みんなが自分らしくいられる場所を目指して。バンド・愛はズボーンの儀間建太さんがアメ村から発信する、新しい街の姿。

大阪の文化発信地・アメ村で音楽を中心に、ファッションやアート、フード、お笑いなど、アメ村らしさ全開のカルチャーを混ぜ込んだサーキットフェス『アメ村天国』が11月30日(日)に9回目の開催。この精力的な活動を仕掛けているのが、バンド・愛はズボーンのフロントマンである儀間建太さん。バンド活動にとどまらず、アメ村のクラフトビールショップ『iiie』でのマネージャー業や、街にアプローチするさまざまなイベントのプロデュースやアートディレクションなど、多岐にわたる活動を通して、今のアメ村のカルチャーを作り上げる最重要人物のひとりと言っても過言ではない存在です。その活動の原動力とは一体なんなんでしょうか。インタビューの端々で感じる、街に対する熱い想い。周囲を巻き込みながら多方面で動き続ける儀間さんのバックボーンを深堀りすると、街の未来の姿が見えてきました。

自分にしかできない生き方をしてやろう。その想いを大事にしている。

バンド・愛はズボーンのフロントマンとして儀間さんは活躍されていますが、音楽活動だけに収まらず、今日インタビューをしている『iiie』のマネージャーを務めたり、アートディレクターや企画プロデューサーとしての顔も持っていたりと、幅広く活動をされていますよね。

人から何をしているのか聞かれることも多いんですが、自分にしかできない生き方をしてやろうっていうのを大事にしているので、ぶっちゃけ肩書きはそこまで気にしてないんです。

取材場所で使わせてもらったアメ村の『iiie』は、ライブイベントやギャラリーとしても使われるクラフトビールショップ。

自分のなかにそれだけたくさんの軸を持つっていうことは、なかなか簡単なことではないと思うんです。その活動の原体験みたいなものってどこにあるんですか?

音楽にのめり込むよりも前に、ステージに立って自分の体や声を使って表現をしたいっていう気持ちが強かったんです。それが最初に爆発したのが小3の時。音楽の授業参観日に、みんなの親が見にきていることに気持ちがアガって、急に立ち上がって鍵盤ハーモニカで小室哲哉の真似をしたんですよ。

みんなビックリしますね(笑)

どちらかと言えば控えめな感じの子だったので余計に。いろんな葛藤を飛び越えて衝動的にやったことが周りにめっちゃウケて。その時初めて、人から注目を浴びるっていう快感を味わったことが、今のいろんな活動の中の原体験になってます。

音楽とはどんな風に出会ったか教えてください。

小5の時に親友のお兄ちゃんに観させられたゴイステ(GOING STEADY)の『君と僕とBEEの★BEAT戦争』っていうライブDVDですね。目をひん剥いて、マイクを涎まみれにして歌ってる姿がとにかく衝撃的で。ゴイステにハマってから、特に夢は持ってなかったけど、スポットライト浴びるような仕事をしたいってぼんやり思い始めてました。

ステージに立ちたい欲求がその頃に生まれていたんですね。

そこから高校に入って軽音楽部に入るんですが、そのきっかけが受験で通っていた塾の先生が「息子が軽音楽部でバンドをやってるから、そこに行ったらどうや」って言ってくれたことなんです。ちなみに新入生歓迎ライブで演奏していた先生の子どものバンドが、今のバンドメンバーです。

こちらが儀間さんのバンド・愛はズボーン。メンバーは、左からベースの白井達也さん、儀間さん、ボーカル・ギターの金城昌秀さん、ドラムの富永遼右さん。

高校時代に結成したバンドなんですか?

もともと僕が高校を卒業してフリーターをしながらソロで活動していた時の名前が、愛はズボーンなんです。そこに先輩が入ってくれて。

バンドの前にソロで活動してたんですね。

当時はギターもまだ全然弾けなくて、弾き語りっていうか弾き殴りな感じで、のたうち回りながらライブしてました(笑)。ほんまに小5の時に観たゴイステのライブをひとりでやってる感じでしたね。

衝動が爆発してますね(笑)。少し話がそれますが、愛はズボーンってめっちゃいい名前ですよね。

高校の時の授業で、吉野弘っていう詩人の「I was born」っていう作品を授業で習ったんです。自分がこの世に生まれた意味みたいなものを、中学生の主人公がお父さんとの会話の中で気づくっていう話なんですけど、それがずっと心に刺さってて、自分の生きるテーマに「生と死」っていうものが生まれたんですよね……。こうやって話をしていると、自分の人格は高校時代に形成されたんだなって思いました。

人格が高校時代に作られたっていうお話、もう少しお聞きしたいです。

友達もたくさんいて、自分のやりたいことを聞いてくれる家族もいて。順風満帆に小中高と過ごしてきたんですけど、高校2年生の時にある日突然、プツッと線が切れたみたいな状態になって。そこから丸々1年間、一言も喋らなかったんですよ。

突然。なにかしらのきっかけがあったんですか?

高校が合併したタイミングだったんですけど、「俺がみんなをまとめないと」っていう勝手な使命感からキャパが限界になったんでしょうね。何をしても退屈で、とにかくずっと考え事をしてて、音楽を聴いてる時だけが唯一自由になれる時間でした。

鬱に近い状態だったのかもしれませんね。考えすぎて閉じこもってしまった。

その1年間で、自分にも暗い部分があることを知って、儀間建太という人間が熟成したんやと思います。もしあの経験がなかったら、今こうしていろんな物事を作ってることもやし、バンドをずっと続けてくこともできてなかったと思います。

ちなみに、どうやって抜け出したんですか?

それが、修学旅行で人生初めての飛行機に乗って、離陸した瞬間に全部がどうでも良くなったんですよ(笑)。空港に着いてクラスメイトに「戻ってきたわ!」的なことを言ったら、みんな泣きながら「建太が帰ってきた〜!」って。旅行はこれからなのに、いきなりフィナーレみたいな雰囲気になってました。

お互いに認め合うことができることを、アメ村に教えてもらった。
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Profile

儀間 建太

1991年生まれ、大阪市大正区出身。身長187cm。大阪・アメ村を拠点に活動するロックバンド・愛はズボーンのボーカル/ギターを担当。サーキット型フェス『アメ村天国』を主催。フリーランスチーム・PIXELGRAMメンバー。バンド活動の他にも、クラフトビールショップ『iiie』のマネージャーや、アートディレクター、イベントプロデューサーなど、多方面から大阪の街に根付くカルチャーを創造し続ける仕掛人。

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