今年もグッドミュージックをビーチで!『GREENROOM BEACH』をオーガナイズする釜萢直起さんがこのフェスに込めた想いと、愛する海と自分のスタイルについて。


このフェスがあったから「絵や写真をどう広めればいいか」と考えてアートギャラリーを始め、同様にフィルマーの映画を広めるために配給もするようになった。結局、今の自分たちの姿は『GREENROOM FESTIVAL』が起点。

小さい頃からサーフィンしてたそうですが、いつくらいから始めたんですか?

東京の町田市出身で、電車一本で鵠沼や江ノ島に行ける場所に住んでたんですよ。みんな物心ついたらスケボー始めるか、ヤンキーになるかって感じのエリアでね(笑)。スケボー側に進んだヤツらは、夏休みになるとサーフィンもするっていうカルチャーが昔から色濃くあって、自分も中学生の頃から始めたんです。友だちの兄貴の板を借りて、鵠沼に行ったのが最初だったかな。高校生の頃も夏休みにやる程度だったけど、大学に行ってから本格的にやり始めましたね。

本格的に始めるきっかけがあったんですか?

サーフィンはずっと好きだったから、シドニーに留学したんですよ。現地ではもう、サーフィン三昧の日々(笑)

どれくらい留学を?

1年ですね。サーフィンが盛んなマルーブラビーチやクージービーチのすぐ近くの学校だったから、毎日海に入ってたし、長期休みの時はゴールドコーストとかサンシャインコーストまで車で遠征したり。現地のフェスにもよく行って、とにかく遊びまくってた(笑)

そりゃ、しょうがないですよね、好きなものに囲まれてますから(笑)。でも、その1年のリアルな経験って、釜萢さん的にもデカイんじゃないですか?

シドニーに留学してなかったら今はないだろうし、今の自分のベースとなるサーフカルチャーやビーチカルチャーを理解できたのも現地に住んだからこそだと思う。向こうはビーチごとにビーチクラブがあってライブセーバーも配備され、すぐ近くにはスポーツバーもあるからコミュニティがちゃんと形成されてる。そういうところも日本とは大きく違うなと。他にもバイロンベイやヌーサヘッズとかいろんなビーチを巡り、リアルな体験をしたことで、改めて海沿いの生活が好きだなって実感するようになったんです。

サーフィンしたりビーチを知るだけじゃなく、現地の空気感を感じるのって、やっぱり違いますもんね。いろいろお話を聞いてて思うのは、釜萢さんのバックボーンから今への繋がりにブレがないなと。ちなみに前職の出版社ではどんなことを?

学生時代からサーフィンの専門誌でバイトしたり、海外のプロサーファーがツアーできた時にアテンドとかもしてたんです。元々マスコミ系の道に進みたい想いはあったので、新卒でトランスワールドジャパンという出版社に就職。当時創刊したばかりだった『warp MAGAZINE JAPAN』で働いてたんですよ。

めちゃくちゃ読んでました!

編集を希望しつつも、配属されたのは広告営業でしたけどね(笑)。結局2年ほど勤めて、もっといろんなブランドのブランディングに本腰入れて携わりたくて独立したんです。周りにはフリーランスのスタイリストやカメラマン、ライターもいたから、「できるじゃん!」って感じで。

そこがGREENROOMの会社としての始まりになるんですね。フェスはもちろんですが、他にはどんな仕事を?

創業当時は編集プロダクションとして雑誌や広告を制作したり、サーフィンブランドのブランディングもしてましたね。今は自社開催のフェスが6本あって、サーフィンのコンペディションやスケートボードの世界戦の東京大会を運営・制作したり、映画の配給、横浜とハワイのホノルルでアートギャラリーをしたりとか。

いろいろ聞きたくなる内容ですが、自社開催のフェスが6本もあるんですか!?

そう、だから怒涛なんですよ(笑)。5月に『GREENROOM FESTIVAL』、6月に泉南ロングパークで開催する『GREENROOM BEACH』、7月には『GREENROOM CAMP』と『OCEAN PEOPLES』、8月には逗子で『MARINA SUNSET』、9月には横浜赤レンガ倉庫で『LOCAL GREEN FESTIVAL』があって。

圧巻のボリュームですね。自分たちでモノづくり、コトづくりがしたくて2005年に『GREENROOM FESTIVAL』を立ち上げ、ここまで広がっていくなんて、ビジネスとしても改めてすごいです。

自社のフェスがあることで自分たちのモノづくり、コトづくりはしっかりできてるし、会社としても受託の仕事はあるから、バランスは取れてるんですよ。

双方がいい影響を与えて、生かし合えてると。

『GREENROOM FESTIVAL』で言えば、毎年40バンドが出演して、アーティスト・フォトグラファー・フィルマーは24人参加してます。これまでの18年間で考えたら、何百人もの方々とセッションしてるんですよね。そういうのがうれしいし、会社としてもやっぱり盛り上がるから他の仕事にも繋がる。それに、このフェスがあったから「絵や写真をどう広めればいいか」と考えてアートギャラリーを始め、同様にフィルマーの映画を広めるために配給もするようになった。結局、今の自分たちの姿は『GREENROOM FESTIVAL』が起点なんです。そういう意味でもラッキーだったし、やってよかったなと。フェスしてなかったら、どうなってたか…(笑)

全てが必然な上で成り立ってますし、その根底に想いがあるから繋がり、しっかりと続いてる。『GREENROOM FESTIVAL』自体が、一つのカルチャーだと思います。自社フェスが6本あって、受託案件も多岐に渡る中で、釜萢さんが仕事をする上で大切にしてることって何ですか?

会社には「STYLE IS EVERYTHING」「スタイルがすべてだ」というコンセプトがあるんです。100人100色みたいな意味で、そんなスタイルでやっていこうよって。元々はDOGTOWNの映画のコンセプトで、そこに感銘を受けたのが始まり。何をするにしてもその言葉は常に自分の中にあるし、会社の方向性としても、その言葉があったから迷わずにやって来れたかなと。

『GREENROOM FESTIVAL』で大切にしてる“自由”にも、通ずる言葉ですね。この流れでちょっと聞きたいんですが、釜萢さんが人生を生きる上で大事にしてることとは?

FAMILY FIRSTだね。仕事と遊びの境目がないような状態で、好きなことを仕事にしてるから、FAMILY FIRSTはとにかく大事にしてるし、常に目指してること。今は鎌倉在住だけど、東京に暮らしてた時は会社から徒歩圏内に住むのがポリシーでね。今考えると何て間違ったことをしてたんだと思う(笑)。仕事だって何時まででもやってたし…。

鎌倉に引っ越したのは大きな転換にもなったんですね。

今まで以上にFAMILY FIRSTへとギアチェンジするきっかけにはなったと思う。しかも海から20メートルの場所だから、大好きなサーフィンが完全にライフスタイルの一部になってますね。

『GREENROOM BEACH』では、ビーチの階段に座ってお酒を飲んで、音楽を聴いてほしい。スケートパークもあるから、ひょっとしたらトミー・ゲレロも滑るかもしれないね。
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Profile

釜萢 直起

株式会社グリーンルーム代表。1973年東京生まれ。町田市で育ち、中学生の頃にサーフィンやスケートボードと出会う。以来、サーフカルチャーにどっぷりと浸かりながら学生時代を過ごし、出版社勤務を経て独立。2005年に『GREENROOM FESTIVAL』を立ち上げる。現在、自社で開催するフェスは6本あり、サーフィンのコンペティションや世界的なスケートボードの大会を運営・制作しながら、日本におけるサーフカルチャー・ビーチカルチャーを牽引する。

https://greenroom.co/

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