魑魅魍魎が跳梁跋扈!商店街が妖怪色に染まる「百鬼夜行」を率いる、河野隼也さんの尽きぬ妖怪愛。


ハロウィンはただのコスプレ大会みたいになっているので。ちゃんとお化けの仮装をやりますっていうのを、ブレずにやっていこうと思っています。

なりゆきで関わることになった2005年の第1回「一条百鬼夜行」は、どんな感じだったんですか?

もともと商店街の方が考えていたのは、近所の子供たち10人ぐらいが、画用紙で作ったお面を着けて歩くっていうのだったんですよ。それはあんまり面白くないですねーみたいなことを言って。

言ったんですね(笑)

うちは美大で後輩もたくさんいるんで、僕がやりますって言って、2週間で30人分くらいの衣装をデザインして作りました。当時はこんなかぶりものを作る技術はなかったので、顔全体にアイシャドウを塗って青塗りにするとか、そういうので頑張りました。その頃はまだ今のようにハロウィンが盛り上がる前だったので、京都で妖怪の仮装行列をするのっていうのが珍しかったんです。だから、雑誌とか新聞がけっこう来てくれて、週刊文春に載ったんですよ。

すごい!文春に取り上げられたんですね。

こんな小さな商店街が週刊文春に載るなんてことはまあないですよね。商店街も、これはいけるんじゃないかって続ける気になって、僕も研究していたことを実践できる場なのでやっていきたいと思った感じですね。実際、すごいたくさんの人が来てくれたので、これは絶対モノになるだろうと思いました。

現在制作しているのは、山姥の相方の山じじい。「鼓膜が破れるほどでかい声で叫ぶらしいので、ワッと大きく口を開けました」

たまたま関わることになった第1回がきっかけになって、妖怪に関する活動がお仕事になっていった感じですか?

そうですね。ここでの百鬼夜行がわりと有名になってくれたおかげで、他所から出張依頼が来るようになったんです。それこそ、以前MARZELで取材されていたぎんさんが仕掛ける布施の商店街もそのひとつなんですが、いろいろなところにお呼ばれする機会が増えたので、そういった依頼を受ける団体を作ろうということで、「百妖箱」という妖怪芸術団体を立ち上げました。

大将軍商店街の中にある百妖箱の1階は、ギャラリーショップに。

妖怪に関するお仕事って、どんな依頼があるんですか?

1番最初は、この近くに嵐電という路面電車が走ってるんですが、そこから妖怪電車をやって欲しいと依頼がありました。企画内容を聞くと、妖怪の絵を描いて車内に飾る程度のことだったので、ちょっとこれは面白くないですねーって。

また言ったんですね(笑)

動くお化け屋敷みたいに、妖怪を乗り込ませるのはどうです?っ言ったんです。うちのスタッフが動ける日に、妖怪になってもらおうと思って。それと、お客さんも妖怪の仮装をして乗ってもらえるように、妖怪の仮装をしたら運賃が割引になるっていうのを提案したんです。

めっちゃ面白いですね。その企画は実施されたんですか?

実施しました。しかも、1回目の妖怪電車のときに、たまたま夕方の情報番組のロケが来てくれたんです。人が集まるか不安だったんですけど、いざ行ってみたら、沿線の人が妖怪の仮装をして来てくれてたんですよ。おばちゃんが、おでこに画用紙で作った目玉貼ってたりして。

かわいい(笑)

子供もけっこうたくさんいて、そこに妖怪が2・3体入って行ったら「うわぁー!」って阿鼻叫喚みたいになって。その様子が情報番組でけっこう面白く取り上げられていて、一発目は大成功だったんです。

大成功!すごいじゃないですか。

それで次の日お客さんがたくさん来たんですけど、その日は妖怪が乗ってなかったので、クレームが殺到してしまって。「妖怪乗ってないやん!」って(笑)。嵐電さんから、毎日妖怪を乗せてほしいと言われて、乗せることになりました。それが多分、2007年頃かな。もう何年も、京都の夏の風物詩みたいな感じで続いてますね。大学生くらいの子が来て、「子供の頃、この妖怪にめっちゃ泣かされた!」とか言うこともあります。

さすが、歴史がありますね。大学を卒業して、いきなり妖怪を仕事にできるのもすごいですね。

一応いくつか会社勤めもしたんですけど、妖怪の活動のほうが大事だったので、妖怪のことをやりながら仕事もするって感じでした。実は今も、母校の大学で先生をしているんですが、やっぱりこっちのほうが楽しい(笑)。ここ数年はご依頼が増えたり海外に呼ばれたり、イベントの規模もどんどん大きくなっているので、今後は妖怪一本でやっていけたらいいなと思ってます。

河野さんは、なぜこんなに妖怪に需要があったと思われます?

妖怪好きの人はすごく多いんですけど、これまで妖怪好きの人は本を読むくらいしか、その気持ちを発散することができなかったと思うんですね。それが、妖怪を見える形にして、仮装行列したり電車に乗せたりっていうのは、まだ新鮮な感じがするんじゃないかと思います。昔からあるように思えますけど、妖怪の仮装したイベントはわりと最近なんですよ。

確かに、ハロウィンの仮装はあっても、妖怪の仮装ってあんまりなかったですよね。

ハロウィンはただのコスプレ大会みたいになっているので。ちゃんとお化けの仮装をやりますっていうのを、ブレずにやっていこうと思っています。妖怪の仮装行列では、自作の衣装で参加したいっていう人に募集をかけるんですけど、ちゃんと写真審査もしていまして。

それは、クオリティーを保つために?

それもありますし、スパイダーマンとかナースが来てしまうと困るので。ちゃんと妖怪にしてくださいという条件を付けて、写真を送ってもらってチェックして、OKの人だけ来てもらうようにしています。
以前はコスプレ的なものとか、ようやるわみたいな感じで見ていたんですけど、いざイベントにそういう人が来てくれると「あ、こういう作り方があるんか」とか「こういうふうに解釈して妖怪にするんや」とか、毎回すごい新鮮なんです。自分と全然違うテイストの人が来るのも面白いです。

この妖怪たちの造形は、何かをモデルにされているんですか?

妖怪の絵というのは江戸時代にたくさん描かれていて、そういった昔の妖怪を出典にしています。この絵を忠実に立体化したらどうなるんだろうって考えながら。絵に残っていない妖怪は、自分で想像して作ってます。
僕、子どもの頃から獅子舞がすごい怖かったんです。あんなのが来て、頭をかまれたら賢くなるとか、そんなん嫌やって(笑)。獅子舞が来るたびに泣いてたんですけど、そういうテイスト。「昔の神社の蔵の奥にあるお面です」みたいな。そういう昔感があるテイストを目指して作ってますね。

どうやって作るんですか?

紙粘土で形を作って、上から紙を貼ります。習字用の半紙ですね。それを貼って、コーティングして着彩っていう感じです。だから素材はほぼ百均で売ってる物で。

見た目に反して、すごく軽いですね。このスタイルは河野さんが編み出されたんですか?

これは学生時代に教えてもらいました。大分県の臼杵というところが、この商店街より前から妖怪で町おこしをやっていて、そこで張り子の作り方を教えてもらって、独自に進化させたという感じですね。

これまで何体くらい、手掛けてこられました?

全部で40くらいじゃないですかね。なんとか自前で百鬼夜行できるように、100を目指して作れたらなと思ってるんですけど。ただ、置く場所をどうしようっていうのはありますけどね。

妖怪は、日本のキャラクター産業の元祖的なものなんじゃないかなと思いますね。江戸時代も、すごろくやお面などの郷土玩具に根付など、いろいろなグッズにもなってます。
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Profile

河野 隼也

京都市伏見区出身。妖怪造形家、妖怪文化研究家、「妖怪芸術団体 百妖箱」代表。幼い頃から妖怪に惹かれ、大学では妖怪を観光資源とした町おこし企画などを研究。「一条百鬼夜行」「嵐電妖怪電車」「伏見妖怪酒祭」「三井寺妖怪ナイト」など、妖怪にまつわるさまざまなイベントを手掛ける。

現在、怖いモノを見た。幽霊に出会った。あれは妖怪だったのか。オチはないけど不思議な体験をした。など「怖い話」を募集中。あなたの 怪談 聞かせてください

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