みんなが自分らしくいられる場所を目指して。バンド・愛はズボーンの儀間建太さんがアメ村から発信する、新しい街の姿。


お互いに認め合うことができることを、アメ村に教えてもらった。

『iiie』もバンドもそうですが、儀間さんの軸足はアメ村にあると思っているんですが、昔からアメ村で過ごしていたんですか?

高校を卒業して地元の大正にある鉄工所で働いたあと、アメ村の立体駐車場でバイトをし始めたんです。そこで今でも関わりのあるいろんな人と出会ったんですが、その中で一番気心知れて喋れるのが、アメ社(アメ村社員食堂)のパパ。声をかけてもらって、駐車場とのダブルワークで朝方までアメ社で働くようになったんです。

朝から晩までアメ村ですね。

当時は働いてる人がほぼスケーターで、お客さんはみんな音楽をやってたりダンサーだったり、アメ村で遊んでいる人たち。そんな人たちにいろんな場所に連れ回してもらって、アメ村にどんどんハマっていきました。自分はまだ19、20歳くらいの何も成し遂げてない若者だけど、そんなことは気にせず「建太は建太でいいやん!」って言ってくれる先輩ばかりで。「やってることはバラバラだとしても、お互いこんなにも認め合うことができる」ってことを教えてもらいました。

全然知らない人がひとりの人間として認めてくれる場所だった。それってめちゃめちゃ嬉しいですよね。

ほんまにアメ村のどの扉を開いても初めてのことばかりが待ってて。しかも 3 分の1ぐらいはちょっと怖いっていう(笑)。何が起こるかわからないスリルとドキドキがたまらなく面白かった。とにかくいろんなカルチャーの分布図がアメ村全体に散らばってて、テーマパークみたいやなって思ってました。

当時のアメ村と今のアメ村を比べてみてどう思いますか?

いろんなカルチャーが交流している感じだったり、エネルギッシュで血気盛んな雰囲気はちょっと薄れて、個人個人で遊ぶ場所になっている様な気がします。よく言えばオープンな場所になった。ただ個人的には、昼と夜の顔の違いがもっとあったら面白いなって思いますね。

アメ村が昔より怖い場所じゃなくなった、とはよく聞きますね。

それ自体はいいことなんですけどね。いろんなカルチャーが生まれてきたアメ村だからこそ、カルチャーに対するバイタリティは今も持ってると思うんです。

『iiie』を始めたのも、そういう理由があるんでしょうか?

もともとこの場所は『digmeout CAFÉ』っていう古谷さんの店で、いろんなカルチャーのハブ的なスポットやったんです。『iiie』を始める時に古谷さんから「アメ村はお前に任せた」って言われて。自分が遊ぶターンから、若いカルチャーに対して場所を作る順番が来たんやなって感じました。自分はアメ村に育ててもらったので、その恩返しができたらと思ってます。

ゼロからチームを作って何かを作り上げていくのが、最高に楽しい。
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Profile

儀間 建太

1991年生まれ、大阪市大正区出身。身長187cm。大阪・アメ村を拠点に活動するロックバンド・愛はズボーンのボーカル/ギターを担当。サーキット型フェス『アメ村天国』を主催。フリーランスチーム・PIXELGRAMメンバー。バンド活動の他にも、クラフトビールショップ『iiie』のマネージャーや、アートディレクター、イベントプロデューサーなど、多方面から大阪の街に根付くカルチャーを創造し続ける仕掛人。

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