あの日から、好きなことにずっと夢中。エクストリームスポーツの世界で戦い続ける渡辺元樹さんと豊間裕介さんが放つ、芸を極めるGEISHAとしてのアイデンティティ。


審査員とかにも「なんでお前らに順位を決められなあかんねん」って思うようになってね。競技としてのスノーボードはやめて、自分を一番表現できるフリーランにシフトしたんです。

続いては裕介さんの活動について聞かせてください!お父さんの影響で3歳からスノボを始められてますが、そのままずっと続けてきたんですか?

裕介:小学校と中学校の頃はスノボ三昧で、休みになれば雪山に出かけるような生活でした。でも、実は少しだけスノボから離れてた時期があったんですよ。高校に入学はしたんですけど、勉強しててもあんまり意味ないなと思って中退しちゃってね。

なるほど。ちなみにどれくらいで?

裕介:高校1年生の夏くらいに(笑)

だいぶ早い決断ですね。それで何をしてたんですか?

裕介:勉強するよりも、自分の人間性を高めたいと思ってたんです。だから、勝也君の海外ネットワークを使って、色んな国に行くことにしました。最初に行ったのはカリフォルニアのオレンジカウンティで、そこはスノボもサーフィンもスケボーも全部が楽しめるような場所。色んなカルチャーを吸収しながら各国を転々として、たまにスノボしたりっていう旅を2年間ほど続けてたんです。それで、やっぱり俺にはスノボしかないと思って。本気で取り組むために帰国して、北海道を拠点に活動をリスタートしました。

急がば回れというか、裕介さんが自身のことや本当に好きなことを見つめ直す大切な期間だったんですね。北海道ではどんな生活だったんですか?

裕介:帰国したのが18歳くらいで、そこから10年ほど北海道に住んでました。最初は住み込みで働きつつ国内の大会にエントリーしたり、日本のシーズンオフのタイミングで海外修業に行ったりしてたんです。大阪に帰ってくるのも年に1回くらいだったから、元樹みたいな感じでしたね。

まさに好きなことに夢中になってる時期ですね。ちなみに裕介さんはいつ頃にプロになったんですか?

裕介:21〜22歳の頃ですね。スロープスタイルやスノーボードクロスなどの色んな大会で勝ち出した時に見てくれてる企業がいて、最初にYonexがサポートしてくれるようになり、そこからスポンサーさんも増えていきました。ただ、大会に出て活躍すればするほど、プロスノーボーダーとしての自分と、豊間裕介としての自分の間にどんどん葛藤が大きくなっていったんです。

それはどんな葛藤だったんですか?

裕介:まぁプロなので当たり前のことなんですが、スポンサーさんは成績で全てを見るんです。豊間裕介の個性は二の次だったし、大会にも出てたけど、だんだんフラストレーションも大きくなってね。自分の中で腑に落ちないくらいのものになって、審査員とかにも「なんでお前らに順位を決められなあかんねん」って思うようになり、完全にグレてしまったんです(笑)

競技だから順位がつくのは仕方ないですが、もっと裕介さん自身の個性やスタイルを見てほしかったと。

裕介:ですね。それで自分だけの表現を追求するために、競技としてのスノーボードはやめたんです。これは自分にとっての大きな転機でしたね。

ちょっと言い方は悪いですが、自分の気持ちを押し殺してプロにすがりつく人も少なからずいるとは思うんです。でも、そうじゃなくて自分の気持ちに正直に生きる。すごい決断だけど、何か吹っ切れた感じでしたか?

裕介:5年間ほど競技に没頭してたし、その中での決断だったので、自分を一番表現できるものが見つかったという感覚でしたね。今はフリーランでバックカントリーを滑り、映像や写真を作品として残しながら活動してます。たまに自分が出たいと思う大会には出場することもありますが、協会が主導してるやつには出ないっすね(笑)

自分を一番表現できるものと出会えたって、めちゃ素敵。それを自信を持って言えてるのは、裕介さん自身が充実してるからでしょうね。シーズン中はどんな毎日を送ってるんですか?

裕介:12月中旬から北海道を拠点に活動して、東北や長野にも行ったりしてます。基本的にはゴールデンウィークくらいまではスノボ中心の生活ですね。まず朝起きてコーヒー飲んで、雪山を登っていいポイントを探しながらチェックして、ここ!って決めたところで撮影しながら滑り始めます。それを2〜3本やって下山したら15〜16時くらいになってるので、そのままメシ食べて温泉入って、明日のポイントを相談して寝る。そんな生活をシーズン中は繰り返してますね。

スノーボードと向き合いつつ、常に自然と対峙してる感じですね。しかもバックカントリーだから、余計に危険もつきものじゃないんですか?

裕介:見えないところに魔物がいますからね。俺は元樹ほどじゃないけど、腓骨と脛骨を2本折ったことがあり、その時はマジで立てませんでした。しかもゲレンデじゃない場所やったから、どんどん体が冷えて低体温症になってヤバかったんです…。

それはヤバい…。裕介さん1人だったんですか!?

裕介:3人で滑ってたから、残りの2人が助けてくれてね。「救助のためにソリを買ってきてー」と言ったんですが、子供用のソリを買ってきて…(笑)。お尻しか乗れへんかったけど、それで無事に下山できました。1人やったら、マジで死んでたと思います。

ほんまに良かったですね。今シーズンも雪山で裕介さんのスタイルを思いきり発揮されてると思いますが、これからの目標を聞かせてもらえれば!

裕介:映像や写真として作品を残してきてますが、今シーズンも含めてこれからは今までやってないことに挑戦したいと思ってます。シェイプ(山の起伏)が立ってるところに、ガンガン攻めていきたいなと。体の調子も過去一番いいので、自分のスタイルをもっともっと高めていきたいですね。

静かに興奮する。僕らのアイデンティティをカタチにした<GEISHA>では、それぞれのシーンで個性を楽しむことを伝えていきたい。そして、2人にしかできないイベントができたらなって、思ってます。
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Profile

渡辺 元樹

1989年生まれ、東大阪市出身。ニックネームはWANKY(ウェンキー)。小学生からモトクロスを始め、レーサーを経て2010年にフリースタイルモトクロスに転向。2015年にはX Gamesにも出場を果たし、これまでにシルバーメダルを3つ獲得。2019年にラスベガスで行われたモンスターエナジーカップ「ビゲスト ウィップ コンテスト」では優勝。日本を代表するトップライダーとして世界を舞台に戦い続けている。

Profile

豊間 裕介

1990年生まれ、東大阪市出身。父の影響で3歳からスノボを始め、幼少期は雪山を求めて家族で車中泊をしながら各地を旅する。高校中退後に自分の人間性を高めるために渡米し、色んなカルチャーを吸収して2年後に帰国。拠点を北海道・ニセコに移して活動する中で、自身のスタイルを追求するためにバックカントリーでのフリーランにシフトする。現在は<Deus Ex Machina>のオフィシャルライダーとして作品制作からスノーボードギアの開発にも携わり、2024年秋には自身初となるシグネチャーモデルを発表。

Data

GEISHA

エクストリームスポーツの世界で戦い続けるフリースタイルモトクロスライダーの渡辺元樹とプロスノーボーダーの豊間裕介によるブランド。ファーストリリースの手ぬぐいは、2人のアイデンティティをカタチにしたもの。セカンドリリースのアイテムにも乞うご期待を。

https://geisha.theshop.jp/

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