ノリと気合いと、愛があれば。『bistro ENISHI』の谷本悠一さんが仲間と歩んで築いてきた、飲食店の普通じゃない姿とそのカタチ。
料理の世界をガッツリ経験しないまま、独立してオープン。ありえない量の食材を仕入れて、営業時間外はずっと研究してました。
軽いノリで来た大阪では、何かしてたんですか?
とりあえずバイトしようかなと思って、堂山町のカフェで働き始めました。大阪のことも全然知らないし、おもしろいお店が見つかったらいいなぁくらいのノリで始めたんですが、そのカフェの裏辺りにフランス人がやってる『Destine』というシーシャカフェがあったんです。最初見た時は完全に悪いことしてるというか、「ここは違法か!?(笑)」って思うくらいアングラな感じ。でも、そうじゃない水タバコのカフェだとわかったし、この文化おもしろいなと思って、頼み込んで働かせてもらうことになったんです。
いよいよ飲食の道ですね。
と言ってもシーシャカフェだし、作ってた料理もパスタとかケバブとか。ガッツリ飲食業を学んだというよりも、文化とか雰囲気、空間づくりとかを養ってた感覚で、その頃はバンドを組んだりもしてたんでね。
どんなバンドを?
アフロビートというか、昔で言うサンタナとかR&Bテイストなバンドで、パーカッションをしてましたね。仕事も遊びも充実してたし、居心地も良くて結局『Destine』には6年くらいお世話になってたんです。ちょうど27歳くらいの頃で、30歳までには独立したかったから、年齢的にもそろそろ動かなあかんなと。お店を辞めて東京に出るつもりだったので、その話を『Destine』の常連でもあった『SHARK ATTACK』の社長さんに相談したら、「じゃあ、うちにおいでや!」って誘われて。
『SHARK ATTACK』って、アンティーク家具のお店ですよね?
ですです。僕も飲食業するために東京へ出るって話したのに「えっ!?」って感じで。でも、「飲食とは全然違うけど、絶対にプラスになるからおいでよ!」と言われたから、右も左もわからんのにアンティーク家具の世界に入ったんです。
入ったんですね!でも、そこにも何か“縁”を感じます。
新人だけど優遇してもらって海外の買い付けにも同行したし、何もわからんのにエリアマネージャー任されたり(笑)。知らない、できないこともありましたけど、「無理なもんはないし、自分がどこまでいけるか!」と考えながら、がむしゃらに仕事してましたね。そんな毎日を送ってた入社2年目のある日、社長から「会社を拡大していくから取締役になってほしい」と言われたんです。
社長さんにとっても会社にとっても、欠かせない存在になってたんですね。でも、答えはNOだったと。何て言ったんですか?
「めちゃくちゃうれしいですが、自分の城を持ちたいし、飲食での独立は諦められない!」って言いました。ただ、必要とされてることには応えたかったので、今までやってきたことを1年かけて引き継ぐから「僕に1年ください!」と伝えたら、社長も納得してくれたんです。
なるほど!それで飲食での独立に向けて再始動し、修業するんですね。
いや、そのまま独立して『bistro ENISHI』を作ったんです。
えっ!そうやったんですね!!飲食の道に進むという想いはブレてないですが、独立の仕方はちょっと普通じゃないし、思いきりが良すぎる。まぁ、今は修業っていう概念も変わってきてますが、なかなか勇気のいる決断ですよね。
自分で決めてた道だし、あとはノリと気合いですよ(笑)
ビストロというお店のジャンルも決めてたんですか?
今まで話してきた通り、料理の世界をガッツリ経験してないですが、ジャンルだけは決めてたんです。ありきたりなお店にしてもおもしろくないから、ビストロにしよって!でも、作ったことはなかったけど(笑)
料理とかはどうしたんですか!?そこまでの経験もないってことでしたし。
友だちや先輩がフレンチのお店をしてたので、2つのお店を行き来しながら3週間くらい修業させてもらってから、2016年4月に『bistro ENISHI』を淡路町にオープンしたんです。
早い!でも、その行動力がめちゃくちゃ大切な気もします。
たまたま立ち上げを手伝ってくれる女の子がいたんです。その子はシーシャカフェ時代の同僚の子で、僕より先に独立してパートナーとお店を構えてたけど、一旦閉めて別の展開をするタイミングだったから入ってもらえることになってね。料理も上手だったし、教えてもらって試行錯誤しながら…。
かなり大変では!?
そりゃもう、大変ですよ。正直、肉の焼き方も全然詳しくなかったから、オーダーが通ってから知り合いのシェフに連絡して「この肉はどう焼くべきですかね?」と電話片手に作ってる時もありましたし…。
そもそもメニューに入れなかったらいいと思いますが(笑)
いや、でもメニューの構成的にはあった方がいいなと思ってね。レシピを提供してもらったメニューも一部ありましたけど、自分たちで考えたものが中心だったので、とにかく毎日必死でした。最初はオープン景気で友だちや知り合いが来てくれて盛り上がってましたが、やっぱり粗も出るし、お客さんから「まずい!」って平気で言われることも…。まぁ、そりゃそうなんですが、やっぱり、ノリと気合いだけじゃヤバいなと。
で、どう乗り越えていったんですか?
そこからは、1店舗を営業するのにはありえない量の食材を仕入れて、営業時間外はずっと研究です。肉とかも大きな塊で仕入れ、何十通りも焼き加減を試したり。フォアグラの調理も試行錯誤して、ソースとの相性を考えたり。業者さんも仕入れの量にはビックリしてたと思うし、お金も全然残らなかったけど、こっちはもうやるしかないですからね。
営業と修業が同時進行してる感じですね。ノリと気合いだけじゃヤバい切迫した状況だったと思いますが、そこを乗り越えれたのも、悠一さんのノリと気合いがあったからこそかなと感じてきました。あとちょっと気になったのが、仕入れ先ってどうやって見つけていったんですか?バックボーンもなかったし、そこも大変だった気が。
友だちや先輩のシェフに紹介してもらったり、食べに行ったお店で気になった食材があれば、その都度聞いてましたね。
知り合い繋がりはわかりますが、いきなり聞いて教えてもらえるんですか?
ダメならダメで仕方ないんですが、僕自身が聞くことに恥ずかしさも怖さもないんですよ。ほんまに経験もなかったから、普通に聞いてました。初めて知るような食材もあったし、「これ、どこで仕入れてるんですか?」って。身分も明かして聞くと、意外とみんな教えてくれるんですよ。今では僕も聞かれることも多くなってきて、そんな時は普通に答えてますね。
ノリと気合いと、料理とちゃんと向き合う愛があるからこそですね。そして、それらがうまく絡み合い、経験は月日の流れと共にあとからついてきて、料理人としてのスタイルも出来上がってきたと。
すごい料理人の方はたくさんいますし、これが正解かどうかと言えばそうじゃないかもしれないけど、僕の歩んできたのがその道。一緒に働いてくれる仲間も増え、お店も増えた今は、別に間違いじゃないなって言えますね。
谷本 悠一
香川県高松市出身。2016年4月に淡路町に『bistro ENISHI』をオープン。同店は2020年1月に一旦クローズ後、2021年7月に京町堀に移転し、2024年4月に現在の地に。他にモダン居酒屋の『やらずのあめ』、焼肉店&精肉店の『29.CENTRAL』、モダンメキシコ料理の『Écle Enishi』(現在移転準備中)も営む。料理人としての本格的な経験はないながらも、ノリと気合いと愛、そして他業種で培ってきた感性を武器に、街の人気店を次々と手がけている。
Instagram: @yarazu_no_ame
Instagram: @29.central
Instagram: @ecle.enishi