あの日から、好きなことにずっと夢中。エクストリームスポーツの世界で戦い続ける渡辺元樹さんと豊間裕介さんが放つ、芸を極めるGEISHAとしてのアイデンティティ。
福島県で土方仕事をしながら毎日練習して、バックフリップを習得して渡米。そこから一気に繋がりも広がって、世界で戦えるようになっていきましたね。
ここから2人が取り組んでいる活動について詳しく聞かせてください。元樹さんは小学4年生からモトクロスを始めて、現在はフリースタイルの選手として世界で活躍されてますが、どんな道を辿ってきたんですか?
元樹:モトクロスを始めてから、レーサーとして全日本チャンピオンを目指しながらアメリカでの活躍を夢見て活動してきました。レースが大好きだったけど、練習もきついし、他に趣味が持てないくらい全ての時間を捧げてて、周りも真面目な人が多いから、プロに近くにつれて「もっと真剣にやれよ!」っていうバッシングも増えていったんです。17歳でプロレーサーにはなったんですが、右足を大怪我して9ヶ月くらい休んでた時期があって。その時に今も世界で活躍してるフリースタイルモトクロスの選手である東野貴行君が、「お前、目が死んでるぞ。とりあえずジャンプ台を飛んでみたら?一緒に練習に行こうや」と誘ってくれたんです。昔からジャンプ台を飛んでトリックしてる姿とか、タトゥーや服装、ライフスタイルも含めてフリースタイルの選手はかっこいいなと思ってたので、誘われるがままに行くことにしました。それで飛んでみたら、レースとはまた違う刺激がって、めちゃくちゃ楽しかったんですよ。その瞬間に、「フリースタイルがしたい!レースはやめよう!」と決心しましたね。
同じモトクロスだけど全く違う競技だし、今まで積み上げてきたものをゼロにしてもいいと思えるほどの、体験だったんですね。でも、プロになってるから、チームとか契約とか色々あるのにやめれたんですか?
元樹:レースのシーズン途中で、怪我も癒えてそろそろ復帰するタイミングでした。僕がジャンプ台を飛んでる時にたまたまチームの先輩が同じ練習場にいて、「あいつ、夏の名阪大会に向けての練習もせずに飛んでましたよ」って言うたみたいで…。それですぐにチームの社長から電話があり、「中途半端にするなら、やめてもらっていいから」と言われたんです。それで「はい!やる気ないからもうやめます!」って感じで。まぁ、だいぶ問題にはなりましたけど(笑)
ですよね。そうなってもフリースタイルをやりたかったと。
元樹:ただ、バイクもチームに返却したから何も乗るものがなかったんですよ。その時に東野君の友だちでフリースタイルをやってる先輩が「本気でやるなら自分のバイクを買うまで貸したるわ」と言ってくれて。バイトをしながら週に1回くらいは練習もしつつ、今までスポンサードしてくれてたメーカーさんのイベントに行って遊んだりしてたんです。でも、そんなフラフラしてる感じやったから、やる気がないと思われてバイクを返すことに…。もちろん、自分のバイクを新たに買う金もないし、途方に暮れてました…。
結局またゼロスタート…、その状況をどうやって打開したんですか?
元樹:東野君が、「お前にバイクを買ってくれるスポンサーを見つけてきたから、挨拶してこい!」と言ってくれたんですよ。
東野さん…、めちゃくちゃ元樹さんのことを気にかけてくれてたんですね。
元樹:それで挨拶に行ったら、色々な事業を展開してる社長でエクストリーム系のスポーツが大好きな方でした。即金で80万円くらいのバイクをいきなり買ってくれて、しかも毎月10万円の契約料も振り込んでくれることになったんです。でも、東野君に言われたのは、「その10万円は貯金して、月〜金でしっかりバイトしろ!契約金はアメリカに行くために使え!お前は絶対にアメリカに来ないとアカンから!」って。
将来のことまで考えてくれてたとは。そんな東野さんの想いを感じると、なおさら本気になりますよね。
元樹:でもね、そんなん言われても若いから、毎月入ってくる契約金で遊んでしまってて(笑)
ダメですやん(笑)
元樹:ただ、バイクには毎週乗って練習はちゃんとしてました。僕のフリースタイルモトクロスのデビューは2010年で、最初のコンテストでいきなり4位にもなったんです。スポンサーさんも喜んでくれたし、色んなショーにも出させてもらって調子乗ってたら、10月にまた怪我してしまって。大阪から秋田までショーのために車で移動してたんですが、到着して30分後くらいにリハーサルしないといけなくなり、1本目で引っかかって1ヶ月入院。それが僕のデビューの年のハイライトでした。
山あり谷ありだけど、いきなり4位はすごいですね。いよいよ本気モードになったと。
元樹:まぁ2010年はまだまだチャラチャラしてましたが、2011年から2012年は勝也君の店でバイトして、土日は練習漬けの日々でした。でも、もっと本気でやりたいと思って、福島県に移住することにしたんです。
なぜ福島県に?
元樹:福島県はモトクロスの聖地的な場所で、国内からライダーが集まってるんですよ。関西でフリースタイルモトクロスをやってたのは僕と釘村孝太くらいで、練習場所も少ないし、福島県に行けばもっと上達するかなと思ってね。練習場を所有するオーナーが土建屋で、コースの目の前に宿舎があるんですよ。だから土方仕事をして、終わったらすぐ練習する日々でした。やっぱり毎日乗ってると着実にレベルも上がっていくし、ショーにも呼ばれるようになっていったんです。でも、当時の僕は日本のレベルで言えば、トップ4に入れるかどうかのレベルでしたね。
フリースタイルモトクロスに打ち込むには最高の環境ですね。トップ4に食い込んでいくレベルだったということですが、そこの壁を一気にブチ破るためには何が必要だったんですか?
元樹:バックフリップですね。そのトリックを習得したらギャラが上がるし、バックフリップしながら別のトリックを合わせたりするとさらに上がる。正直、バックフリップができないと海外には出れないんですよ。だから、僕は福島県にいる間になんとしてでも習得しようと思ってました。
バックフリップができるかどうかで、大きな差が生まれるんですね。で、元樹さんは習得した。
元樹:そうですね。バックフリップも自分のものにできたし、アメリカに行くためにお金も貯めてたので、色んな人にサポートをお願いしてスポンサーになってもらい、2014年に初めて渡米しました。3ヶ月間でしたが、現地でバイクを買って東野君にもサポートしてもらいながら活動してたら、モンスターエナジージャパンとも契約することができて。それ以来、海外にもガンガン行けるようになったから、僕にとっての大きな分岐点になりましたね。アメリカの友だちも増えたし、ショーにも出て徐々に名前も知られるようになっていったんです。
本気で続けてきたことに、結果もついてきた。東野さんが「お前はアメリカに来ないとアカン」と言ってたのも、色んな部分でアメリカが元樹さんと合ってるのを見抜いてたんでしょうね。元樹さんはエクストリームスポーツの祭典でもあるX Gamesにも招待されてますが、それはどんな経緯で?
元樹:2014年の終わり頃にスイスのイベントに出たんですが、X Gamesのプロモーターが来てて、僕のライディングを見て「メルアド教えてくれ」って言われたんですよ。それで2015年の夏前にGmailで「X Gamesに呼ぶわ!」とほんまに連絡が届いたから、ビックリしましたね。初参戦の時はスピード&スタイルという、レースを3周しながらジャンプ台でトリックする競技だったんですが、順位は8位で結果としては惨敗。でも、X Gamesは呼ばれるだけで価値があることだし、結果が出なくてもスポンサーをキープできるくらいの威力があるんですよ。アメリカではテレビで放映もされるし、とにかく影響力がすごい。僕も参戦したことで海外でのスポンサーも増えて、モンスターエナジーUSAからもサポートしてもらえるようになりました。
世界の選りすぐりのライダーしか出れないですもんね。そこに選ばれたのは、ほんまにすごい。元樹さん自身も、X Gamesに出たことで視線は完全に海外に向いた感じですか?
元樹:完全に向きましたね。X Gamesに出たことがきっかけで、アメリカやヨーロッパの色んなイベントやツアーに呼ばれるようにもなったから、国内のイベントにはなかなか出れなくなったんです。アメリカを拠点にしながら1年のほとんどを海外で過ごしてて、日本に帰ってくるのは年に2回くらい。そんな生活を一昨年まで続けてました。
好きなことを貫いて世界で戦ってきた中で、拠点を日本に移したのは何か理由が?
元樹:今4歳の子どもがいるんですが、年に2回しか日本に帰ってこない上、滞在するのも2週間くらいだったので、2〜3年ほど子どもの成長が見れてなかったんです。自分は好きなことに夢中になってるけど、あまり離れすぎてるのも良くないなと思ってね。家族との時間を作るために、拠点を日本に移すことにしたんです。でも、仕事はこれしかないから引退する気は全然ないし、日本にいながらテンションを上げていきたいなと思ってるのが今の状況かな。
今しかできないことを優先したんですね。その選択もすごく大切なことだと思います。ただ、アメリカにいた時と比べて環境もガラッと変わるとなると、メンタルの維持とかも大変じゃないんですか?
元樹:もちろんメンタルを維持するのも大変ですが、やっぱり環境の違いが大きいですね。古傷の痛みもあるから昔みたいに毎日は乗れないけど、それでもアメリカにいた頃は週3〜4回は乗ってて、周りのみんなは毎日乗ってるから自分のテンションも自然と上がっていってました。やっぱり練習が一番大事だし、日々追求することで新しいトリックもできるようになる。それを繰り返せば、トリックがだんだん大きなスケールになっていくんですよ。
現在は地元の東大阪を拠点にされてますが、練習はどちらで?
元樹:奈良県の五條市にあるカルディアキャンプ場の中に練習場があるので、そこを使ってます。アメリカとは気候も違うし、練習パートナーもいないので、バイクに乗ってるのは週1くらいかな。でも、「俺は練習しなくてもいける!」っていうマインドにしてて、乗った時に一気に爆発させるような感じ。乗りたい欲を意図的に抑えてるんですよ。その代わり海外のショーに呼ばれる時は1ヶ月半くらい早く前乗りして、現地の友だちと毎日乗ってます。自分の感覚を戻しながら、マインドもテンションも上げて本番に一気に爆発させるようにしてるんです。「こっちに住めよ」とよく言われるけど、家族との時間も大切にしたいから、今は日本での環境を整えることに注力してて、協力してくれる人も増えてきてるのでいい方向には進んでるかなと。それに、自分たちが主催するイベントを日本でもやりたいと思ってるのでね。
渡辺 元樹
1989年生まれ、東大阪市出身。ニックネームはWANKY(ウェンキー)。小学生からモトクロスを始め、レーサーを経て2010年にフリースタイルモトクロスに転向。2015年にはX Gamesにも出場を果たし、これまでにシルバーメダルを3つ獲得。2019年にラスベガスで行われたモンスターエナジーカップ「ビゲスト ウィップ コンテスト」では優勝。日本を代表するトップライダーとして世界を舞台に戦い続けている。
豊間 裕介
1990年生まれ、東大阪市出身。父の影響で3歳からスノボを始め、幼少期は雪山を求めて家族で車中泊をしながら各地を旅する。高校中退後に自分の人間性を高めるために渡米し、色んなカルチャーを吸収して2年後に帰国。拠点を北海道・ニセコに移して活動する中で、自身のスタイルを追求するためにバックカントリーでのフリーランにシフトする。現在は<Deus Ex Machina>のオフィシャルライダーとして作品制作からスノーボードギアの開発にも携わり、2024年秋には自身初となるシグネチャーモデルを発表。
GEISHA
エクストリームスポーツの世界で戦い続けるフリースタイルモトクロスライダーの渡辺元樹とプロスノーボーダーの豊間裕介によるブランド。ファーストリリースの手ぬぐいは、2人のアイデンティティをカタチにしたもの。セカンドリリースのアイテムにも乞うご期待を。