写真展開催で来阪!水原希子さん・茂木モニカさんが見る「夢の続き」とは。


今からリクリエイトしようとしても、同じ写真を撮ることはできない。

本当に行く先々で、思いのまま、気の向くままに撮影されてるんですね。

水原:モニカは写真が大好きで、私も小さい頃からお着換えごっことかが好きで、だから子どものようにわちゃわちゃしながら撮ってました。いい意味でのゆるさというか、ほんとにフランクな感じで。実はすごくたくさん撮ってたんですけど、でも旅の最中はそんなこと全然意識してなかったんです。おしゃべりして遊んで、すごく楽しい時間のなかで撮ってたから。

たしかに、その場の空気感とかが伝わるような感じがします。

茂木:だからきっと、今から同じ写真を撮ろうと思ってももう撮れない。がんばって撮ろうとすると、ナチュラルさやフリーダムがなくなっちゃうから。だから、この写真は見ていてすごく愛を感じる。

水原:そうだね、今からリクリエイトしてようと思っても、もう撮れない。

本当に、ありのままの写真なんですね。

水原:ヌードの写真もいっぱい撮りましたけど、なぜヌードになったかって言うのは…。

茂木:みんなでヌードになったんだよね。

みんなでヌードに!

茂木:そう、ライトボックスを見たら、私がちょっとだけ映ってるセルフィーもあります。

水原:本当に誰もいなかったので、なんかもう脱いじゃう?みたいな感じで、自然と一体になろうよ!って。

写真集に収録しなかったフォルムをコラージュした作品。アザーカットでありながら、その写真もとても魅力的。

なんだかすごく楽しそうな感じがします(笑)

水原:ほんとにおもしろかったですね。一緒に行った友達はこの会場の音楽も担当してくれてるんですけど、彼女が、なかなか外で裸になることなんてないから、あそこの部分に太陽を当ててみようって言い出したんです。太陽にさらす機会なんてないし、いい気が入って来て体にもいいって聞いたしやろうって。それで3人でブランケットを敷いて寝そべったんですよ。そしたらすごい開放的な気持ちになって。

茂木:車に積んでた青いチェックのブランケットね。あれを見ると、もうそれしか思い出せない(笑)。あとで見て、こんな写真撮ったっけ?って。

水原:フィルムで撮ってるから、現場では見れないんですよ。

デジタルではなく、フィルムカメラで撮影されたんですね。

茂木:それが私のスタイルで、fate、運命に任せてるっていうのが、フィルムの楽しさなんです。

水原:フィルムは何が写ってるかわからないけど、時にはすごく神がかった魔法のような瞬間が撮れることもあるんです。どういうものが写っているか、モニカはそこに期待して、フィルムで写真を撮ってるよね。

「希子、あの時の写真すごいよ、ほんとに素晴らしいよ」

旅の後、撮った写真をご覧になってどんな感想を持ちましたか?

水原:実は私たち、旅の直後はパーッと見ただけなんです。撮ったことに満足しちゃってるから、「ああ、いい写真が撮れたね!」って。でもどこに出すわけでもなかったから、その時はそれでオッケー!って感じで。

茂木:ハードドライブにずっと入れてただけだったよね。

水原:でも月日が経ってコロナが起きて、世の中も色々変わってしまった時に、モニカが旅の写真を振り返って「希子、あの時の写真すごいよ、ほんとに素晴らしいよ」って。私もちょうどその時の写真を思い出したり、写真集を出したいなと考えてた時期だったので、モニカと相談して、あの写真を出すタイミングは今じゃない?っていう話になったんです。

旅の直後とは、写真が違って見えたということですか?

水原:コロナが起きてすごく息苦しくなってしまったけど、この時の写真の私たちは、ピュアにありのままの自分を楽しんでいるんです。自然と一体になる感覚だったりとか、その瞬間を生きるみたいな、言葉にするとありきたりですけど、それを実際に当時の私たちはやっていて。その姿を見て、過去の私たちから、インスピレーションを受けたみたいな感覚になりました。

茂木:そこにも作品の意味があると思う。4年の時間が経って、気持ちが変わった、そこが大切なところ。

「自然に湧き出ている温泉があって、すごく気持ちよかったんですけど、日が暮れたらたくさん蚊が出てきちゃって」という裏話も。

4年という歳月が流れて、世の中や自分が変わったからこそ、見えてきたものがあるというか。

水原:振り返って見た時に、なんて尊い時間だったんだろうって。月日が経ってからその時の素晴らしさをあらためて実感して、だから、今出そうって。

茂木:そうだね、感謝も込めて。若かったから撮れたというか、色々あって、成長して。当時は気付いてなかったけど、あとで見ると、すごい成長したね私達って。

旅の意味みたいなものが、あらためて浮き彫りになったんですね。

水原:私がなぜアメリカに行ったかと言うと、当時アメリカのエージェントと契約して、現地でオーディションを受けていたんですね。でも、その頃ちょうどダイバーシティという言葉が出てきて、アメリカの企業も積極的にアジア人や黒人を採用して、ダイバーシティの“枠”を埋めようとしていたんです。

茂木:アジア人とか、女性とか、そういう枠。

水原:そう、ただアジア人とか女性とかそういうレッテルだけを見られていて、これは私自身を見てくれてるのかなって。何か違う気がする、うれしくない、なんだろうこの気持ちは……ってなっていたときに、なんかもういいよ、旅行こうぜ!って感じで旅に出たんです。もう自分たちのやり方で自由に遊ぼう!みたいな気持ちで。そしたら、こんなにナチュラルでいい写真が撮れたんです。無理をしていると写真には写ってしまうし、例え他の人にはわからなくても、自分ではわかるんです、この写真の私はハッピーじゃないって。でも、この写真に写ってる私は、全部本当にその時の等身大の私でした。

素のまま、そのままの水原希子が写っていたと。

水原:こんな写真は、撮ろうと思ってもなかなか撮れるものじゃないんですよね。私は長く表現する業界にいますけど、こういう写真を残せた、こんな作品をモニカと一緒に作れたっていうのはすごく特別なことだと思います。

茂木:私たちも写真集を作ろうってなったときに、自分たちでPARCOに行ったんです、この写真どうですかって。そしたら、本当にレイアウトとかも全部任せてもらって、100%自由にさせてもらえた。それも、やればできることなんだなって。

写真集の企画を自らPARCOに持ち込みされたんですか!?

水原:この写真をどうやって世に出そうか考えていた時に、PARCOが過去に出版した本をたくさん持っていて、そのどれもが本当に素晴らしくてアート性の高いもので、アーティストに対するリスペクトを感じたんですね。だから、一度PARCOに相談してみようって。そしたら、サポートはしてくれるけど私たちに自由を与えてくれて、なんの規制もなく、すべて任せてくださって。本当に感謝しかないというか、心強かったですね。

茂木:展示もね、自分たちでやってるから。だから、自分たちの言葉でちゃんと話すことができる。

心の赴くままに行動した先で、素晴らしい景色に出合えたから。
123

CATEGORY
MONTHLY
RANKING
MONTHLY RANKING

MARZELでは関西の様々な情報や
プレスリリースを受け付けています。
情報のご提供はこちら

TWITTER
FACEBOOK
LINE