ジャパンヴィンテージの魅力を伝える大阪・枚方の古道具とコーヒーのお店『ダーマトグラフ』で聞いた、知るほどに奥深い木彫り熊のロマン。

雑誌やメディアで取り上げられる機会も増え、近年注目を集めている北海道の伝統工芸品・木彫りの熊。そんな熊を愛しすぎる夫婦が営んでいるのが、大阪・枚方の古道具とコーヒーのお店『ダーマトグラフ』。店内には、日本製にこだわったデッドストックの食器や雑貨が所狭しと並び、併設の喫茶スペースで休憩することもできます。夫の正岡東真さんはムービーカメラマン&プロップスタイリスト、妻の有加里さんはスチールカメラマン&グラフィックデザイナーとしての顔を持ち、二足のわらじならぬ五足のわらじ(!?)で活動中。某カルチャー誌の木彫り熊企画にて、関西圏で唯一取り上げられるなど、西の熊処としても知られています。今回は、そんな『ダーマトグラフ』にお邪魔して、木彫りの熊のルーツや魅力をたっぷりと伺いました。今年で生誕100周年を迎える木彫り熊の歴史に敬意を表しつつ、その奥深いロマンに迫ります!

1960〜90年代の上質なジャパンヴィンテージをセレクト。かわいいからと集めていた木彫りの熊の魅力に、いつの間にか取りつかれてしまいました。

まずは『ダーマトグラフ』さんがどんなお店なのかお聞きしたいです。

東真:1960〜90年代のジャパンヴィンテージを扱っているショップです。喫茶スペースも併設していて、コーヒーやスイーツを楽しむこともできます。なかでも特に力を入れているのが、店内に100体以上並べている木彫りの熊です。

お2人はカメラマンやプロップスタイリストなどもされていますが、そもそもどうしてお店を開いたんですか?

東真:以前は靱公園近くの京町堀で事務所を構えていたのですが、空間のスタイリングや撮影などをしていると、ものが増えて増えて大変で……。それをどうにかしようとお店を始めました。京町堀で十数年営んだ後、僕の地元の枚方に移転しました。枚方でお店を始めてもうすぐ6年になります。

なるほど。ちなみに私が『ダーマトグラフ』さんを知ったのは、木彫りの熊がきっかけでした。1点1点丁寧にセレクトされていて、熊に対する並々ならぬ愛とこだわりを感じます。お2人が木彫りの熊に興味を持ったきっかけは?

有加里:私が興味を持ったのは随分前のことです。親が新婚旅行で買ってきた熊がずっと実家の私の部屋にあって。鮭をくわえたよくいる熊だったんですが、なぜか私はその子のことが気に入っていて、一人暮らしをする際もお供として持って行きました。当時からどこか惹かれるものがあったんでしょうね。以来、気に入った子がいればお迎えするようになりました。

有加里さんの実家にあった熊。この子が彼女の熊好きの原点なのかも。

東真:奥さんの熊好きはもちろん、夫婦で古い雑貨が好きだったこともあり、最初はその一環として集めていました。どっぷりハマったきっかけは、ミニサイズの熊を背の順で3体見つけたことです。箱入りの状態のものを蚤の市で見つけて、これを背の順に並べていったらどこまでいけんるんやろうと。それは今でもずっと集め続けています。

有加里:そんなにたくさん見つかるものじゃないので、1番小さいものはここ5年ほど更新できてなくて。小さい子ってなかなか出合えないんですよ。

それがこちらのコーナーなんですね。こんなに小さい熊がいらっしゃるとは……!初めて見ました。今では年代や大きさ問わず、幅広く集めてらっしゃると思いますが、そうなったのはどうしてですか?

東真:僕らは夫婦で動画とスチールのカメラマンをしていて、撮影のちょっとした賑やかしに木彫りの熊のオブジェやマスクを使っていたんです。手仕事ならではの温かみや熊のゆるい表情がちょうどいい抜け感になってくれて、アパレルブランドの撮影に結構ハマるんですよ。

撮影小物として集めてらっしゃったと。

東真:実家や祖父母の家にあった木彫りの熊って、猛々しい表情で鮭をくわえているものが多かったでしょ。うちの奥さんの家にあったものもそうですし。僕らは鮭をくわえてないかわいい顔のものだけを集めたくて、蚤の市や骨董市に行くたびに探していました。数年前に偶然カッコいい熊を見つけて、せっかくやからアーカイヴ用にとインスタ投稿の最後のページに載せていたんです。すると、とある東京の編集者さんから「これって売りものですか?」とDMをいただききまして。「はい、売っていますよ!僕たちも大好きなんですが、もしかして、木彫りの熊、お好きなんですか?」と返信すると、「木彫りの熊が好きすぎて、こんな本も出版しました」とご自身が作った本を紹介してくれたんです。それがこの『熊彫図鑑』でした。

木彫りの熊への愛を感じられる限られたショップでしか取り扱いのない『熊掘図鑑』6,600円(プレコグ・スタヂオ/東京903会著)。写真下は正岡夫婦の私物で初版のものだそう。その色褪せ具合から、何度も繰り返し読んでいることがうかがえます。

木彫りの熊だけをテーマにした本。とっても珍しいですね。

東真:ごく少数しか刷られていないインディペンデントな出版物で、取り扱いのあるショップもかなり少ないそうです。いわば、木彫りの熊の歴史を紐解いた教科書のような本ですね。読んでみると、あ、これは開いたらあかん文化を開いてしまったぞと瞬時に悟りました。木彫りの熊の本当の沼にハマった瞬間でした。

どういった部分に惹かれたのでしょうか?

東真:日本人の大多数が木彫りの熊について間違った知識やイメージを持っていると知ったんです。かわいいからと今まで何となく集めてきましたが、そこには知られざるルーツやカルチャーがあって、自分自身の概念がガラッと覆されました。

木彫りの熊に対する日本人の一般的な認識が間違っていると?

東真:その通りです。ジャパンヴィンテージを扱うショップとして、その代表的なプロダクトでもある木彫りの熊のルーツを正しく伝えていきたいと思いまして。「きちんと説明してもらえる熊好きのお店にこの『熊彫図鑑』を置いてもらいたい」という編集者さんの意向もあり、うちで『熊彫図鑑』の取り扱いをさせていただけることになりました。

有加里:初めて読んだ時は衝撃を受けましたよ。

簡単でいいので“衝撃”の内容を教えていただきたいです。

東真:ざっくり言うと、木彫りの熊の発祥って実は北海道の八雲町のようなんです。

木彫りの熊はアイヌで生まれたものだというイメージがありますが……。

東真:アイヌではなく北海道の八雲町が発祥で。八雲町で木彫りの熊が誕生して、今年でちょうど100周年を迎えます。関西ではまだマイナーなカルチャーかもしれませんが、北海道や東京では木彫りの熊がめちゃくちゃ流行っていて。100周年を記念したイベントも結構やってるんですよ。

それも知りませんでした。八雲町ではどんな風に木彫りの熊が作られるようになったんですか?

東真: もともと北海道は蝦夷地と呼ばれるアイヌ民族国家で、1869年に開拓使という役所を置いて名を北海道へと改め、農地開拓を進めていきました。なかでも八雲町は、1878年から尾張徳川家の家臣たちが移住し、農地や住宅地を開墾して発展した町で。暖かい季節は農耕が盛んでしたが、冬は雪が深く農夫の仕事がないことが悩みでもありました。その解決に踏み出したのが、19代目当主の徳川義親。彼は夫婦でヨーロッパ旅行に行った際、スイスのベルンで木彫りの熊に出合います。それはペザントアートと呼ばれる農民美術の1つで、これを持ち帰って八雲町の農夫たちにお土産品の熊を作らせようと考えたんです。帰国後、彼はスイスで買った熊を見本として提供し、それを参考に八雲の木彫りの熊製作がスタート。そこから木彫りの工芸品として北海道全土に広まりました。

そんな流れがあったんですね。

東真:1960年代から北海道への交通手段が整備されて、北海道観光に行きやすくなり、お土産としてアイヌ民族が作った木彫り熊が大ヒットするんです。道内で作られていた木彫の熊とアイヌコタン(村)の地域、それぞれで彫り方が違っていて。多種多様な熊が出てくる中、鮭をくわえた熊が最終形態となり、時間のかかる北海道観光のお土産として、日持ちのしない食品よりも木彫りの熊が重宝されていきました。そういう理由があり、みなさんのご実家などにあるものは大体アイヌの木彫り熊が多いみたいですよ。

右がスイス土産として義親が買ってきた木彫りの熊で、左が八雲で最初に作られた木彫りの熊。確かに似ています!

では、アイヌで作られている熊と八雲町の熊は、全く別ものと言っていいんでしょうか?

東真:ルーツが異なります。アイヌの熊は猛々しい顔つきのものが多いですが、それは彼らのライフスタイルが関係していて。自給自足が基本のアイヌ民族にとっては、熊も貴重な食材の1つでした。彼らは熊狩りをする時に、自然な姿を生で見ているから、ああいう猛々しい顔つきになるんです。アイヌでは熊に畏敬の念を持っていて、カムイ(神)として崇める文化もあるんですよ。対して八雲町の徳川農場では、2頭の熊が木彫り熊のモデルとして飼われていました。オスは雲八、メスは磯子と名付けられ、大切に育てられていたそうです。それもあって、八雲町で作られた熊は優しくて親しみやすい表情をしています。うつむいた熊が多いのは、おやつでもらえるドングリを探しているから。ドングリをたくさん食べていたので、木彫り熊もふっくらとした愛嬌のあるフォルムをしているんです。

棚にずらりと並んだ八雲の木彫り熊コレクション。例外もありますが、吠えずに口を閉じているのも平和な環境で育てられた八雲の熊ならではの特徴なのだそう。

ほんとだ。私が今まで見てきた熊と違って顔つきがやわらかくて、シルエットもふっくらしています。他にも見分けるポイントはあるんですか?

東真:いくつかあるんですが、まずガラスの眼ですね。木を彫って眼にしているものや代わりに釘の眼が入っているもの、眼が付けられていないものもありますが、八雲の初期段階では、基本的にガラスの眼が入っています。これはスイスから持ち帰った熊に由来するそうです。

東真:2つ目は「菊型毛」と呼ばれる背中の彫り方です。肩甲骨の少し盛り上がっている所をトップに、菊型のつむじを彫り進めていきます。この手法は日本画の繊細な技法を取り入れていて、八雲町の熊にしか見られない大切なポイントとなります。

東真:3つ目は足裏に入った「やくも」の初期の焼印。初期と後期で焼印のデザインがかわっており、八雲町の木彫り熊にも入っているものや入っていないものがありますが、焼印が入っているものは八雲ブランドのクオリティーを意味する大切な印となっています。

東真:最後のポイントですが、前足が少し内股気味になってるのってわかりますか?これも八雲町で作られた熊であることを裏付ける大切な要素です。

しっかり特徴があるんですね。知らなかったです。

東真:色々と説明しましたが、まだ謎に包まれた部分も多くて。なんせ『熊彫図鑑』の初版の発行は2019年で、そこから木彫りの熊のルーツが紐解かれていったわけですから。なので僕らも半年に1度は必ず八雲町に赴いて、最新情報をゲットしてきます。ちょっとずつ熊彫のミステリーが解明され、今までわからなかった号名(ペンネームみたいなもの)が誰なのか明らかになったりするんですよ。すごく興味深いです。

店名の由来となった「ダーマトグラフ」と呼ばれるペンをディスプレイ。お店で扱っている雑貨たちと同じ時代に活躍していたペンで、金属やガラスなどに印を付けたりできます。写真のフィルムにもチェックを入れる際に使用していたこともあって、自分たちが“選んだもの”を取り扱っている、という意味を持たせているのだそう。
木彫りの熊には色んな彫り方やポージングがあって、とってもバリエーション豊か。どれも唯一無二の魅力を持っています。
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Profile

(左)正岡東真、(右)正岡有加里

東真さんはムービーの撮影・編集をしつつ、古道具のバイヤーや空間スタイリングを担当。有加里さんはスチールカメラマン、グラフィックデザイナーとして活動。1960〜90年代のジャパンヴィンテージを主にデッドストックにこだわってセレクトするショップ『ダーマトグラフ』を運営。関西きっての木彫りの熊ラバー。

SHOP DATA

DERMATOGRAPH (ダーマトグラフ)

大阪府枚方市星丘4-16-29-1
11:00〜18:00 (日祝13:00〜)
不定休

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