できるだけわかりづらい本を。京都の出版社『さりげなく』の代表を務める稲垣佳乃子さんのめくるめく思考、これまでのこと。
読む人が勝手に解釈できるのが本の魅力。だからこそ、いろんな解釈が生まれるわかりづらい本を作りたい。
『さりげなく』では、これまで11冊の書籍や雑誌を刊行していますが、作家さんには稲垣さんからオファーされるんですか?
そうですね、「本を作らせてください」とオファーしています。どんな本を作りたいか企画書を作ってお伝えして、OKが出たら作りましょうとなるんですが、オファーする時が一番緊張しますね。いつメールや手紙が帰ってくるか、毎回ハラハラドキドキしています。
『さりげなく』の本は、大きさや形もバラバラですよね。何か意図はあるのでしょうか?
作家の土台になれるような出版社に、と考えたのが『さりげなく』を立ち上げたきっかけでした。私は「この人の隣に誰かがいれば」と感じた人と一緒に本作りをしたいと思っています。すでにたくさん本を出している作家さんは、別にうちから出版する必要はないんじゃないのかなと。なので『さりげなく』から発刊する本は、そのほとんどが作家さんにとっての最初の作品。だからこそ、中身が滲み出るようなデザインや装丁にこだわっていて。ベストを突き詰めていくと、やっぱり変わったものが多くなってきます。
ちなみに、今年10月1日に発行された平田基さんの『雲煙模糊漫画集 居心地のわるい泡』についてはいかがでしょうか?
これはすべて鉛筆の線画で描かれた漫画本です。知り合いのグループ展で基さんの線画を見て、これはすごすぎる!と衝撃を受けました。帰りに興奮して、「絶対本にしたい」と『さりげなく』メンバーに電話したのを覚えてます。基さんは油絵の作家で、その時は展示に合わせて鉛筆で描いていたとのことでした。それもあって、最初は「線画で短編漫画を描いていただけませんか」と依頼し、エッセイや漫画、対談などさまざまな表現で思考を可視化した雑誌『思考紀』に寄稿してもらいました。漫画を送る際、文章もつけてくださって。当初は漫画だけの予定だったけど、その文章もすごく良かったから一緒に掲載させてもらい、さらに基さんの作品が好きになりました。そして、基さんに「本を作りませんか」とお声がけしたんです。
基さんとはどんな風に本作りを進めていったんですか?
一緒に作りませんかとお声がけして、絵を描くまで3〜4ヶ月ずっと2人でお茶会をしていました。なんで人間はお金を使うのかとか、死んだらどうなるかとか、答えがないような話をひたすらしていましたね。
喫茶店での何気ないお話が本になるなんて、編集者って素敵ですね。
短歌集を一緒に作った仲西さんは、「編集者が入る時点で私だけの作品じゃない」とよく仰るんです。ストーリーの良し悪しへの介入とかコメントの量の問題じゃなくて、一緒に作ろうとした時点で、これは私だけのものじゃないからっていう。例え、言葉を発しなくても一緒に作っている感覚っていうのかな。
仲西さんは、『さりげなく』から小説も刊行されていますよね。
『そのときどきで思い思いにアンカーを打つ』という手のひらサイズの小説です。最初に原稿を読んだ時、実家に置いていた持ち運び用のハンディ英和辞書が浮かんできて、「絶対この装丁しかない!」と思いついたんです。これは短編よりもっと短い掌編小説で、まさに手のひらに収まる装丁やからぴったりでした。毎年1冊ずつ20年間出版する予定になっていて、これは第1巻目。実は他にも仕掛けがあって、20巻分を並べてタイトルを最後の号から読んでいくと、文章になるよう考えられていて。そこには彼女自身のテーマというか、ずっと大事にしている言葉が綴られています
この掌編小説にはショートスパンコールというシリーズ名を付けていて、短い小説という意味の“ショート”と20年続くという意味の“スパン”、それぞれのお話や登場人物がきらめいているという意味を込めた“スパンコール”。ショートスパンコールはそれらを繋げて仲西さんが考えた造語で、まさにこの作品にぴったりなんです。
そういう仕掛けについて本の中でどこまで言及すべきかも考えましたが、結局20巻並べるとどうなるかも載せてないし、ショートスパンコールの言葉の意味も載せていません。ただこのシリーズは20巻続くということを、あらすじのところに書いているだけです。
稲垣さんは本を作る際、“わかりづらさ”を大切にしているとよく聞きます。なぜ“伝えやすさ”をではなく、“わかりづらさ”を重視されるんですか?
よく作家のみなさんやメンバーと話すのですが、本になった時点で、これは作家のものでも編集者のものでも、はたまた出版社のものでもなく、読者のものになる。人に届いて読まれることでようやく本の役割を果たすというか、価値のあるものとして意味を発揮する。これがどんな本になっていくか、その行先はわかんないんですよね。『さりげなく』の本だけじゃなく、世の中にあるすべての本が読者にどう読まれているかなんてわからなくて。たった一行だけをひたすら読む人もいれば、読んでないけど本棚にずっと並べている人、一回読んで満足できたから捨てちゃう人もいて。私はその人なりの楽しみ方があると思うから、「こう伝わるだろう」と決め付けず、感じ方は読者に委ねるようにしています。逆に、こちらがもっている願望は届かないかもっていう諦めがあるのかもしれません。人ってその時々で感じ方も変わるから、ずっと寄り添えるわけじゃないし、届かないこともあるだろうと思うんです。
確かに、ある時読んでめちゃくちゃ共感した本も、何年か経つと「あれ?」と思うことってありますね。
こうあってほしいという想いはもちろん込めるけど、それが強すぎちゃうと読者のものにならないと思うんです。作家や編集者側のものでしかないというか、それってあんまり幸せじゃないような気がしていて。夏目漱石の『坊ちゃん』なんかを読むと、作る人と読む人の間にきちんとその作品が存在していて、時代背景も今と違うからいろんな解釈が生まれる。私は勝手に解釈できるところが本の良さだと思うから、自分の作る本もわかりづらくていいというか、そういう意味でいろんな解釈が生まれるものになればいいなと考えています。
稲垣 佳乃子
1993年生まれ。双子座。大学時代にフリーペーパーを制作したことをきっかけに企画・編集のおもしろさに魅了され、以来媒体を問わず常に何かを生み出し続ける。2019年に出版社「さりげなく」を創業し、2021年に株式会社化。今年10月に発売されたばかりの平田基による漫画本『雲煙模糊漫画集 居心地のわるい泡』も好評。