消しゴムはんこ作りから生まれた対話が活動の原点。気鋭の若手絵本作家・原葉太さんに聞いた、夢中の始まりとその先。
今回取材したのは、消しゴムはんこや木版画を生かした絵本作家として活動している原陽太さん。小学4年生の頃、父親に教えてもらった消しゴムはんこの魅力に取り憑かれ、10年以上に渡ってライフワークのごとく彫り続けてきたんだとか。興味を持ったらとことんのめり込む、その揺らぎのない姿勢はとても眩しく感じられました。お邪魔させてもらった原さんのおうちには、アイデアの種やもの作りへの情熱が溢れていて、飾らない真っ直ぐな言葉にハッとさせられることも。私にもこんなに夢中になれたことってあったかな、そんな風に自分の子ども時代を振り返るきっかけにもなりました。夢中になるって素敵、心からそう思えるインタビューです。ぜひ原さんのみずみずしい感性に触れてみてください!
小学4年生の時、年賀状作りで出合った消しゴムはんこに魅了されました。その時から暇さえあれば消しゴムはんこを彫っています。
原さんは東京出身で、大阪に住み始めたのも最近ですよね。どうして大阪に来ようと思ったんですか?
実家が東京の阿佐ヶ谷で、1年半ほど前から大阪に住み始めました。18歳の時に東京で1人暮らしを始めて、20歳くらいまでは東京にいたんですが、家賃も高いしなかなか生活が苦しくて。高校生の頃から絵本を作っていたので、誰も知り合いがいない街に住めば、もっと絵本作りに集中できるかなと思ったんです。ちょっと修行みたいな感覚でした。だけどいつの間にか知り合いがたくさんできて、今はとっても楽しく暮らしています。温かい人が周りにたくさんいるので本当にありがたいです。
修行をするみたいな感覚、今の時代にはちょっと珍しいですね。仕事の合間にご自身の制作活動をしているんですか?
普段は、アクリルの加工や製造をしている大阪・中津の『フジモト工芸』で働いています。以前は天神橋筋商店街の『ガクブチの大和』にいました。そこは昔気質のなかなか大阪らしいお店でしたね。
原さんは現在、木版画や消しゴムはんこを活かした絵本を制作していますが、もの作りに目覚めたきっかけは?
小学4年生の時、「年賀状を作ろう」と父が消しゴムはんこを買ってきて。“あけましておめでとう”という文字や干支を一緒に彫って、年賀状にぽんぽん押していきました。僕はそれがめちゃくちゃ楽しくて、正月が明けた後もずっと消しゴムはんこを作っていたんです。“あけましておめでとう”とかもう必要ないのにずーっと(笑)
夢中になったらとことんですね。真っ直ぐでかわいい(笑)
もともと絵を描くのは好きで、親子で器用な方ではあったんだと思います。その時から、お正月に消しゴムはんこで年賀状を作るのが毎年の恒例行事になりました。本当に楽しくて熱中してたんで、自然と自分でカッターや材料になる消しゴムを買うようになりました。今は木版画もやるようになりましたが、最初の版画体験は消しゴムはんこでした。
消しゴムはんこが原さんの原点なんですね。
ただ、消しゴムはんこと言っても本物の消しゴムには彫ったことなくて、はんこ用に売っているハガキサイズの消しゴムを使うんです。文房具というより画材に当たるんだと思います。
文字ではなく、絵を中心に彫るようになったのはどうしてですか?
始めた当初は、干支を彫ってぽんと押すだけだったんですが、年々父親の技術やアイデアも向上して、ちょっとずつグレードが上がっていったんです。印象的だったのは午年の年賀状を作る際、馬のシルエットを赤で押して、その上から黒の縞模様を押してシマウマにしたこと。その時は、黒い馬、赤い馬、シマウマを並べて配置しました。そこで、重ねることでデザインに変化をつけるレイヤーの考え方を知ったんです。
レイヤーか。なんだかデザイナーさんみたいですね。
その頃、古いマッチのデザインにもハマっていて。昔作られていたマッチって、色数を増やすとコストがかかるから、黒と赤の2色刷り印字にしているところが多かったんです。色数を絞りながらどれだけ華やかに見せるか、制限がある中で最大限に遊ぶストイックさに惹かれました。はんこも色数を増やすと、版のズレが起きて汚く見えちゃうし、絵としても意外とおもしろくなくなる。それもあって、僕の作品は黒と赤の2色のみで構成しています。
確かに、『わだまりあんに』という本がそれですね。
基本は黒で、大事なところにだけ赤を使います。自分で刷っているので色数が増えると作業量も倍になるし、正直たくさんの中から色を選ぶのが得意じゃなくて。選択肢が少ない方が想像もつきやすくて、僕にとっては自由の幅が広がるんです。それもあって、なるべく少ない色数で作っています。
ちょっと違うのが『きみのはなし』かな。これはもう1度色を選んで中津の『レトロ印刷』さんで刷り直しをするんですが、黒と赤以外の色も取り入れて作っています。色の選択肢がたくさんあるから、選ぶのがすごく大変なんですよ。
原さんの子ども時代の話を聞きたいです。
小学4年生からずっと、暇さえあれば消しゴムはんこを作っていました。授業中も机の上に教科書を立てて、その陰に隠れてひたすら彫っていて。携帯いじったり漫画を読んだりしてる子は怒られてましたけど、消しゴムはんこを彫ってるとかわけわかんなかったのか、先生も「消しゴムはんこ作ってるのか。へぇ〜……」みたいな感じで僕は許されていました(笑)
作った消しゴムはんこはどうしていたんですか?
誰かにあげることが多かったですね。子どもの頃は、漫画のキャラクターを彫って友達にプレゼントしていました。ほとんど人にあげちゃってたので、その時代のはんこは全然手元に残ってません。今は領収書や名刺の版を消しゴムはんこで頼まれて作ることが多いですね。消しゴムはんこは、昔から人のために作ることが多かったのかもしれない。
その後、絵本とはんこが結びついたわけですが、何かきっかけがあったんですか?
高校生の頃、部活の後輩の5、6歳の弟がしょっちゅう学校に遊びに来ていて、すごく懐いてくれてたんです。「遊んでくれてありがとう」っていう手紙をもらったりして、何か自分にできるお返しをと考えた時に絵本を渡そうと思い付いて。その子にあげると言いつつ、今考えると全然子どもが喜びそうな内容じゃなかったけど。
どんなお話だったんですか?
主人公は、でっかい筒を持ってる全身タイツの筒太郎という男で、筒を使って戦ったり遊んだりするんですけど、筒を取り上げると何をしでかすかわからないんです。そんな少しギャグっぽい絵本を描きました。結果的にすごく喜んでくれて嬉しかったなぁ。それは手描きのイラストだったんですが、一生懸命作ったからすごく大切になっちゃって、その子には原画ではなくコピーを渡しました。絵本を作れたのがとっても嬉しくて、周りの人に原画を見せびらかしていましたね(笑)
誰かにプレゼントして喜んでもらったり、作ったものを見せて驚かせるのが好きなんですね。
きっとそうなんだと思います。その次に作ったのが『きみのはなし』という作品です。筒太郎は手描きの絵本だったけど、せっかくなら自分の特技を活かそうと高校2年生の時に版画で作りました。それを美術の先生が「すごくいいじゃん」って褒めてくれて、その人がめちゃくちゃ助けてくれたんです。「職員室のプリンター使っていいよ」って言ってくれて、15冊分くらい刷らせてもらいました。さすがにかなりの枚数になったので、こそこそ職員室に行って3回くらいに分けて印刷しました。
理解のある優しい先生ですね。
僕、ちょっと変わった私立の学校に通っていて、アーティストをしながら教えている先生が結構いたんです。美術の先生もその1人で、自分が主宰するグループ展で絵本を売らせてくれました。たぶん500円とかだったんですけど、絵本が売れたことがとにかく嬉しくて、これでお金を稼げたらどんなにいいだろうと思いました。そこで、僕は絵本を描いて生きていこうと心に決めたんです。
原 葉太
2001年生まれ、東京出身。小学生の頃、年賀状作りから消しごむはんこに興味を持ち、現在は木版画や消しごむはんこを用いた絵本を制作している。主な展示は、「きみのはなし」@恵比寿BOOTLEG GALLERY、2人展「詩画集こどもの展示」@神保町ブックハウスカフェ、「ファンタジー」@阿佐ヶ谷古書コンコ堂/muma/JUDEE(三店舗同時開催)、「わだまりあんにの展示」@阿佐ヶ谷ギャラリー白線など。