【ぼくらのアメ村エトセトラ vol.8】 努力を諦めない限り、成長は続く。CHOPPERさんが挑んできた、世界とアメ村でのスケートボードライフ。

「俺は才能がないから、努力するしかないんです」と語ってくれたCHOPPERさん。大阪発、アメ村経由で世界を舞台にスケートボードシーンで活躍するその存在は、50歳になった今もバリバリの現役で、やってることも抱いてる想いもアツいまま。昔から雑誌や街でCHOPPERさんを見てきた人にとっては大阪のレジェンドスケーターだけど、正直“レジェンド”っていう過去的な言葉は適さないなって思うんです。それは、やっぱり今もすごいから。世界照準でスケートボードと向き合いながら、アメ村では小学生や中学生と一緒にスケートしてるCHOPPERさんに、これまでとこれからの歩みについて聞いてきました。待ってるんじゃなくて挑み続ける姿勢と、好きなものへの変わらない想いは、スケートボードをやってるやってないに関わらず、いろんな人に届くんじゃないかなって思います。

絶対プロになりたかったから、朝・昼・晩は欠かさずに人の3倍は練習してた。

CHOPPERさんのこれまでの人生を振り返りながら、色々とお話を聞かせてもらえればと思います。スケートボードを始めたのはいつ頃だったんですか?

中学3年生の時ですね。3歳下の弟が先に始めていたので、借りてやってみるとハマってしまって。当時はストリートカルチャーやファッション、音楽にも別に興味はなくて、遊びの延長でやってました。どちらかと言えばゲームとか手品、超能力が好きで、今で言う明るいオタクの先駆けみたいな感じかなぁ。ただ、興味や好奇心が湧いたものにはとことん熱中するタイプやったし、それは50歳になっても変わってないですね。

スケートボードのどんなところにハマったんでしょう?

そもそもグループワークとかチームワークが好きじゃなかったんです。スケートボードは個人で完結できる要素があって、他人と比較されがちな部活動や平均化が求められる学校などとは違って、コミュニティでも個人を尊重してますからね。あと、俺という人間の性質も関係してて、専門家に診てもらったわけじゃないけど、今考えるとアスペルガー症候群やADHDかもしれないなと。そういった部分も含めて、個人競技のスケートボードがフィットしたんです。

なるほど。スケートボードの特性とCHOPPERさんの内面がフィットしたと。当時の楽しかった思い出とかはありますか?

正直、楽しかったのは始めてから3年間くらいだけですね。

そうなんですか!?

最初はチックタックを見て、左右に動かすだけで何で推進力が生まれるのか気になったし、それで坂道まで上れるのが超能力のようにも思えてた。そこからいろんなトリックを覚えて、一つずつ達成できるのがうれしかったんですけどね。でも、負けん気が強くて、とにかくプロになりたかったから、上手くなることだけをずっと考えてました。楽しさよりも、何かを達成する度に体感できる自己向上感の方が、俺の中では目的になっていったんですよ。

CHOPPERさんをはじめ、OSAKA DAGGERSのクルーで営んでいるショップ『WHEV』。アメ村・三角公園の前のビルにあり、世界中のスケーターたちが集まってくる。

ということは、高校を卒業するタイミングで本気でプロを目指し始めたと。

結果的にはそうですね。実は大阪芸大を受験したんですが、落ちてしまって…。進学を目指したのも、プロになるためにスケートボードに取り組む時間が欲しかったからなんですが、その時に親父が「お前どうすんねん?スケートボードのプロは食っていけるんか?」と問い詰められました。食っていけるかどうかは分からんかったけど、プロという肩書きを得るために熱中してたのは親父も知ってたので、「どうせ勉強するかどうかも分からんし、4年間だけ大学に行ってると思って俺が飯を食わしたるわ!絶対にプロを目指せ!」と言ってくれたんです。

めちゃくちゃええ親父さんですね!

2020年に亡くなってしまったんですが、今になっても感謝はしてます。親父からは「その代わりバイトもするな!バイトする暇があったら、スケボーしろ!必要な小遣いもあげる」って。家庭環境がちょっと複雑で、高校までは奈良に住んでたんですが、卒業した翌日に親父が住んでる八尾の家に引っ越して、そこからサポートしてもらいながらスケートボード三昧の毎日が始まったんです。

子どものためだったとしても、なかなかそこまで言い切れる親父さんは少ないかと思います。引っ越してからの毎日は、どんな感じだったんですか?

甘やかされてダラダラするのは絶対にイヤだったんで、普通にスケートボードしてる子の少なくとも3倍は練習してましたね。引っ越してきたばかりの頃は友だちもいないですし、情報もない中で近所に久宝寺緑地があることを聞きつけて、毎朝6時に起きて緑地で1〜2時間休憩なしで練習し、喫茶店でモーニングを食べて一旦帰宅。そこからビデオを観て研究したり、仮眠をして昼頃にまた練習に行って帰って来て、学生が集まる夕方頃のタイミングを見計らってまた緑地で練習する。そんな毎日でしたね。ちょっと話は前後しちゃうけど、この10年くらいの練習時間を基に概算したら、スケボー歴35年で大体3万時間くらい。ケガもあるから実践練習だけじゃなく、ビデオを観ながら「これはどういう力学に基づいてるんかなぁ」とか、研究する時間もカウントしたらの話やけど。

今もなんですね!当時はプロを目指してるわけだし、親父さんの想いもあるし…、さらにストイックに取り組んでたんじゃないですか?

人よりも3倍練習するのは続けてましたね。ただ、若さゆえに親父にもらった小遣いでクラブに行ったり、街で遊んだりもしてましたけど、そのおかげで知り合った友だちもたくさんいます。申し訳ない気持ちはありつつも、無駄な使い方はしてないので、ほんまに親父のおかげやなと。バイトするなと言われましが、アメ村で派手なパンクスの人たちとティッシュ配りのバイトをしてたのも、今のファッションに通じてるから許してもらえるかなぁ(笑)

25歳でプロになって、30歳の頃からもっと世界に目を向けて活動。40歳でリリースした作品のパートがフィーチャーされ、一気に世界中の人と繋がったんです。
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Profile

CHOPPER

本名、中村泰一郎。大阪発のスケートクルー・OSAKA DAGGERSを牽引し、オリジナリティあふれるトリックとセレクションは世界的にも知られている。スケートボードブランドの<HEROIN SKATEBOARDS>にも所属し、25歳だった当時は日本人初の国際プロライダーとしても活躍。2013年にリリースされた作品『VIDEO NASTY』でのパートは、『THE BERRICS』でもフィーチャーされるほど。現在は今春のリリースを目指して、新たな作品制作に挑んでいる。

https://store.whev.com/

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