みんなの人生に音楽で関わりたい。『日本音泉紀行』をリリースしたビートメイカー・NICKELMANが生み出す、そのビートから始まる体験と世界。

2026年2月6日。千年に一度の風呂YEARであり、大風呂の日と呼ばれるこの日に、<桶 MUSIC FACTORY>のサポートでリリースされたアルバム『日本音泉紀行』。風呂好き&銭湯好きはもちろん、音好きからも高い評価を集め、日本の古き良き文化を伝播する新たな形としても注目されているアルバムです。手がけているのは、日本人ビートメイカーのNICKELMAN。これまでに海外のレーベルからも様々な作品をリリースし、ビートメイカーユニット・FREEMANZ PRODUCTIONとしても活躍しています。そんな彼が、なぜ今『日本音泉紀行』をリリースしたのか。過去の活動、ビートメイクやアートワークの真意を掘り下げながらじっくりとインタビューしてきました。「みんなの人生に音楽で関わりたい」と語るNICKELMANのビートは、ぜひ聴いておくべきだと思います。
カセットやレコードでリリースしているのは、現代のサブスクにはないリスナー体験がセットされてるから。

まずはNICKELMANさんが音楽とどんなふうに出会ってきたか聞かせてもらえればと思います。
小学生の頃から色々聴いてましたが、HIPHOPやミクスチャー系の音楽と出会ったのは中学生の時ですかね。お姉ちゃんが持ってたオールジャンルか何かのイベントのカセットテープに山嵐が入ってて、そこからスケボーを始めるんですが、一緒に滑ってた友だちの影響でWu-Tangを知りました。Method ManとRedmanのコンビが好きで、僕の名前も彼らの影響を受けて○○MANと付けたくてNICKELMANにしたんですよ。
そーだったんですね!中学生あたりからHIPHOPが色濃くなっていくような感じですが、ビートメイクはいつ頃からしてたんですか?
高校2年の頃ですかね。ラップもしてたんですが、DJ Premierとかも聴いてたから、そのフリップをネタから抜いてドラムを並べたりしてビートを作ったりしてました。それで高校3年の時にMPC2000XLというサンプラーを買って、以来ずっと使い続けてますね。

今も愛用してるとは、すごい!高校時代もラップやビートにのめり込んでたようですが、NICKELMANさんの音楽感はそれからどのように形成されていったんでしょうか?
20歳くらいからミナミのクラブ・FLATtで働き出したんですよ。働いてる人たちがドラムンベースとかテクノとか、とにかくジャンルレスなDJの方々ばかりで、いろんな音楽に囲まれてる毎日でした。音楽感というか、音楽を楽しむ幅はこの時に一気に広がりましたね。
FLATt、懐かしい。僕もよく行ってました。
閉店するまで働いてて、その後はVIYNL 7 RECODSで働いてました。レア・グルーヴにも興味があり、入荷したレコードをスタッフ割引でディグりまくってましたね。その当時のレコードは今でも聴いてるし、僕の中ではVIYNL 7 RECODSとFLATtでの経験が大きいかなと。ほんま、FLATtは映画みたいなめちゃくちゃな毎日でしたね(笑)
まぁ、そりゃ濃いですよね。ビートメイクとか音源制作が本格化していくのもその時期ですか?
そうですね。初期の頃はラップ作品もありましたけど、20代も後半になるにつれてインストがメインとなる今のスタイルになっていきました。心境の変化ってわけじゃないですが、いろんな音楽に触れてきた中で、自分としても聴きやすくて体に馴染むというか、そんな体感もあったからインストの方向にシフトしていったんです。

自分という存在と音楽表現がリンクするというか、深化していく流れでのシフトだったんですね。NICKELMANさんは『deepconstruction records』を主宰されてますが、どんな経緯でレーベルを立ち上げることに?
自分たちで作品も作ってたから、レーベルも作りたいっていう自然な流れですよ。ただ、どうやってレーベルを作ればいいかは分からなかったので、VIYNL 7 RECODSのマツモト・ヒサターカーさんに相談したら「ロゴ作って、名乗ったらできるで!」って言われて。「そーなんや!」って思いましたね(笑)。それで当時の仲間と立ち上げたのが『deepconstruction records』の始まりです。
なるほど!そこから色々とリリースされていますが、カセットテープのイメージも強いなと感じます。
もちろんレコードもありますが、インストのビートテープを最初にリリースしたのは2014年ですね。2013年頃から構想を練って作ってて、ちょうどその頃にアメリカのオンライン音楽プラットフォーム・Bandcampでもカセットとデジタル音源を一緒に売るのがブームになってました。僕らの考え方と同じやなって思ったのを覚えてますね。


今でこそカセットテープも再燃してますが、10年以上前だとまだまだ下火だったというか。そんな中でNICKELMANさんがカセットテープのリリースにこだわったのには、どんな理由があるんでしょうか?
僕らが小学生の頃はまだまだカセットが主流でした。そこから時が経って今ではCDの需要が薄れていく中で、レーベル立ち上げ当初からレコードをリリースしてきたんですが、カセットはレコードとも似てる部分があるんですよ。例えば、現代のサブスクなら簡単にスキップできるけど、カセットはそうじゃないし、自分の世界観を曲順でゆっくり聴かせることができるじゃないですか。それにカセットの個体によっても、プレイヤーによっても音や揺れが変わる。アナログ特有の動物的なところが、レコードと似てるなと。
確かに、その均一化されない部分が深みだったり、良さだったりもしますもんね。
それに、リスナーの体験がセットされてるんですよ。カセットを取り出し、プレイヤーに入れて再生ボタンを押す。A面が終わると、B面に入れ替える。サブスクはすぐに聴けるけど、それとは違う体験を提案したくてカセットのリリースも続けています。
体験であり、そこで生まれるアクションがあることで、音楽を聴く時間にまたストーリーも生まれる。NICKELMANさんの話を聞いてると、ちょっとしたゆとりを心の中に作ることにも繋がるような気がします。ちなみにカセットの生産はどのように?
自分たちで最後まで仕上げたくて、カセットを録音する機械・デュプリケーターを買ったんですよ。その時は、以前MARZELにも登場してたKEITAも一緒に買いました。

そうなんですね!
これがそのデュプリケーターなんですが、マスターテープと録音用のテープをセットして録音するんですけど、とにかく時間がかかります(笑)。1日フルで頑張っても50本くらいが限界でしたね。録音だけじゃなくて、カセットにシールを貼ったり、梱包したりもあるので…。ただ、当時はまだ円安でもなかったから、カラフルなテープを海外のサイトで探して仕入れたりとか、そんな作業も楽しかったんです。

でも、めちゃくちゃ時間がかかる!
そこですね(笑)。自分で作るのには限界があるし、時間もかかってしまう。その時間を使って新しいビートを作った方がいいなと思って。限界を迎えて、ようやく冷静になりました(笑)。もう今はOEMの業者にお願いしてますが、当時は全部手作りでしたね。これもカセットとの楽しい思い出です。

NICKELMAN
数々のレコードやカセットテープのリリースで知られる日本人ビートメイカー。日常生活のリズムから生まれる感情を、音楽とアートで表現することを大切にしている。その型にはまらない自由な表現方法で、リスナーから着実にPROPSを集め、自身の作品にコラージュやドローイングを施すアートワーク名義「55555」 としても活動。レーベルメイト FROGMANとのビートメイカーユニット FREEMANZ PRODUCTIONとしても活動し、大阪を拠点にdeepconstruction recordsを主宰。様々なアーティストとのコラボレーションや、URBNETやVINYLDIGITALといった海外の著名レーベルからのリリースなど、幅広い活動を精力的に行う。近年では日本全国ツアーに加え、LA(Scenario、Beat Cinema)、台湾(NODTOWN)、上海(FRUITY GROOVE)での海外ツアーも成功させている。2026年2月6日、毎日の銭湯通いを経て湯煙の中で生まれたアルバム 『日本音泉紀行』 が、桶 MUSIC FACTORYのサポートのもとLPとカセットテープでリリース。