まちと人と壁と、アートを繋ぐ。大阪・此花発、WALL SHAREが世界のアーティストと協業して残し続ける、ミューラルというカルチャー。

大阪・此花のまちにどんどん増え続けているミューラル。ミューラルとは、英語の“MURAL”をそのまま日本語化した言葉で、直訳すると壁画。建物などの壁に描かれるアートを指し、海外ではストリートアートとして受け入れられています。とは言え、日本ではまだまだ馴染みがなく、ミューラルという言葉自体を知ってる人も少ないかもしれません。でも、ミューラルへの愛と熱量を持ち、此花を拠点に全国各地を飛び回りながらミューラルをプロデュースし続けているチームがいます。それが、WALL SHARE。川添孝信さんと久永連平さんの幼馴染2人が軸となって、世界各国のアーティストと協業しながら生み出しているミューラルとは!?設立の経緯からミューラルへの想い、MURAL TOWN KONOHANAをはじめとする様々なプロジェクトのこと、これからのビジョンなど、たっぷりと聞いてきました。まちと人と壁を繋ぎ、ミューラルを通じてアートと触れ合えるきっかけを創出している彼の活動を、ガッツリと知ってもらえるとうれしいです。そして今、此花のまちがめちゃくちゃおもしろくなってるので、ミューラルを眺めながら散策してみてください!!
アーティストへのリスペクトがあるから、当事者目線で語ることはしない。まずはミューラルへの理解を深めてもらうために、そのルーツや想いをきちんと伝えていく。それが、僕らのやり方なんです。

ミューラルに特化し、事業として展開してること自体がすごく珍しいと思うんですが、そもそもWALL SHAREはどんな経緯で立ち上げたんですか?
川添:スタートは僕からなんですが、連平とは小学校からの幼馴染なんです。しかも小学2年生のとき、同じ日に転校してきたっていう縁もあってね。3年生で同じクラスになって仲良くなっていくんですが、当時から聞いてる音楽も似てたんです。
久永:その当時で言えば、KICK THE CAN CREWとかRIP SLYMEとか。
川添:ヒップホップカルチャーが好きで、その流れでグラフィティも好きになっていきました。連平とは高校まで一緒でしたが、大学は別々でそれぞれのキャリアを重ねていく中で、僕自身が起業への想いがすごく強くなっていったんです。車のディーラーやITベンチャーに勤めてきましたが、どうせ起業するなら自分の好きな領域でやりたいなと。グラフィティが好きっていう、ただそれだけのワクワク気分が始まりでした。
久永:その頃、僕はオーストラリアでのワーキングホリデーを終えて、バックパッカーしながらアジアの国々を周遊して帰国したタイミングでした。Taa(川添さんのニックネーム)から「こんなことしたいと思ってるねん」って感じで誘われたから、じゃぁ手伝おうかなと。当時はワンエイティーという会社をTaaともう1人が共同代表でやっていたので、僕は週末だけ手伝っていたんです。
川添:連平に声をかけたのは、WALL SHAREというミューラルのプロジェクトが始まりかけていた時期でした。カルチャーとビジネスをうまく掛け合わせて、自分の好きなことをカタチにしていくために選んだミューラルという領域ですが、ビジネス視点だけでは難しい。今もまだそのフェーズにはいますが、やっぱりカルチャーへの想いや好きな気持ちが大切だし、それを共有できる存在が必要だったので連平を誘ったんです。その後、よりミューラルに向き合うべく、2020年4月にWALL SHAREとして法人化しました。
久永:ミューラルは、パブリックな場所で表現されるアート。日本ではまだまだ認知も低いし、アート市場自体が海外と比べると未成熟な状態だから、ミューラルを通してアートと触れ合えるきっかけを作っていきたい。それが、僕らの根底にある想いなんです。

川添さんの好きなものへの想いに久永さんも共感して、WALL SHAREが始まったんですね。ミューラルは認知度の部分もそうですが、壁に描くという行為自体がネガティブに捉えられることもあると思います。そこを乗り越えてプロジェクトを進めていくわけですが、肌感覚としてはどうでしたか?
川添:そもそも会社を設立したのがコロナ禍の緊急事態宣言が出たタイミング(笑)。外に出るなと言われてたから、情勢としても完全に向かい風でした。今でもネガティブに捉えられることもありますが、まず僕らがしてきたのはきちんと伝えること。ミューラルもグラフィティのルーツがあって今があるので、「落書きを消してアートにしたい」という相談を受けても、まずは言い方と捉え方を変えるべきですよって。僕らは落書き消し屋ではないし、グラフィティへのリスペクトを持って起業してます。だからこそ、ルーツや背景の部分からミューラルのことを伝え、理解してもらうことを大事にしてるんです。その上で「ぜひ!」となれば、やるって感じですね。

WALL SHAREがいることで、先入観や固定観念も変わっていく。それ自体が文化の土台を作っていくことにもなりますよね。
川添:でも、僕らはグラフィティアーティストではないし、絶対的にリアルではないんです。文献とか情報でしから知らないからこそ、語りすぎないようにしてます。アーティストへのリスペクトがあるからですし、当事者ではない言葉で語るのはアカンなと。そこの部分とは切り分けながら、アーティストと一緒にミューラルを作ってると言うようにしてます。
久永:好きだからといって、僕らが越境していくのはおかしいですからね。

なるほど。自分たちの立場を明確にしてるからこそ、アーティストと手を組むことができると。めちゃ大切なことだと思います。壁面に描きたいアーティストの方々は多いと思うんですが、やっぱり壁探しは大変でしょうし、会社を立ち上げてからすぐに案件を獲得できたりしたんですか?
久永:全然なかったですね(笑)
川添:ゼロベースで始めたので、半年間は仕事がなかったです(笑)
久永:グラフィティやミューラルのカルチャーは好きでしたが、実際に中に入ってみると右も左もわからない状態。このアーティストがどんな立ち位置でどんなルーツがあるのかとか、細かい部分まではわからなかったので、関わっていただいたアーティストにとにかく聞きながら知見を増やしてましたね。
川添:全てにおいて苦労したと言えばそうですが、好きなことだからワクワクの方が勝ってましたね。ただ、創業融資で受けた資金がどんどん減っていくので、めちゃくちゃ焦ってはいましたけど(笑)

それは焦る(笑)。でも、プロジェクトを起こすためにはどんな動きを?
川添:僕らはカルチャーとビジネスの双方に足を置いてて、描くことはできないですが、アーティストができないことをしてる。例えば、スタートアップが出るようなピッチコンテストに参加しまくってたんです。大企業とスタートアップを繋ぐオープンイノベーションが増えてる時期でもあったから、とにかくあちこちに出て、しゃべることを繰り返してましたね。
久永:周囲と比べてビジネスの内容も見た目も違うから、かなり異質だったと思いますね。
川添:でも、そのおかげで創業年の暮れに某時計ブランドと、年明けにはリラクゼーションドリンク<CHILL OUT>とのプロジェクトが実現しました。僕らはゴリゴリのカルチャーな企画もすれば、企業の広告もするんですが、カルチャーとしてのミューラル、ビジネスとしてのミューラル、その両軸がないと持続できないと思ってます。ビジネスならアーティストの新しい活躍の場を作ることにもなるし、カルチャーに振り切るとアーティストの表現をガッツリと打ち出していける。それを双方向で実現できたのが<CHILL OUT>とのプロジェクトだったんです。<CHILL OUT>は日本コカ・コーラ社(当時は日本コカ・コーラ社との共同出資で立ち上げられた合同会社Endian)のブランドで、オープンイノベーションのプラットフォームに情報がアップされたから速攻で応募。問い合わせが殺到して一瞬で閉じられましたが、僕らのことをおもしろがっていただき、そこから何度か一緒にプロジェクトをさせていただきました。

すごいビッグネームですね!カルチャーをビジネスに乗せてカタチにしていくとなると、いろんな障壁もあると思います。例えば、クライアントの意向とアーティストらしさを保つバランスは、一番気を遣う部分じゃないかなと。
川添:まず大前提として、クライアントにはアーティストの意見を尊重することを伝えています。アーティストに色々と押し付けしてしまうと、やっぱり見る人もわかっちゃうので。せっかくミューラルに挑戦していただいたのに、アーティストらしさが表現できてないともったいない。その挑戦を生かすためにも、アーティストファーストの環境を整えるようにしています。あと、アーティストが素晴らしい作品を生み出すことは間違いないので、その温度感をどれだけ熱量高く伝えられるか。それが僕らの大切な役割の1つですね。
久永:ビジネスではあるんですが、クライアントを巻き込んで一緒に楽しみながら作り上げていくことも大切だと思ってます。その1つの事例にもなるのが、JR東日本との企画です。「ミューラルワンライン」というタイトルで、大宮駅から横浜駅までの鉄道沿線をミューラルで彩っていくんですが、<CHILL OUT>と一緒に取り組みました。いろんなアーティストの方々と協業し、ラッパーの田我流さんにもこのプロジェクトのアンサーソングを作ってもらったんですが、めちゃくちゃ胸熱で…。完成したミューラルの前で歌っていただき、それを映像としても発信する。ミューラルを軸にいろんな表現がクロスオーバーする展開は、僕にとってもWALL SHAREにとっても印象的なプロジェクトだったと思います。



ビジネスライクになりすぎないアツい展開ですよね、それは!クライアントもその企画に乗ってるからこそ実現できたわけですし、ビジネスだけどグルーヴを作るみたいな。久永さんから事例を含めた印象的な仕事を聞きましたが、川添さんにも何かありますか?
川添:基本的に全てが胸熱なんですよねー(笑)。ただ、僕らの海外進出のきっかけにもなった仕事は、いろんな意味で印象に残ってます。ある日、ポーランド政府からメールが届いたんですよ。万博に合わせて、ポーランドのアーティストに大阪で絵を描く機会を作りたいという相談で…。まぁ、どうせ嘘だと思ってやりとりしてたら、ほんまでした(笑)。で、せっかくのチャンスだから「大阪のアーティストもポーランドに描きに行って、ミューラルのエクスチェンジをしましょう!」ってダメ元で提案したんです。すると、「その視点を持ってなかった私たちが恥ずかしい」と言ってくれて。まぁ翻訳してるから正確な言い回しじゃないですけど、ポーランド政府の人はええこと言うなと(笑)

久永:それで英語・日本語・ポーランド語の3ヶ国語で契約書を作ることになったんですが、向こうは決まってからのスピードがめちゃくちゃ早くてね。時差もあって別企画も動いてたから、作業していた漫画喫茶の部屋の中で契約を結ぶことになりました(笑)
川添:言語の壁を乗り越えて、なんとか契約もうまく結べ、アーティストのBAKIBAKIさんと連平と一緒にポーランドに行きました。めちゃくちゃおもしろかったですね。ミューラルを介して日本のアーティストの橋渡し役にもなれたので、すごく意義もあったなと。あと、英語を話せない僕が言うのもおかしいですが、連平のワーホリレベルの英語が通用したのも衝撃でした(笑)
久永:気合いと、テクノロジーに頼ったおかげやね(笑)

WALL SHARE
ミューラルを企画・プロデュースする企業として、2020年4月設立。壁画の直訳でもあるミューラルを通じて、様々なシーンでアートと触れ合えるきっかけを作り、国内外のアーティストの活動をサポートしている。2023年9月からは拠点となる大阪・此花エリアで、『MURAL TOWN KONOHANA』プロジェクトをスタート。まちと人とアートが繋がるミューラルを生み出し続け、大きな注目を集めている。
https://www.wallshare-inc.com/
Instagram: @muraltownkonohana

川添 孝信
WALL SHARE代表。大学卒業後、フォルクスワーゲンとクラウドワークスを経て独立し、ワンエイティーを共同創業。自分の好きなグラフィティやアートの領域で事業を展開するため、2020年4月にWALL SHAREを設立。ミューラルへの果てしない愛と熱量を持ち、カルチャーとビジネスを結びつけながら国内外の様々な場にミューラルを生み出し続けている。

久永 連平
ミューラルプロデューサー。大学卒業後、有馬温泉の老舗旅館で販促施策やマーケティングに従事。その後、オーストラリアで2年間働き、アジア各国を渡り歩いて帰国し、WALL SHAREにジョイン。世界の多様なカルチャーを吸収しながら、ミューラルのリアルシーンも見続けてきたその眼と感性は、国内外のアーティストから高い信頼を集めている。