あの日から、好きなことにずっと夢中。エクストリームスポーツの世界で戦い続ける渡辺元樹さんと豊間裕介さんが放つ、芸を極めるGEISHAとしてのアイデンティティ。

エクストリームスポーツの世界で、自分のスタイルを追求しながら好きなことに没頭し続けている2人がいます。フリースタイルモトクロスライダーの渡辺元樹さんと、スノーボーダーの豊間裕介さんです。彼らは地元の東大阪で出会い、そこからお互いの道を一心不乱に突き進んできました。元樹さんは世界を転戦しながらBIGトリックで数々の熱狂を生み出し、裕介さんは大自然の中で己の個性を武器にして多くの人を魅了しています。そんな芸を極める2人は、昨年10月に<GEISHA>というブランドプロジェクトもスタート。トップアスリートとしてシーンの最前線で活躍し続けている2人に、出会った頃のエピソードや自身の活動、これからのビジョン、そして新たに始動した<GEISHA>についてたっぷりとお話を聞いてきました。幼馴染であり、お互いが好きなことに没頭してきたからこそわかり合える。その関係性がめちゃ素敵だし、2人の内に秘めた熱いものをぜひ感じ取ってください!

落ちてたスコップで空き地に穴掘ってBMXのコースを作り、2人で走って飛びまくる。そんな小学生時代でした。

元樹さんと裕介さんは幼馴染だと伺ってますが、出会ったのはいつ頃なんですか?

元樹:僕が小学3年生の時なので、裕介は小学2年生でしたね。

裕介:俺はスケボーしてて、元樹はBMX乗ってたよな?

元樹:そうそう。出会った時は裕介がスケボー乗ってプッシュしてて、「お前かっこええやん!」って声をかけたんですよ。ちょうど25年前くらいかなぁ。

昔から2人ともエクストリームな感じやったんですね。周りにもBMXやスケボーしてる子はいたんですか?

裕介:全然おらんかったですね。俺は親父の影響で3歳からスノボをしてて、オフシーズンの練習も兼ねてスケボーを勧められたから始めてたんです。

元樹:僕はたまたま親父と地元の自転車屋にチャリンコを買いに行ったんですけど、たまたまブラウン管のテレビにモトクロスの映像が流れてて、それを見て「かっこええ!」と思ってね。それでBMXを買ってもらったんです。そこから見様見真似で「ブンブン!」って声出しながらBMXに乗って、地元の空き地にコースも作ったりしてて(笑)

写真左がプロスノーボーダーの豊間裕介さん、右がフリースタイルモトクロスライダーの渡辺元樹さん。今回の取材は、2人の地元である東大阪の枚岡神社で行いました。

どうやって?(笑)しかも勝手にですか!?

元樹:はい、勝手に(笑)。土木現場に落ちてたスコップを拾ってきて、空き地に穴掘ってジャンプ台を作ってたんですよ。そんな作業を毎日やってるもんだから、すごいコースが出来上がってしまって(笑)

裕介:めちゃくちゃええコースやったよな。俺も元樹と出会ってからBMXにも乗り出して、2人で一緒にコースを作りながら走ってたんですよ。しかもその空き地が元樹の家の裏やったんで、なおさら。

空き地の持ち主は何も言わなかったんですか?最初は子どもたちが遊んでるわと思ってたら、マジのコースになってるのを見て、ビックリしたんちゃいますかね。

元樹:何にも言われたことないし、そもそも一回も現れたこともないからNOクレームでした。

裕介:結局10年くらいはそのままの空き地やったんですよ。

今やったら完全アウトでしょうけど、ええ環境やったんですね。裕介さんはお父さんの影響でスノボを始めてたそうですが、元樹さんはいつからモトクロスを?

元樹:モトクロスにハマるきっかけは、地元の2歳上と5歳上のお兄ちゃんたちと出会ったことですね。僕らがいつも通り空き地のコースでBMXに乗ってたら、お兄ちゃんたちも噂を聞きつけて遊びに来るようになったんですが、その2人がモトクロスをしてたんです。お父さんの工場に置いてるモトクロスに乗らしてもらった時は、すごくテンションが上がりました。そんな僕の姿を見て、「本気でモトクロスが好きなら、来週一緒に乗りに行こう」って誘ってくれたんです。それで実際にちゃんとしたコースで乗ったら、めちゃくちゃ楽しくて。帰りに即行で親に連絡して、「スケボーもスノボもやめるからバイク買ってほしい!」ってお願いしました。親も本気なのを認めてくれたので、小学4年生からモトクロスを本格的に始めるようになったんです。

自作した空き地コースが生んだ縁ですね。裕介さんは冬はスノボ、オフシーズンはスケボーっていう感じやったんですか?

裕介:そうですね。ただ親父が23歳の時にできたのが俺で、若かったし、スノボとか横乗り系スポーツが大好きだったんで、家族でノマドみたいな生活を10年ほどしてました。旅をしながらスノボして、たまに東大阪に帰ってくるみたいな。幼い頃は学校もほぼ行ってなくて、マジで転々としてたんですよ。

でも、その時にしかできない経験をさせてもらえたのは、めちゃ貴重ですよね。小学生以降も、元樹さんと裕介さんはそれぞれが好きなことに夢中になりつつも、遊び友だちとしての関係が続いていったんですか?

裕介:元樹が中学を卒業する前に、俺は転校しちゃったんですよ。中学2年生の夏休み終わりくらいに。

元樹:まぁ車で15分くらいのエリアなんですけどね。中学生の時はあんまり交流がなくて、僕はモトクロスばっかりの生活だったし。やっぱり一番濃かったのは、小学生の頃やったかなぁ。

裕介:俺も休みの時期はずっと雪山に行ってたんでね。

お互いの道を極めていくために没頭してたと。再会したのは何かきっかけが?

裕介:地元の先輩である勝也君の存在ですね。Sick Sideというエクストリームスポーツに取り組んでるヤツらが集まるクルーを勝也君が作ってて、俺も元樹もメンバーに加えてもらってたので、そこを介して会うって感じやったかな。

元樹:勝也君は僕らの地元で『肉の森田屋』っていう焼肉屋を展開してて、そこで年に1回くらい集まるようになったんですよ。「メシ行くけど、来れる?」みたいな。

なるほど、じゃぁ頻繁には会ってはないけど連絡は取り合ってたと。

元樹:僕らおもろいことに、個別の連絡は全然取り合ってないんですよ。いつも勝也君が僕らの間を取り持ってくれてて、「裕介はいついつ来れるらしいけど、元樹はどう?」って感じで。マネージャーみたいな動きもしてくれてるんですが、僕らにとってはほんまに頼れる兄貴なんです。勝也君自身もフィルマーで、サーフィンのDVDとかを作ったりもしてるし、裕介も何本か作品を撮ってもらってます。本業の焼肉屋でも成功してて、副業もガッツリやってるから説得力があるんですよ。「俺は映像やカメラが好きで夢中になってるから、お前らも頑張れよ」って、よく言われてますね。

裕介:後輩の俺たちを導いてくれる良き兄貴ですね。ちなみに、Sick Sideのクルーには他にサーファーやスケーターもいるんですが、みんな『肉の森田屋』でバイト経験がある(笑)。登竜門的な場所でもあるんですよ。

そんな頼れる先輩というか、面倒を見たり気にかけてくれる兄貴がいるのは、ありがたい話ですよね。ちなみにみんなで集まるようになったのは、いつ頃なんですか?

元樹:20歳くらいですね。みんなそれぞれの道に夢中になってた時期だし、地元には住んでるけど全然会えてなくて。そこを勝也君が繋いでくれたんですよ。

福島県で土方仕事をしながら毎日練習して、バックフリップを習得して渡米。そこから一気に繋がりも広がって、世界で戦えるようになっていきましたね。
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Profile

渡辺 元樹

1989年生まれ、東大阪市出身。ニックネームはWANKY(ウェンキー)。小学生からモトクロスを始め、レーサーを経て2010年にフリースタイルモトクロスに転向。2015年にはX Gamesにも出場を果たし、これまでにシルバーメダルを3つ獲得。2019年にラスベガスで行われたモンスターエナジーカップ「ビゲスト ウィップ コンテスト」では優勝。日本を代表するトップライダーとして世界を舞台に戦い続けている。

Profile

豊間 裕介

1990年生まれ、東大阪市出身。父の影響で3歳からスノボを始め、幼少期は雪山を求めて家族で車中泊をしながら各地を旅する。高校中退後に自分の人間性を高めるために渡米し、色んなカルチャーを吸収して2年後に帰国。拠点を北海道・ニセコに移して活動する中で、自身のスタイルを追求するためにバックカントリーでのフリーランにシフトする。現在は<Deus Ex Machina>のオフィシャルライダーとして作品制作からスノーボードギアの開発にも携わり、2024年秋には自身初となるシグネチャーモデルを発表。

Data

GEISHA

エクストリームスポーツの世界で戦い続けるフリースタイルモトクロスライダーの渡辺元樹とプロスノーボーダーの豊間裕介によるブランド。ファーストリリースの手ぬぐいは、2人のアイデンティティをカタチにしたもの。セカンドリリースのアイテムにも乞うご期待を。

https://geisha.theshop.jp/

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