攻めに攻め続ける独創的な料理と世界観。巷を賑わせる中華ユニット『民族中華』が、街に根を下ろして遊ぶように表現することとは。

この男たち、神出鬼没。固定した場所を持たず、大阪の街のあちこちでゲリラ的にイベントを開催しては、各場所で満員御礼の大行列を生み出してきた中華ユニット『民族中華』が、この4月から桜川にある美容室『di doo dah』で本格的な間借りをスタート。見たことのないような独創的な中華料理と、音楽やファッションなど、攻めに攻めたカルチャー感満載の世界観をミックスしたスタイルは、どことなくストリートの熱を感じるんです。ヒサタケ ユーヤさんとヤマサキ ユウスケさんが魅せる、オリジナルなスタイルのルーツは一体どこから?そして、 舞台を新たに彼らが画策しているビジョンとは。
フェスだったり、アメ村のストリートだったり、いろんな場所でやってきたことはめっちゃデカい経験値。

間借りオープンおめでとうございます! まずは『民族中華』がどんな活動なのか教えてもらえたら。
ユーヤ:僕と相方のユウスケのふたりで始めた中華料理のユニット的な感じです。数ある中華料理のなかでも、中国辺境に住む民族の郷土料理をベースに創作した料理を提供してます。
これまでゲリラ的に活動してきた『民族中華』が、この場所にお店を構えることになったのはどうしてでしょうか?
ユーヤ:今年の1月に『民族中華』の会場として使わせてもらった場所なんです。隣の美容室に併設するカフェバーとして営業されていたんですけど、そのカフェの営業が終了することになって、オーナーから声をかけてもらって場所をお借りすることになりました。

何度かイベントにもお邪魔したことがありますが、毎回賑わいぶりがすごいですよね。これまでやってきて、印象深かった場所ってありますか?
ユーヤ:『お料理横目』でやった時はヤバかったなあ。全部で150人くらいお客さんが来てくれて、外まで行列がズラッとできちゃって、完全にキャパオーバー。急遽電話で予約の対応をして、一日中ずっとバタバタでした。
ユウスケ:あの時はどうやったらイベントが終わりになるのかわからんかった(笑)。なんばの『エーストア』で、一回だけ街中華的なメニューを打ち出した『庶民族中華』っていうイベントもパンパンやったし。厨房でひたすら鍋を振ってたら、初めてお玉を持ってる手が震えちゃって。キッチンの温度が40度を超えて灼熱やったんで、多分脱水症状だったと思います。

間借りの飲食店は大阪にも数あれど、なかなかそこまで多くの人を動かすイベントができるお店は少ないと思います。
ユウスケ:フェスだったり、アメ村のストリートだったり、本当にいろんな場所でやってきたので、どんな現場でもこなせる対応力が身につきました。イベント出店を続けてきたのは、めっちゃデカい経験値だなって思います。
ユーヤさんは元々アパレルで働いてたんでしたっけ?
ユーヤ:専門学校を卒業してからずっとアパレルで、地元の高知や香川で働いてから、もう少し早いファッションの流れを感じたくなって大阪に来たんです。それで働き始めたお店にユウスケがお客さんで来てて、話してみたら同い年やし地元も同じやし、すぐ仲良くなりました。当時は24歳くらいだったかな?
ユウスケ:「BORN KOCHI」なんです。僕ら。

ユーヤ:高知で住んでたのも隣の市で、なんなら僕の実家からユウスケの実家が見えるくらいの距離感。共通の地元の友達もめっちゃいて。そこからスケボーしたり、ゲームしたり、ほんまに毎日一緒に遊んでました。
そんなに近い場所が地元だったんですね! しかも大阪で出会うっていう。なんだか運命的ですね。ユウスケさんはどんな流れで大阪に?
ユウスケ:俺は料理の専門学校が大阪だったんで、高校卒業してからですね。卒業後もずっと中華のお店で働いていて、ユーヤとはその時に出会って。毎日一緒に過ごしているなかで、「自分たちで何かオモロいことをしたいよね」ってずっと話をしていたから、『民族中華』を始めた感じです。

『民族中華』におけるふたりの役割分担はどんな感じなんですか?
ユーヤ:ユウスケが料理を担当して、僕が物販やディスプレイ、諸々のデザインやブランディングなど、ディレクター的な立ち位置で外側の魅せ方を担当してます。それぞれの得意分野を『民族中華』に落とし込んでる感じですね。



ヤマサキ ユウスケ
高知県出身。高校卒業後、大阪の調理師専門学校に入学し、中華料理を専攻。イノベーティブ中華料理店などで修行を重ねた、中華一筋の料理人。