今年もグッドミュージックをビーチで!『GREENROOM BEACH』をオーガナイズする釜萢直起さんがこのフェスに込めた想いと、愛する海と自分のスタイルについて。

横浜で2005年から続いてるフェス、『GREENROOM FESTIVAL』。サーフ&ビーチカルチャーをルーツにもち、音楽とアートが混在しながら“ここにしかないグッドな空気感”を毎年たくさんの人が楽しんでいます。そんな日本屈指のフェスから派生した『GREENROOM BEACH』が、6月10日(土)&11日(日)に泉南ロングパークで開催!超絶豪華なアーティストラインナップはもちろんだけど、オン・ザ・ビーチで行われる開放感が最高なんです。今年も盛り上がることは間違いナシですが、さらに楽しんでもらいたくて、オーガナイザーの釜萢直起さんにインタビューしてきました。GREENROOMと冠したフェスのルーツから釜萢さんが辿ってきたサーフ&ビーチカルチャーのこと、仕事や人生のこと、そして『GREENROOM BEACH』の見どころなどなど、内容は満載。釜萢さんのこと、GREENROOMのことを知ることで、6月10日(土)&11日(日)の楽しさはグッと深まってくと思います!それでは今年も、グッドミュージックをビーチで♪♪

自分たちにとって海は開かれたもので、自由なもの。フェスをする上でずっと大切にしてきたのは、いつもオープンでいること。

6月10日(土)&11日(日)に泉南ロングパークで『GREENROOM BEACH』が開催されますが、まずはこのフェスのルーツとなる『GREENROOM FESTIVAL』のことから聞かせてください!2005年に行われた第1回は、どんな経緯でスタートしたんでしょうか?

1999年に出版社から独立し、GREENROOMという会社を設立してたんです。当時は編集プロダクションとして雑誌や広告の制作、ブランディングをメインにしてたんだけど、刹那的な仕事もあったから、自分たちでモノづくりとコトづくりができるコンテンツを生み出したいなと思ってて。そんな時に、カリフォルニアのラグーナビーチですごくクリエイティブなフェスがあるっていう話を聞いて、どうしても見たくなって現地に飛んだんですよ。

どんなフェスだったんですか?

ムーンシャインフェスティバルっていう名前のフェス。当時はまだそこまで売れてなかったジャック・ジョンソンも出てたし、いろんなミュージシャンやアーティスト、フィルマーが参加してるフェスだったんです。自分の知ってるフェスって基本的にはコンサート形式だったから、音楽以外の要素が自由に混ざり合ってる姿がすごくかっこよく見えてね。オーガナイザーを紹介してもらってテンションも上がり、「これを日本に持って来よう!」って盛り上がったんです。

それが『GREENROOM FESTIVAL』の始まりだと。

そうですね。このカルチャーを日本でも広めたいと思って。2004年9月に現地で見て、2005年2月に開催したんですよ。

準備期間がめちゃくちゃ短い!このスピード感に釜萢さんの熱量を感じます。ちなみに名前はムーンシャインフェスティバルではなかったんですね。

最初はムーンシャインフェスティバルの名前で開催する予定だったけど、自分が見たのを最後に資金難で無くなってしまって…。「もうできない」って言われたんですが、こっちは完全に火がついた状態。絶対に開催したいって思ってたから、引き継ぐと言ったらおこがましいけど、自分たちの名前を冠にした『GREENROOM FESTIVAL』でやっていくことを伝えたんです。

釜萢さんが現地で見て体感したこと、そしてムーンシャインフェスティバルの想いや歴史も、この『GREENROOM FESTIVAL』の根底にあるってことですね。第1回の開催は横浜の大さん橋ホールでしたよね?

2005年から5年間は大さん橋ホールだったけど、徐々にキャパシティが耐えられなくなってね。大さん橋ホールで8000人くらい集客してると、みんなが音楽に乗ってジャンプしたら会場も揺れるし、警報機もバンバン鳴っちゃうし(笑)。会場サイドから「もう無理です」と言われて(笑)、6年目から横浜赤レンガ倉庫に移ったんですよ。

運営するのは大変ですが、それだけ人が集まって盛り上がってる証ですし、うれしい悲鳴ではありますよね(笑)

横浜赤レンガ倉庫は、大さん橋ホールで開催してる時から見えてた場所だし、このフェスが大きく成長したらいつかやりたいなって思ってたんですよね。

場所としてもより“らしい”気がしますし、みんなの中でのイメージも定着しているのかなと。『GREENROOM FESTIVAL』としては、先ほどもお話いただいたムーンシャインフェスティバルへの共感が根底にはありつつも、釜萢さんたちが築き、大切にしてきたこととは何でしょうか?

サーフカルチャーやビーチカルチャーをルーツにして、音楽・アート・フィルムを混ぜ合わせたカルチャーフェスティバルというのがテーマではあるけど、自分たちにとって海は開かれたもので、自由なもの。いつもオープンでいることは、ずっと大切にしてきたことかな。フェスの特徴としては有料と無料のエリアがあって、普通なら有料エリアに幕を張って見せませんって感じだけど、うちらはそうじゃない。無料エリアも大きく作ってるし、映画やアート、ファッション、DJ、飲食も楽しめるようにしてる。両方あって1つの作り方にしてるんですよ。今ではそんなフェスもたまに見かけますが、常に閉じずに自由にいたいのが昔からの変わらないコンセプト。それが他のフェスとの大きな違いかなって思う。

楽しめるレンジがすごく広いですよね。

無料エリアがあることで可能性も広がるし、いろんな人に来てもらえるチャンスもある。「今年は無料でライブを観たけど、来年はチケット買おうかな」なんて人もいるしね。

無料エリアのその先を用意してることで、楽しみに対する貪欲さは掻き立てられちゃいますよね、確かに。2005年の立ち上げから18年目を迎え、いろんなことがあったと思いますが、釜萢さん的に何か印象に残ってることってありますか?

言えないことはたくさんある(笑)。海外のアーティストを毎年招聘してるとトラブルはつきものだけど、それも楽しめてるからね。野外だから天気はいつも気になるし、フェスして初めて実感したのは、雨よりも風が怖いなと。機材やステージセットが飛ばされたらシャレにならないもん。でも、自分の中ですごく印象深かったのは、東日本大震災後に開催した時かな。

コロナ禍明けの時も開催延期か中止かですごく悩まれたとは思いますが、3.11はまた違いますよね。

自分たちの社名でもあるGREENROOMは、波のチューブの中を意味する言葉なんですよ。ガキの頃からずっとサーフィンしてて、サーファーにとってチューブの中は特別な空間だから、会社もそのような空間にしたくて名付けたもの。でも、3.11では津波が人を傷つけたわけだから、 開催するべきかどうかはすごく悩んだ。海に対する恐怖もみんなが抱いてたし、ずっと緊張感のある状態だったし。ただ、海を嫌いにはなってほしくなくて、海がもつマザーオーシャン的なものは伝えたかったんです。開催を決断したのは、そこが理由かな。海外アーティストはみんなキャンセルになったけど、助けてくれた国内アーティストもたくさんいたから、何とかカタチにできたんですよ。

このフェスがあったから「絵や写真をどう広めればいいか」と考えてアートギャラリーを始め、同様にフィルマーの映画を広めるために配給もするようになった。結局、今の自分たちの姿は『GREENROOM FESTIVAL』が起点。
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Profile

釜萢 直起

株式会社グリーンルーム代表。1973年東京生まれ。町田市で育ち、中学生の頃にサーフィンやスケートボードと出会う。以来、サーフカルチャーにどっぷりと浸かりながら学生時代を過ごし、出版社勤務を経て独立。2005年に『GREENROOM FESTIVAL』を立ち上げる。現在、自社で開催するフェスは6本あり、サーフィンのコンペティションや世界的なスケートボードの大会を運営・制作しながら、日本におけるサーフカルチャー・ビーチカルチャーを牽引する。

https://greenroom.co/

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