【ぼくらのアメ村エトセトラ vol.1】 濃厚で、衝撃的で、眩しかった時代。編集メンバー&カメラマンと振り返る『カジカジ』×アメ村の26年。
2000年代~賑わいは堀江に移り、スタイルは画一化され、アメ村に活気がなくなった時代。
羯磨さん高松さんは、『カジカジ』で正男さんとずっとお仕事されたんですか?
羯磨:いや、僕らが入った当時、正男さんは『カスタマ』っていう別媒体で。
正男:99年に『カジカジ』の運営が2つに分離するんですよ。僕は『カジカジ』を立ち上げた創刊メンバーがいる『カスタマ』で「カスタマイズ」っていうスナップをやってました。
「街の眼」はずっと正男さんだと思ってました!
正男:実はそうじゃないんですよ。『カジカジ』のほうは僕が撮らなくなって、全然違う感じになるのかなと思ってたら、おんなじスタイルで(笑)。別のカメラマンさんが僕に似せて撮るんですけど、よく見たら違うっていう。きちんとしすぎてて。僕のはもっと荒いから。
羯磨:でもまたその後、『カジカジ』と『カスタマ』は吸収合併で同じ会社が運営するようになるんですよ。それが、僕が入社する一か月前。
なかなか大変な時期の入社だったんですね。
羯磨:『カジカジ』に入って最初の仕事が「街の眼」やったんですよ。
それは、正男さんが撮影を?
正男:いや、その時も別の人ですね。でもその頃は「街の眼」を撮るのがすごい大変な時代に入ってて。たった4ページやのに撮影に何日もかかるような状態。
羯磨:正男さんの時は1日とかですよね。
正男:僕らのときは面白い人がいっぱいおったから。でも2000年代に入って街の動きがそんなになくなって、いい人を撮るのが難しくなった。
羯磨:その当時で覚えてるのは、2001年頃に東京でレイヤードブームがあったじゃないですか。ドイツ軍とかのUネックにロングカーディガンはおるみたいな。それが堀江全盛期の大阪で流行って、そのときに大阪カルチャーがなくなった気がするんですよ。
正男:2000年代は大阪カルチャーが失われた時代で、「街の眼」も僕から見たら、「街の眼」っぽくしてるけど、奇天烈くんみたいになってしまって。
羯磨:ちょっと変なかっこの子を集めるみたいになってましたね。
高松:僕が担当してたときも、4ページ撮るのに5日ぐらいかかってて。1日で0人とかもありました。
羯磨:基本、「街の眼」は仕込みナシですからね。仕込んだら負けみたいな。
高松:僕らは過去の「街の眼」を見てるから、そういうのを撮らなあかんと思うんですけど、そういう人たちがもう街には歩いてない。
ほんの数年で、ずいぶん変わるものなんですね。
正男:世の中はロハスとかが流行り出して、服よりも旅行とかにお金をかけるようになって。
羯磨:あと、ノームコアですね。2014年とか無地のスタンダードな感じの服が流行って。それがかっこいいってなって、より個性がなくなって。
年を追うごとに、ファッションの均一化が進んでいって。
正男:人も2003年頃から堀江のほうに移っていったしね。
高松:僕はその頃、堀江の帽子屋で働いてたんですけど、もう何もせんでも売れました。
正男:堀江の全盛期やもんね。堀江はおしゃれな人はおるんやけど、みんな東京で流行ってるのと同じ、判で押したように似たようなかっこばっかりで。わざわざ紹介しても何もない、それやったら普通にスタイリング入れたらいいやんって感じで、提案性が全然ない。
もうその頃は、大阪ならではのファッションカルチャーみたいなのは廃れてしまってたんですね。
正男:2010年頃のアメ村ってほんまに記憶ないな。
羯磨:ファッションもディオールオムがめっちゃ流行って、黒くて細いかっこが
人気でしたしね。
正男:暗黒の時代というか、アメ村は沈んだって感じやったな。
2016年~若い編集者の発案で、再び「街の眼」はアメ村へ。街も人もファッションも、サイクルして進んでいく。
高松:でもその後、羯磨さんが編集長のときに正男さんが「街の眼」を再開したんですよね。2016年か2017年頃。
正男:そうそう、それで16年ぶりぐらいに僕が撮ることになって。
羯磨:「街の眼」=正男さんのイメージですけど、撮ってない期間のほうが長いんですよね。
その「街の眼」は、またアメ村で撮影ですか?
羯磨:いや、正男さんが復活する前からもう堀江で、たまにアメ村って感じやったんですよ。
正男:だから「街の眼」がアメ村やったんは、実はわりと最初のほうだけ。僕も堀江で撮ってたけど、でも当時は頭が固くて、昔の『カジカジ』に載ってそうなすごいおしゃれな人ばっかり撮ってたんですよ。当時載ってた子が、そのまま大人になったような。でも、その時の担当者の村竜がイケてたんですよ。
『納豆マガジン』編集長の村上竜一さんが、『カジカジ』編集部にいた当時ですね。
正男:まだ入社したばっかりの新人の彼がある日、「正男さん、もっと若い子撮りましょう」って言うんですよ。アメ村に行きたいって。ファッションがそんなにかっこよくなくていいから、勢いのある子を撮りましょうって。それでアメ村に戻ったんですよ。そしたら、村竜が古着を着てる若い子、シャカシャカしたウインドブレーカーみたいなの着てる子に声掛けにいくんですよ。それで撮ってたら、そんなみんな完成度は高くないんやけど、でも一号で一気に若返って。あれは良かったですね。
羯磨:街のファッションも90年代リバイバルで、またみんな古着を着だしたんですよね。『ラブバズ』が第一期やとしたら、第二期のレギュラー古着ブームがそのあたり。
正男:安い古着を好きに着てる子が増えて、完成度は低いけど面白いかっこした子がざくざく撮れるようになって。それで、これまたアメリカ村きてるんちゃう!?復活したんちゃう!?って盛り上がってきたときにコロナや。
高松:そして、『カジカジ』が休刊になってしまうというね。でもほんまにあの頃、アメ村めっちゃ人多かったですよね。アメ村についに若者が返ってきた!って感じで。店も増えたし、三角公園にまた人が集まるようになって。
正男:最後の3号ぐらいは、村竜と街に出て1日で撮れるんですよ。今回は女の子だけに絞ろうとか、セットアップだけ狙おうとか、そんな贅沢ができるぐらい。半分ぐらいは『チャッピー』のお客さんやから、だいたい神社の前で張ってた。昔はサンボウル前で、それが2000年代は堀江の帽子屋の前で、最後は『チャッピー』の前の神社。
高松:街の動きによって張る場所も変化しますよね。
正男:そうそう、人の多いところに移動するんで。アメリカ村でファッションスナップをしない時代っていうのはけっこう長かったね。
なんかこうアメ村の栄枯盛衰と『カジカジ』の歴史がすごいリンクしてるんですね。
正男:あのまま『カジカジ』があったら、どうなってたんかなって考えることはありますけどね。
羯磨:まあ考えたら、時代の流れもあるし、なくなるべくしてそうなったんかなって気もするし。
正男:なくなってもファッションは元気やしね。むしろ一時期、『カジカジ』が保守的やった時代に、街の若者のファッションの足かせになってるんちゃうかなって思ったことはあった。ほんまはもっと好きなかっこしていいしダサくてもいいから面白いことしたらいいのに、すごいおしゃれなことを提案するから。それ以外はダメみたいに見えてしまうと、自由を奪ってるんちゃうかなと。
羯磨:ああ、正男さんが裏原をつぶしたように。
正男:つぶしてないから(笑)。俺は裏原が好きやから。
高橋 正男
プロスチールカメラマン/大阪府堺市出身。
90年代にファッション誌『カジカジ』連載のストリートポートレート「街の眼」で人気を博す。現在も雑誌や広告、カタログなど幅広い媒体で活動。Instagramでは90年代の「街の眼」を公開中。
羯磨 雅史
編集者・PR/滋賀県出身。
『カジカジ』編集長を経て、現在は中津のセレクトショップ『IMA:ZINE』に所属。QUALITY LIFE GUIDE MAGAZINE『CC:COLORS』をWEBで展開。
高松 直
編集者/大阪府枚方市出身。
『カジカジ』編集長を経て、現在はフリーランス。元『カジカジ』編集部メンバーによる『STAND MAG』の一員として、イベントや企画なども手掛ける。