夜遊びでしか生まれない何かがある。東京、ニューヨーク、大阪を駆け巡ったOrangさんのシネマティックな半生から見えてくるもの。

00年代、10年代、そして20年代。時代とともにアメ村の町並みや顔ぶれもずいぶん変わってきたように思うが、その中で変わらずクールにサバイブしている人がいる。それが髙倍優介さん、通称Orang(オレンジ)さんだ。ストリートダンサーやパーティのプロモーターとして活躍した過去を持ち、現在は堀江とアメ村にて人気の古着や家具のお店を3店舗経営。20年以上この界隈に根をはって働き遊んできたアメ村のアイコニックな存在だ。商品のラインナップはもちろん、店作りからも鋭い感性がうかがえるほか、彼が運営する『CopyArt Collective』で開かれるパーティには、感度高めのヘッズが大勢押しかける。その独特な存在感と求心力の秘密を知りたい!ということで、Orangさんにお話を聞いたわけだが、その人生は想像以上に山あり谷ありだった。1本の壮大な映画を観る感覚で、どうぞ。

かっこつけて言えば、その時の気分でいろんなファッションに手を出していました。

アメ村界隈では顔の広いOrangさんですが、出身は意外にも東京とお聞きしました。どんな幼少期を過ごされたのかが気になります。

はい。出身は東京の昭島(あきしま)というところです。小学生の頃は、活発ではあったけど決してヤンキーではなく、なんなら変わりすぎてていじめられてた記憶もあります。でも小学校の高学年くらいから近所のお兄ちゃんがヤンキーになって、僕が中学に上がる頃には番長になっていたので、僕もいじめられることもなくなって急に生きやすくなりました(笑)

洋服に興味を持ち出すのも早かったんですか?

デザイン会社を経営してた父が洋服好きで。分かりやすくいうと、サーモンピンクのジャケットのセットアップで仕事に行くような感じの人です。それから4個上の兄も、サーファーファッションにハマってて。今でも明確に覚えているのは、お兄ちゃんの部屋にエロ本を探しに行ったら、ベッドの下から雑誌の『Fine』を見つけたことです。そこに乗ってる洋服を見て洋服に興味を持ち始めました。

まずはご家族の影響が大きかったわけですね。

あと小学生の頃に通ってた理容室で働いていた水谷君っていう10個くらい年上のロン毛のお兄さんがいたんですけど、その人は、スノーボードやってて、インディアンジュエリー付けて、ロカビリーのバンドもやっているような人で。その水谷君が、理容室の2階にある彼の実家の部屋に連れていってくれて、「ロカビリーとはなんぞや」みたいなことを教えてもらったり、ウッドベースを弾くのを見せてくれたりしました。今思えば、彼の影響も大きいと思います。

そういったファッションや音楽の文化に触れやすい環境だったんでしょうか?

いえ、昭島は山と川しかないような田舎だったから、ブラックカルチャー好きな空気感の人はまだ一人もいなかったです。ただ、少し離れた福生(ふっさ)という町に米軍基地があったんですよ。そのあたりは、米軍の方が利用するようなハンバーガー屋とかピザ屋があったりと向こうの文化が根付いていて。そのエリアに住んでた同い年のダンサーの子がうちの中学に引っ越してきた時に、ゴリゴリのヤンキーが台頭してた空気を一気に変えちゃったんですよ。

すさまじい影響力ですね(笑)。では小学生から中学生にかけて、サーフ、ロカビリー、そしてダンスといういろんなカルチャーに触れたわけですか?

かっこつけて言えば、その時の気分でいろんなファッションに手を出してたって感じかな。ロカビリーから入ったけど、ダンサーっぽい格好の時もあれば、アメカジに振ってる時もありました。あとは中3の時に観た映画『さらば青春の光』にやられて、モッズファッションとイングランドカルチャーにハマったと思えば、その後に出てきたBeastie Boysに食らってサンバイザーを逆に被ったりしてた時もありました(笑)

好みのスタイルが今のようなストリート寄りに定まっていったのはいつ頃になるんでしょう?

高1でDJに出会ったのが大きなきっかけです。同級生にハウスのDJをやってる子がいたんですが、出会いが、いわゆるブラックカルチャーへの入り口です。ただ、それと並行して完全にモテたい衝動も強いんですね。ロン毛でオールバックにカチューシャつけて、バーバリーのマフラー巻くみたいな。だから「自分はブラックカルチャーに出会った時からどっぷりでした」というと、嘘になります(笑)

ブラックカルチャーにも興味を持ちつつ、当時の流行りにもアンテナを張りつつという。

ダンスに目覚めたのが高2の夏くらいです。もともとサッカー部だったんですけど、試合に負けた時に監督から「全員坊主にしろ」って言われて、嫌すぎて辞めたんですよ(笑)。そのあたりから、ハウス、ヒップホップ、レゲエというような、いわゆるニューヨークのブラックカルチャーにはまっていきました。

ニューヨークにもかなり早い段階で行かれたそうですね。

そうですね、17歳の時です。恥ずかしい話なんですけど、僕は高校を合計3回留年してるんですよ。高2で1回、高3で2回ダブってて。初めてニューヨークに行ったのは、2回目の高2の時です。バイトして貯めたお金と、ちょっと親に借りたお金で一人で行きました。ちなみに一人でニューヨークに行くことを父に相談すると、「飛行機もホテルも全て自分で予約しなさい」って言われました。

全て一人でですか!ネットもない時代ですよね?

はい。だから海外旅行者向けのガイドブックの『地球の歩き方』で一番安いホテルを調べて、国際電話でかけて「キャン、アイ、ハブア、リザベーション?」って喋ってね(笑)。でも今思えば、当時のニューヨークで17歳の日本人が一人で旅行するのってなかなか危ないっすよね(笑)。でもその時に一人でクラブに行ったり、町を見て回ったりしたのが、いろいろな価値観が変わったきっかけかもしれません。

借金240万円を背負って、大阪に引っ越すという転換を迎えました。
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Profile

髙倍 優介 a.k.a Orang

東京都出身、大阪市在住。古着やインポートものを扱う『DAILY DOSE quality stuff』と『SIGHTO』、家具や雑貨、古着を扱う『CopyArt Collective』のオーナー。USカルチャーへの深い知見や、ファッションやダンス、クラブシーンに傾倒した経験を活かし、堀江〜アメ村エリア随一の人気を誇る3店舗をプロデュース。「Orang」は、RALPH LAURENの蛍光オレンジのニットを好んで着ていたことから先輩ダンサーに命名されたストリートネーム

https://ebcjp.com/

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