令和に舞い降りた昭和の天使、文坂なの。高いプロデュース能力で切り拓き突き進む、終わりなきアイドルという道。
群雄割拠のアイドル戦国時代というより、さまざまなスタイルのアイドルが共存するこの時代。令和に昭和の香りをまとう唯一無二の存在感で注目を集めているのが、「昭和と令和を股にかける懐かしくも新しいアイドル」文坂なの(あやさか なの)さんです。フリーランスで活動する文坂さんは、イベントのブッキングから楽曲の依頼、グッズのディレクションまで、すべて自らが担当するセルフプロデュースアイドル。演者でありマネージャーでありプロデューサーでもあり……と、アイドルという枠を超えてしまう有能さと、やっぱり「なのたん」と呼びたくなるアイドル性と、その両方を持ち合わせているのです。6月には新曲『C級noロマンティック』をリリースし、ライブも精力的に行っている文坂さんに、デビュー前のことから将来の野望まで、たっぷりお話を伺いました!
地下アイドルってどこからがアイドルなのか、定義がわかんないですけど、初めてライブハウスのステージに立たせていただいて、その日からアイドルになりました。
文坂さんは完全フリーランス&セルフプロデュースで活動されてるんですよね?
はい、自分で1人で。マネージャーさんとかいないので。
文坂さんがアイドルを目指したきっかけから、教えていただいていいですか?
もともと小さい頃からアイドルが好きだったんですけど、中学のときにあんまり学校に行けなくなった時期があって。そのときにずっと家のパソコンで、アイドルのことを調べたり曲を聴いたりしてて、すごく支えになったのがアイドルの存在だったので、自分も誰かの支えになりたいなと思って、好きから憧れになりました。
ちなみに、誰がお好きだったんですか?
当時はいろいろ聴いていて、そのときに流行ってるアイドルさんとか、声優アイドルさんとかも聴きました。その中で心惹かれたのが、山口百恵さんとか、中森明菜さん。
めっちゃ昭和ですね。YouTubeとかで過去の映像を見たりとかですか?
YouTubeもそうですし、いろいろ調べるのが好きだったのでネットで古い記事を見たり、オークションで昔のCDを買ったりとかして。
アイドルになりたいなと思ってから、どんなふうに活動を始められたんですか?
高校生の頃は、オーディションをいっぱい受けました。大手とか募集してるところがあれば全部送ってみるみたいな感じだったんですけど、全然受からなくて。卒業するぐらいまでいろいろ受けてたんですけど、ネットで“地下アイドル”という存在を知って、そういうアイドルさんもいるんだな、そっちもやってみようかなと思って始めました。
地下アイドルには、どうすればなれるんですか?
私も最初なり方がわからなくて。コンカフェとかメイドカフェで働いたことがあったんですけど、そこでアイドルをしている子がいたので聞いてみたんです。そしたら、ライブが毎週末にあるって言うので詳しく聞いて、そこのライブハウスのオーナーさんに「出させてください」ってお願いに行ったんです。
地下アイドルってどこからがアイドルなのかっていう定義がわかんないですけど、一応ステージに立ったらアイドルスタートかな……みたいな感じなので、初めてライブハウスに立たせていただいて、アイドルになりました。
文坂さんが、アイドルとしてデビューした瞬間ですね。ライブハウスの方は、出演を快くOKしてくださったんですか?
まずは見学に来てくださいって言われて、ライブを観に行ったんです。そこで、「こんな感じでやってますけど、できそうですか?」って聞かれて、「やってみたいです」って。
できそう!って思えたんですね。
できそうっていうか、やりたい!のほうが強かったですね。でも本番はめっちゃ緊張して、終わったらもうボロボロ泣いてました。
初ステージは、何を歌われたんですか?
多分、松田聖子さんの『赤いスイートピー』とかだったと思います。とりあえず、好きな曲を歌おうと思って。15~20分のステージだったので、3・4曲歌った気がします。
けっこう長くないですか? 楽曲や衣装、MCの内容も全部自分で考えるんですよね?
そうですね。でも自己紹介とか考えたけど、たぶん言えてないと思います、緊張しすぎて。ダンスとかもやってみたけど全然できなくて、もう歌うので精一杯で記憶がないです。
記憶がないぐらい緊張されてたんですね。当時の音源や映像を見直したりされることはあるんですか?
一応録音はしてたんですけど、一回も聴けてないです。ちょっと……どきどきして聴けないですね。
最初のステージを終えたときの気持ちは、どんな感じでした?
思ってたことが全然できなくて、もう「わー!」ってなったけど、終わったら「またやりたい」でした。ステージから見た景色だけは、なぜか鮮明に覚えてるんです。お客さんにどの人がいてどこにいたとかすごく覚えてるんですけど、自分がステージの上で何をしてたかは覚えてない。景色だけ覚えてます。
それだけ、ステージから見える景色は特別だったんですね。そこから、アイドル活動は順調に?
同じライブハウスに次の月も呼んでもらえて、そのライブを観た他のイベンターさんから声を掛けてもらって、どんどんいろんなライブに出させていただくようになりました。
それはきっと、最初のステージが良かったんですね。
どうなんでしょう、わからないですけど、でもそうやって活動の場が広がっていきました。最初の年は毎月1・2回ライブハウスに出演する感じで、次の年からは自分でイベントを主催したり、生誕ライブを企画したり。オリジナル曲も作ったりしてましたね。
オリジナル曲も、ご自身で作詞家さんや作曲家さんに発注されるんですか?
そうですね。オリジナルができるまで2年かかったんですけど、作り方がわからなかったんです。当時はまわりにも自分の曲を持ってる子があまりいなくて。どうやって作るのかなーみたいな。自分でネットで探して、作曲依頼を募集してますみたいな方にメールを送ってお願いしてました。
ネットで探して、この人いいなっていう方にご自身でアプローチを?
はい。今もそれは変わってないですね。
文坂なの
大阪府出身。関西を拠点に活動する、フリーランスのセルフプロデュースソロアイドル。「昭和と令和を股にかける懐かしくも新しいアイドル」をキャッチフレーズに、80'sアイドル感あふれる楽曲を歌う。2016年エスパーなのたん名義で活動開始。2020年に文坂なのに改名。夢は恵比寿の『LIQUIDROOM』でワンマンライブ。オリジナル楽曲全てサブスク配信中。
Youtube:@ayasaka_nano