピソードは、2003年にリリースした「The Infumemas…EP」の“24時”って曲でSATUSSYが歌ってます(笑)

アメ村は、MY HOOD。俺の地元です。街の景色や人は変わっても、変わらずあり続けてるのは三角公園と自由の女神。三角公園ではPVも4本撮ってるし、泊まったこともありましたね。
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Profile

HIDADDY

本名は肥田直幸。1979年3月15日生まれ、豊中市出身。韻踏合組合やHEAD BANGERZのメンバーとしてはもちろん、ソロ活動でもジャパニーズHIP HOPの黎明期から活躍し、圧倒的な押韻スタイルでシーンを牽引。自身がオーナーを務める『一二三屋』は、ラッパーの、ラッパーによるラッパーのための店として人気を博し、大阪をはじめ全国からファンが集まる。サウナーでもあり、4児の父でもあり、指スケ20年選手でもあり、アメ村の村人でもある。吸ってるタバコはecho。

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