現代のスマホライフを拡張する。<A SCENE>の古家さんが想い描く、最強の応援団としての役目と、あのガンダムコラボの話。


一族最強のスペックとして生まれたのが、自分。プロ野球選手になるのは、当たり前のことだと思ってました。

古家さんのバックボーンもいろいろ聞いていきたいんですが、まずはそのBIGな身長のことについて(笑)。何cmあるんでしたっけ?

193cmです。昔は「一休さんで覚えてください!」と言ってましたが、最近は「大谷翔平と同じ身長です!」が掴みのトークになってます(笑)

193cmですか!そのサイズだとすぐ覚えられそうですが、掴みのトークとしては後者の方がグッときますね(笑)

初めて会う人にはほぼ身長のことを聞かれるんですが、逆に聞かれないとすごく不安になります(笑)。「この人にとって自分は普通なんかなぁ」とか「もっと大きい人を知ってるんかなぁ」って。

伝家の宝刀的な掴みのトークも使えないですもんね。ちなみに、それだけの体格があるってことは、何かスポーツをしてたんですか?

小学生から野球をしてました。

まさに大谷翔平と同じ!

おじいちゃん、親戚のおっちゃんとその息子がプロ野球選手で、父は柔道の国体選手、母は円盤投げの選手でした。小学6年生で身長は180cmあって、一族最強のスペックで生まれたのが僕だったんです。ちなみに姉は、弓道で全国大会にも行ってます。

ゴリゴリのアスリート家系!もう期待しかされてなかったのでは!?

当然プロになるのが当たり前と思ってましたし、世襲制かなと感じるくらい。おばあちゃんは元モデルだったので、プロ野球選手とモデルの結婚生活をめちゃくちゃ間近で体感もしてました(笑)

なんかオチがある前振りのトークに聞こえてきたんですが、当時の活躍ぶりはどうだったんですか?

え〜っと………、一族最低の成績で野球人生を終えました。

(笑)。だいぶ省略しましたね。小学生とか中学生とか、高校生の時の話とかください!

ですよね…。身長180cmだった小学6年生の時はレフトで、とにかくフェンス際の強さがウリでした。まぁ、その時点でピッチャーではないから、大谷翔平とは違うんですが。

なんか、昔の傷を掘り起こしてたらすみません(汗)

大丈夫ですよ(笑)。で、中学生になってからは軟式に移ったんです。その時点で気持ちも緩かったのかもしれないし、家族のみんなも「あいつは高校から花が開くはず」と思ってるようでした。ただ、おじいちゃんは中学の時の練習をいつも見に来てチェックしてましたね。

かわいい孫だし、スペック最強だし、おじいちゃんが一番期待してたのかも。でも、プレッシャーもありましたよね?

そりゃありましたね。プレッシャーも期待も感じながら、高校では硬式野球部に入って、とにかく練習に打ち込んでたんです。公立高校でしたがプロ選手を輩出したり、監督も甲子園に出場経験のある方で、僕らとしては打倒天理、打倒智弁で頑張ってました。

白球を追いかけ、泥だらけで野球に没頭する日々だったんですね。

そうです!努力を続け、3年間の集大成となる夏の全国高等学校野球選手権大会の奈良予選の日を迎えました。僕らは開会式直後にある、注目の予選1回戦に登場!見事に、コールド負けしました(涙)

(泣)

奈良県最速で引退したのが、僕らなんです…。ただ、言わせてください!タイムリーヒットは打ってます!!でも、コールド負けでした…。

それが一族最低の成績ってことですか…(泣)。家族みんなの反応は?

おじいちゃんは観に来てましたが、特には。父はまさか1回戦で負けるとは思ってなかったので、観にも来てませんでしたし、結果を知って「もうビックリしたわ!」と…。かわいそうとか思う前に、ただただ驚いたんやと思います。

まぁ、そうですよね。残念な結果ですけど、それも青春ですし…。野球人生はそこで区切りをつけたと。

実は、高校ではそんな結果だったのに、「やっぱ野球は大学でしょ!」と思えるくらいのポジティブシンキングだから、進学して続けたんです。推薦で声をかけてもらった大学もありましたが、そこはお断りして関西大学に勉強して入学。硬式野球部に入りました!

マジですか!?ひょっとして一族最強のスペックというのは、そのマインドだったりして。

でもね、野球部に入ってようやく気づいたんですよ。やっぱり実力がないなって(笑)。で、1回生の終わりくらいに外野でノックを受けてたら、急に涙が出てきて…。「えっ、何この涙?これはもう諦めろってことか!?」と思い、その日に退部届を出しました。

うわー、そういう感じですか。本当はもっと早く気づいてたかもしれないけど、古家さんのマインドとか、周囲の期待とかが突き動かしてたんですかね。

どうですかねー、気づくのが遅いだけだったかもしれないし、そうかもしれないし。

「実は小学生の時にわんぱく相撲大会に出たことがあったんです。でも、自分の半分くらいの身長の子に足を担ぎ上げられ、めちゃくちゃ恥ずかしい負け方をしてしまって(笑)」という、自虐エピソードも明かしてくれました。

ちなみにおじいちゃんには、どのように報告したんですか?

正直、やめることを伝えるのが一番怖かったですね。おじいちゃんが畳の部屋で横になってるところで、「野球やめるわ」って。

それで、おじいちゃんは何て?

「そうかー」と一言。その時は、高校野球を引退した時よりも泣いてしまいました。おじいちゃんはすごくポジティブな人で、昔から「お前は才能あるから何やってもいける」と言われてたんです。僕も「そやなー。いけるなー」って思ってましたが、野球の才能はなかった(笑)。でも、何をやるにしても最初から自信はあるんです。自信があるからどんどん夢を追うのが好きになるし、自信があるから動かざるを得ない状況に持っていける。そんな自分があるのは、おじいちゃんの言葉があったからやなと。

めちゃくちゃええ話(涙)。ポジティブシンキングをちゃんと受け継いでるし、それは身体的な才能とはまた違う、特別なスペックじゃないですかねぇ。野球をやめてからは、どんな大学生活を?

映画とレゲエにどっぷりとハマっていきましたね。ドキュメンタリー映画が好きだったのもあり、自分でもドキュメンタリーが撮りたくて、今でも人気のあるレゲエクルーに帯同しながら映像を制作し、当時あったUstreamというストリーミングサービスを使って配信もしてましたね。撮影から編集、配信まで自分でやってたので、映像を評価されることがすごくうれしかった。その時に、表現することのおもしろさに気づいたんだと思います。

野球とは真逆ですが、そっちの才能が開花したと。夢中になれるものと出会えてよかったですよね。就職はやっぱりそっち方面ですか?

映画の製作・配給など、映像に関するあらゆる事業を展開してる会社に就職しました。映画に関わる事業部に配属されたので楽しさはあったんですが、大きな会社だからシステマチックな部分があったり、表現という部分においても作業的にならざるを得ない部分もあり、「やっぱり映画は趣味で撮る方がいいな」と感じるようになって。それで<master-piece>に転職することにしたんです。

関わる仕事は大きくてやりがいもあるけど、表現に対するジレンマが生まれたんですね。でも、畑違いとも言えるファッション業界に飛び込んだのには何か理由が?

音楽や映画の業界で共通してたのは、個人の能力はもちろんですが、人の繋がりも含めて総合点の高い人が活躍してて、その繋がりから生まれる新しいものや表現を目にした時、やっぱりワクワクしたんです。ファッション業界も似てる気がしたし、服がどうこうの前に人間のあり方みたいな部分に興味も湧いたから、自分のまだ知らない業界でチャレンジしてみたいと思いました。音楽や映画の業界を繋げることもできるだろうし、表現の幅も広げてコラボとかするのも楽しいだろうなって。

それぞれ遠からず近からずな業界ですが、“ナカ”を経験してる人が繋がりを生かしながら動くと、新たな化学反応が生まれますもんね。実際、初めてのファッション業界はどうでしたか?

作ることに関してはそれぞれの業界にプロフェッショナルはいますが、ファッション業界で言えば、僕はブランドってアイテムありきだけじゃないと思ってるんです。それは、音楽や映画の業界を経験して、見え方やイメージで人の捉え方がかなり異なることを実感してたから。ビジュアルの表現、コラボの意外性や取り組み方、そこをふまえたブランドの見え方は、今まで以上にめちゃくちゃ研究するようになりましたね。

これだけブランドが乱立する中で、アイテムが優れてたとしても、見え方次第で埋もれてしまう。例えば<master-piece>で言えば、ミズノとのコラボは話題になりましたよね。

ミズノの工場長とたまたま知り合って、その時に野球の話をしてたんです。元プロ野球選手で監督もしてた親戚のおっちゃんもミズノのグローブを使ってたことを伝えたら、すごく感動していただけて。それで「工場においで!」と誘ってもらい、見学しながら興奮まじりに話し込んでるうちに、コラボすることが決まりました。

これまでの人生とか繋がりが、また1つ結実したと。アイテムとしての機能性、完成度も高かったですし、ミズノとコラボするブランドとしても早かった。

両者の特長を生かしながら、グローブ用のレザーを組み合わせたりしたアイテムは、僕らも自信がありました。ただ当時のミズノはファッションとしてはまだ確立されてなかったので、ビジュアルも徹底的にこだわって制作し、広告を出しまくりたくて。だから、副社長に会いに行って「こんなビジュアルを作ったので、御堂筋沿線に広告を出したい!ハイブランドの横に一緒に並べたい!」って直談判したんです。そうしたら快諾していただき、広告をガンガン出すことができました。

自信→行動のスペック発動ですね(笑)

おかげで大きな話題にもなり、ほぼ即完の勢いで売れました。その時に改めて表現やブランディングの重要性を実感しましたし、アイテムの完成度も含めて総合的にブランド力を築いてくことが大切だと思いましたね。<master-piece>では他にも京都の日本茶専門店『一保堂茶舗』や超釣支援道具ブランド<TASF>、城崎温泉など、いろんなショップ、ブランド、土地ともコラボ。名前だけのありきたりのコラボじゃなくて、ちゃんと作り込める方々と組ませていただき、結果も残せてきたのは今の自分にとっても自信になってます。それに、ファッションの外側にいる人たちに喜んでもらえるのって、やっぱりうれしいんですよね。

ルーツになってる存在はおじいちゃん。コラボする上で最強の応援団になりたいと言ったのも、僕を応援してくれてるおじいちゃんがいたからなんです。
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Profile

古家 幸樹

1987年生まれ、奈良県大和郡山市出身。アスリート家系のサラブレッドとして期待されるも、プロ野球選手になる夢を断念し、レゲエと映像制作に没頭。大学卒後は東京の大手映画会社を経て、<master-piece>を展開するMSPCに入社。2017年にバッグブランド<nunc>を立ち上げた後、2020年からは<master-piece>のディレクターに就任。同社を退職後、2023年8月に<A SCENE>のディレクターに就任し、リブランディングを図りながら様々なコラボを手がける。身長193cm、足のサイズは30cm。趣味は奥さんとの美術館巡りと、脳内リセットのために行うPlayStation4。

Instagram: @ascene_official
https://ascene.co.jp/

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