Interview & Writing
前出 明弘
Photo
依藤 寛人

ワンダフルボーイズのボーカルや天才バンドのキーボード&ベース、様々なアーティストへの楽曲提供にプロデュース、そして自身がオーガナイズするイベント『Love sofa』など、日本の音楽シーンに果てしない才能の爪痕を残し続けてるSundayカミデさん。執筆活動に精を出したり、最近ではドラマにも出演したりして活動の幅をどんどん広げてますが、アンダーグラウンド感もしっかりと刻み込まれたそのスタイルが、“らしい”感じなのです。8月6日(土)には大阪城音楽堂で『Love sofa 2022 summer special』が開催されるので、そのことも詳しく伺いながら、これまで歩んできた人生から音楽のこと、この先のことまでをインタビューしてきました!才能とかセンスとかの前に、とにかく人間味があふれ過ぎてるというか、ハートフル。これを読んで、ぜひ『Love sofa 2022 summer special』に出かけてくださいね!!

めちゃくちゃ面白くないことをテレビで普通に言ってる自分にビックリ。大学生になって初めて、自分が面白くない人間だと気づきました。

8月6日(土)に開催される『Love sofa 2022 summer special』のことをじっくり伺う前に、まずはSundayカミデさんの音楽のルーツを聞かせていただければと!いつ頃から音楽に興味を持ち、演奏などを始めていたんですか?

3歳の頃からピアノを習い始めました。男3人兄弟で上の2人が習ってたので、自分も当たり前のようにしてたし、ピアノをする環境だったんです。

今もピアノをされてるので、まさにエリートですね。

でも、小学5年生の時にやめました。そこから中学3年生までピアノから離れてたんですが、諸事情で再開することになって…。実は、どの授業も全般的に出てなくて内申点が足りず、コーラスコンクールでピアノを弾けば「音楽についてはそれなりに出席したことにしてあげる。どうや?」と言われたんです。音楽の授業は1回も出てないんですけどね。

ちょっと問題ありな生徒と、優しくてアツい生徒想いの先生という構図が見てとれます(笑)。それでピアノを再開したと。

自由曲がX JAPANの「Say Anytihing」で、めちゃくちゃ家にこもって練習しましたね。なんでこの曲やねんとは思いつつも、既に決まってたものだし、ちゃんと練習しないと絶対できないくらい難しかった。ただ、僕の伴奏でみんなが歌う「Say Anything」はすごく感動的だったのを覚えてます。

その光景が見てみたい。そもそも、そんな難しい曲を弾けたのもすごいですが、きっとYOSHIKIさんが憑依したんでしょうね。ちなみに昔はどんな曲を弾いてたんですか?

小学生の頃はデュラン・デュランやジョン・レノンのアルバム「イマジン」をよく聴いてて、アルバムタイトルでもある「イマジン」は耳コピで弾いてました。今でもたまに弾きますけど、楽譜は1回も見たことないんですよ。耳コピした音で弾いてるので、合ってるかどうかは分からないですが、なんとなくこんな感じかなと。

絶対音感ですか?

絶対音感はないんですけど、単純に聴こえてくる音を何回もピアノで練習してたので。

それ、普通にすごいと思います!ピアノを再開するきっかけがあったわけですが、その後はバンド活動とかもしてたんですか?

友だちの組んでるバンドにベースがおらず、文化祭に出るために誘われたんですよ。興味はなかったし、やったこともなかったけど、ベースがいないのは可哀想やと思ってね。「多分できるで!」と言ってバンドに加入し、その日に楽器屋でベースを予約しました。

行動が早いし、自信にも満ちてますね(笑)。演奏はどうだったんですか?

その文化祭は、当日に出るための予選会があるくらいちゃんとしてて、いろんなバンドが出てたんです。僕らもいいライブができたと思ってたんですけどね。その時のボーカルは、今もシンガーソングライターで活動してる市村マサミ君だったんですが、予選会の演奏中に全裸になりまして…。しっかり落選しました。全裸事件のおかげで。

超ロックなことしてますが、校内の行為としてはぶっ飛び過ぎてますね(笑)

だから、文化祭のために軽くやったり、ピアノやベースをマイペースに弾いてた程度です。ベースも当時は簡単に弾けると思ってたし、それなりにできてるつもりでしたが、今となってはすごく難しいものだなと。その奥深さにも気づいてるので、毎日練習はしてますね。

小学校から高校までいろいろありつつも、音楽には呼び寄せられてた気がします。本格的にバンドを組んだのはいつ頃に?

高校1年を2回して、3年生になった頃に後輩と組んだのがバンドとしての本格的なスタートですね。そのバンドは大阪のインディーズ事務所に声をかけられて、「これから育てていく!」的な立ち位置で活動をしてました。僕自身はライブしてる時に東京のレーベルの人から「ベーシスト兼プロデューサーとして上京しないか?」と誘われてた時期もあったんですよ。結局は断りましたけど、その頃からミュージシャンやアーティストになることを少し意識してたかなと思います。

けっこう順風満帆なスタートですよね。

でも、事務所の上下関係的な謎のルールがあったり、ライブハウスのノルマ問題とかもありましてね。別にノルマをこなすのが悪いわけじゃないですけど、ブッキングでバンドが集まったから開催するだけで、ライブハウスの人もその日のバンドに思い入れがない場合もある。それはちょっと違うかなと思い始めてる頃に、後輩が高校を卒業するタイミングを迎えたんです。僕は先に卒業して大学に行ってるし、後輩もそれぞれの夢や進路があったので解散しました。僕はその時に音楽もやめたんです。ある程度頑張ったなと思って。

いろんな部分が見えたりもしたし、やり切った感もあったと。

大学では教員になるための勉強もしてたので、もういいかなと。それで音楽を完全にやめて、1年くらいはビーチバレーしてました。

すみません、ちょっと話が急展開すぎませんか(笑)

ラグビーを小学生から続けてたのでクラブチームにも入りつつ、それと並行してビーチバレーにも励んでたんです。当時、須磨海岸でFM802主催のビーチバレーのオープン大会があって、プロの中に混ざって一般参加で出たりもしてましたね。

けっこうガチじゃないですか!?

その大会では、たまたま1回戦の相手がお笑いタレントの和泉修さんと、元巨人の宮本和知さんのペアだったんです。僕らの相手が有名人だったので、テレビに映ったりインタビューもされましてね。真っ黒に日焼けして、髪も潮焼けで茶髪になり、ガイコツのネックレスをしたイキった若者やったんです。でも、そのインタビューがオンエアされ、自分を見てすごく反省しました。

何でですか?

めちゃくちゃ面白くないことをテレビで普通に言ってる自分にビックリしたんです。そこで初めて、自分が面白くない人間だと気づきました。今までも相当面白くないことを言ってたんだろうなと。面白くないことは言わないと心がけ、その後2年くらいは反省しながら生きてましたね。

当事者としては黒歴史的なものかもしれませんが、逸話としては最高過ぎます(笑)。そうやって日々反省する中で、音楽の世界にカムバックするきっかけは何かあったんですか?

後にA.S.P(Associate Social Piano)というバンドを一緒に組むRAITAやBAGDAD CAFE THE trench townの番長が、「もう1度音楽をやるべき!」と言ってくれたんですよ。

それはどんな時に?

RAITAが僕の実家に勝手に住んでたんですよ。僕がいない時でもお母さんに「行ってきます」とか、「今日も朝ごはんおいしかったです」とか言うくらい、家にいてました。

カミデ家の4男状態ですね。

そんな感じです。多分、説得するために僕の家に住んでたのかもしれませんね。番長とかいろんな人をとにかく連れて来てたんですよ、勝手に。まぁ、RAITAも番長も高校の後輩とそのまた後輩だったのでね。その2人に説得されて、もう1度音楽をしようと思ったんです。

『Love sofa』は人気のバンドを呼ぶんじゃなくて、自分たちの広がりでバンドを作りながらカタチにしていったイベント。

もう1度音楽をすることになり、そこから組んだのがブラジル・ジャズバンドのA.S.Pということですか?

A.S.Pを組んだタイミングとほぼ同時かその前に、僕がオーガナイズするイベント『Love sofa』をスタートさせたんです。ちょっとその前に遡った話をすると、ライブハウスでもいろんな経験をしたし、バンドを作るだけではどうにもならないと思ってたんです。活動していくのもけっこう厳しいだろうから、それならクラブとかで自分たちのパーティーを持ち、そこから新しい何かを作る方が早いんじゃないかなと。僕自身、中学3年生くらいから先輩に連れられて、今はなきアメ村のレゲエクラブ『セントアンズ』に通ってたので、自分たちで何かを発信するシーンを割と早い段階から見てたんです。

バンド活動を先決するよりも、まずはステージやシーンを自分たちで作っていこうとしたと。『セントアンズ』のことは、ワンダフルボーイズの「93年の唄」でも歌われてましたよね。

そうですね。自分たちで何かを発信していこうとみんなで話し、そこから生まれたのが『Love sofa』でした。最初のイベントは2000年4月、現在は閉館してしまった梅田の『ヒートビート』という500人くらい入る大バコで開催したんです。確か『Love sofa after time』そんなタイトルだったと思います。

いきなりそんな大バコをよく押さえられましたね。

尾崎師匠というギタリストの方がいて、以前から僕らのことをどこかで見かけて気に入ってくれてたんです。19歳くらいの頃には「お前はイベントとかをして、みんなを率いた方がいい」と言われてたので、尾崎師匠に電話して「イベントしたいんです」と伝えたところ、「ハコ代をリーズナブルにしたるから、ヒートビートでするか?」と言っていただけて。記念すべき1回目を開催することができました。

その日をスタートに『Love sofa』が22年も続くイベントになるなんて、すごいですよね。ちなみに、『Love sofa』にはどんなコンセプトを込めてたんですか?

最初にコンセプトは考えてたんですが、今となっては忘れてしまってます…。すごく緻密に考えた記憶はあるんですが…。でも、イベントが無事に終わって少しした頃に、倒れて入院してしまうんですよ。

え?

脳にウィルスが入って、2ヶ月くらい意識不明の状態でした。おかげさまで意識は戻ったんですが、言葉とかは忘れてて…。でもね、不思議なことに楽器だけは弾けたんです。RAITAや番長をはじめ、周りのみんなも「元気になるのを待ってるから、また音楽やろう!」とエールを送り続けてくれたので、そこからようやく『Love sofa』が本格的に動き出すことになりました。

いろいろ急展開がありつつも、Sundayカミデさんのそばには必ず支えてくれる人がいますよね。で、いよいよ本腰を入れていくことになると。

なんかね、自分的には1回死んでる感じなんですよ。だから、22〜23歳くらいから余生を過ごしてる感じ。そこまで深くは考えず、あくまでも余生なので…。

余生ですか…なるほど(笑)。シリアスな側面もありますが、今もお元気で何よりです!では、その余生が新たにスタートしていく中で、『Love sofa』やバンド活動はどう形成されていったんですか?

自分たちで何かをする時に必要だったのは、バンドの数というか、とにかく状況的にも自分たちしかいなかったので、誰かと知り合ったら「バンド作ろう!」としきりに言ってましたね。『Love sofa』は人気のバンドを呼ぶんじゃなくて、自分たちの広がりでバンドを作りながらカタチにしていったイベントなんです。A.S.PもBAGDAD CAFE THE trench townもそうだし、BOWLING No.9もそう。

そういう広げ方、カタチの作り方はめちゃいいですね。

A.S.Pが1度解散するタイミングでは、しゃかりきコロンブス。(現ワンダフルボーイズ)を作り、ボーカルにもチャレンジしました。自分で歌ってみたらどうなるんやろうというギャグだったんですけど、最初に作った曲の反響がめちゃよかったんです。「天王寺ガール」という曲なんですが、「めちゃいいやん!Sundayも歌った方がいいんじゃない!」とA.S.PのAZUちゃんに言われました。今までジャズやラテン、レゲエしか作ってこなかったけど、キャッチーなのもアリかと思って始めることにしたんです。

実際にボーカルとして歌ってみると、気持ちよかったですか?

めちゃくちゃ下手やなと。それ以外の感想はなかったです。自分でも分かってたんですけど、奇妙礼太郎君やマッカーサーアコンチのアチャコさん、ラリーパパ&カーネギーママのチョウ・ヒョンレさんとか、身近な知り合いも「いいやん!」と言ってくれて、その言葉だけを強く信じて今までやって来れてます。

それはお世辞じゃないと思いますよ。素人の僕が言うのもおこがましいですが、優しさとか独特の抜け感が心地いい歌声だなと!Sundayカミデさん自身、いろんなバンドを組んでる中で担当パートはそれぞれありますが、立ち位置的にはどんな感じなんでしょうか?

基本的には全てにおいてリーダーで、自分が責任を持つ立場ですね。『Love sofa』もオーガナイザーとしての責任があるし、その部分だけはしっかりしないといけないと思ってます。何か問題が起こったら「はい、責任者です」と、出ていくだけ。昔からやってることは変わらないし、責任者キャラなんですよ。

なるほど。バンドの話の流れで聞きたいんですが、これまで組まれてきたバンドは音楽性もそれぞれ異なり、幅も広いと思います。その理由を教えてもらえればと。

「これをやろう!」と決めて動き出す感じですね。例えば、RAITAはレゲエが好きなので、彼の作るレゲエのバンドができたらいいなと思って動いたり。そもそもレゲエの語源自体は音楽のジャンルというわけじゃなく、みんなで集まるための一つの口実みたいなもの。「レゲエで集まろう」って、僕の中ではそんな感じなんです。A.S.Pの場合は、ジャズやボサノヴァをやると決めて、そこから勉強していきましたね。

Sundayカミデさん自身の音楽性が強く反映されてるわけではないと?

バンドにもよりますけどね。当時はDJをたまにしたり、ジャズやボサノヴァのレコードもたくさん持っててよく聞いてましたが、自分がジャズやボサノヴァのバンドをやるとは思ってませんでした。でも、RAITAや番長、岩井ロングセラー、今は名前を変えて活動してるけどマイケル☆パンチといったメンバーが、みんな甲陽音楽学院出身だったんです。そもそもジャズの基礎ができてたから、僕とボーカルのAZUちゃんが曲を作り、いいアレンジを加えて仕上げていく。とにかく曲が完成するまでのスピードも、バンドのスタイルが確立されるスピードも早かったですね。

アンコールの時に初対面のやついいちろうさんを呼び込んで、「君が誰かの彼女になりくさっても」を一緒に歌ってもらった。今思うとすごい失礼な無茶振り…。

ちょっと突っ込んだ話になるんですが、バンドや『Love sofa』の活動が順調に進んで軌道に乗っていく中で、生活や金銭面に困ることは?

うーん、これを言うとアレなんですが、お金に困ったことはないんですよ。

それは普通にすごいです!

そうではなくて、お金がなかったら借りたらええやんという考えなんで。それは今も変わらずですし。

(笑)

20代後半の頃は、OSAKA SKANKIN’NIGHTのDJをしてたMATSUMOTOさんに毎日ごはんを食べさせてもらってましたし、車のガソリン代とかも出してもらってました。今日の撮影で場所を借りてるCONPASSの西岡君には、ケータイ代やいろんな支払いとかもけっこう払ってもらってましたし。

マジですか(笑)。昔から周りに支えてもらってましたけど、さらにですね。

近所の珈琲館でごはん食べたり、コーヒー飲んだお金も支払ったことないんですよ。僕だけ、珈琲館でお金を支払わなくてもいいシステムが確立されてまして、いつも店員さんが「firefly(現CONPASSの前々身)に請求しときますね」って感じで。だから、よく珈琲館で過ごしてました。

まさに、お金には困ったことない環境ですね(笑)

周りの人からすごく支援されて生きてます。今もお金があるとかないとか考えないし、もしどうしても必要な場合は借りるしかないしね。

周りの人にとってSundayカミデさんは、どうしても支えたくなる存在なんですね。

多分、周りの人はこいつを世の中に出したら面白くなるんじゃないかと思ってて、そのおかげでずっと支えてもらってるんですけど、なかなか世の中には出ないという…。

そんなことないですよ!

申し訳ない気持ちでいっぱいなのと、そこまで世の中には出たくはないという自分もいるんですけどね。

(笑)。でも、現在は東京でも活動の幅をどんどん広げてますよね。ちなみに、上京するきっかけは?

ちょうど10年前くらいに上京したんです。その2年前くらいに奇妙君が東京に出てたので、ある意味、奇妙君が呼んでくれたと言ってもいいくらいで。

そうなのかもしれませんが、謙遜というか照れ隠しというか(笑)。Sundayカミデさん自身も、ほんとに周りの人に感謝して生きてますよね。で、上京してからの話ですが、大阪と東京の音楽マーケットの違いとか、難しさとか感じたことはありました?

東京だからとか、マーケットの規模は違ってもやってることは変わらなし、難しさはないと言えばないですね。明らかな違いで1つ言えるのは、テレビで見る人に会うことがけっこう多い。それだけが大阪との違いかな。

それは確かに(笑)

街で偶然見かけることもあるし、仕事で会うことも明らかに多い。そんな部分が、東京っぽいなと。コロナ禍で開催できなかったんですが、『Love sofa』の20周年イベントをリキッドルームでする予定で、そこにはウッチャンナンチャンの南原さんにも出演していただく予定でした。その頃、南原さんの単独公演の音楽プロデュースをさせてもらってて、そこでの関係もあり「Sunday君のイベントに呼んでもらえるなら出るよー」と言っていただけてたんです。まぁ、どこで人との繋がりが広がるか分からないのも、東京のすごい部分かもしれませんね。

東京でも、天性の支えたくなるオーラが発揮されてますね。

東京では奇妙君もそうだし、やついいちろうさんも僕を世に出すために動いていただいたりもしてて。いろんな人にきっかけをいただいて支えられ、生かされてます。

その部分においても、大阪とか東京とか場所は関係ないですね(笑)。ちなみに、やついさんとはどういった経緯で知り合ったんですか?

8〜9年前に島根の『たぬき音楽祭』というフェスにワンダフルボーイズで出演させていただいた時に、やついさんもDJとして出演されてたんです。出演前に挨拶はさせてもらってたんですが、僕らの出番が最後だったので、アンコールの時にやついさんをいきなり呼んでしまって。何も打ち合わせしてないのに、アンコールで用意してた曲「君が誰かの彼女になりくさっても」を一緒に歌ってもらうという…。

気心の知れたバンド仲間ならまだしも、やついさんとは初対面なのに(笑)

今思うとすごい失礼な無茶振り。やついさんも僕らのことを知らないし、「初対面でこんな振りするの?」的な感じでしたが、その場をめちゃくちゃ面白く感動的に終わらせてくれたんです。やっぱすごい人だなと。でも、やついさんもその日に僕のことを調べまくってくれて、朝方まで質問のLINEが止めどなく届きました。

そりゃ無茶振りした張本人がどんな人間か気になりますよ…。

「今日の最後の曲は奇妙さんも歌ってますけど、あれはSundayさんが作った曲だったんですか?」とか。そんな質問を18個くらい答えて、朝方までやりとりしてました。やついさんには、そこからすごくお世話になってます。

例えばどんな感じでお世話になってるんですか?

2018年にはやついさんとライトガールズというユニットを組ませてもらい、たくさん勉強させてもらってます。ドラマに何度か出演させてもらったこともあるんですが、その時もいろいろアドバイスをもらいましたね。

何のドラマに出てたんですか!?

『左ききのエレン』では、社員A。今年の1月から放送されてた『おいハンサム!!』では、第6話にヤギを飼ってる岩田さんという役で出演してます。セリフは2行くらいですけど。

才能の多彩さがどんどん広がってますね(笑)。そもそも出演依頼はどんな経緯で届いたんですか?

かなり前なんですけど、ゲッターズ飯田さんに「Sundayさんは役者とかもやってみてもいいんじゃない!」言われたことがありまして。それで、ゲッターズ飯田さんの事務所の方や周りの方が動いてくれたみたいです。

やっぱり、支えたくなる存在…。畑違いですが、演じることにワクワク感はありますか?

緊張もありますし、ゼロからのスタートなんで新人としてやらせてもらってます。映る時間は5秒とかですけど、5秒もいただけるなんてありがたい話ですよ。観てても絶対気づかないでしょうし、「出るよ」と伝えてた人でさえ気づけませんでしたから。

次の出演を楽しみにしてます!いろいろお話を聞く中でちょっと気になったんですが、音楽は当然こだわりを持ってやってらっしゃいますが、その場面や人との繋がりで起きることがラバダブ的というか、セッション的というか。フィーリングをすごく大切にされてるなと。

人と出会って、その人たちと何ができるか。それが最初にあるし、そこを考えるのが自分の役割でもあるかなと。やついさんには、無茶振りしてしまいましたけどね。『Love sofa』で言えば、「おしゃれにしてやる!」「これが最新の音楽だ!」なんて鼻息は荒くしてなくて、自分たちが仕掛けると絶対にそうなるってことだけは分かってたんです。出会うべき人が集まって作られていくイベントなので、出演していただける人がかっこいいイベントにしてくれますから。

人との出会いや繋がりも大切にされてますし、それ自体をすごく楽しんでますよね。楽曲提供やプロデュースの面で大切にしてることは?

楽曲提供に関しては、自分が本気で歌えない曲は提供しないって決めてます。ゆるめるモ!から楽曲提供の話が来た時も、本人が歌ってもいいし、自分が歌っても不自然じゃなく、心から歌える曲を作ろうと思いました。男性ミュージシャンでも女性アイドルユニットでも、そこは変わりません。これまで提供した全ての曲において、自分が本気で歌えるというのは共通してますね。

本気で歌えるからこそ、楽曲提供するアーティストさんと同じ目線でいられるってことなんですかね。プロデュースの面では、どうでしょう?

あいみょんのサウンドプロデュースをしてて、今となってはありえない話ですが、例えばあいみょんのことを誰も知らなくてもフェスや会場が絶対に盛り上がる、そんなイメージでサウンドを作ってます。

でもそれって、めちゃくちゃ難しくて大変じゃないですか?

楽曲提供でもサウンドプロデュースでも、自分の中に決まり事とゴールがあるから、意外と悩んだりはしないんですよね。けっこう仕事は早いって言われますし。もちろん妥協はしませんが、ずっと自分がしてきたことだから悩んで眠れないとか、追い込まれてヤバイとかっていう状況にはなりませんね。まぁ、そこまで仕事してないってのもありますが。

またまたそんな謙遜を(笑)

適度にって感じですよ。暇になると、ふんわり仕事がやって来ますから。誰かが見てるんちゃうかなって思う時もありますね。「Sundayちょっと暇そうやな、そろそろ仕事あげようかな」みたいな。

間違えられて24時間くらい取調室に軟禁。こんな話も文章にするとキャッチーだし、誰かの生きるヒントになればと思って書き綴ってます。

Sundayカミデさんを知る上では音楽の側面だけではなく、執筆活動もカギになってるかなと思うんですが、始めるきっかけか何かがあったんですか?

昔からずっとブログを書いてて、今はnoteで連載してます。きっかけとしては、自分の人生とか経験したこと、思ったことを1つの作品にするには音楽だけでは入りきらなかったんです。それでブログを書き始めて文章として残し、面白かったものは本にして物販アイテムで売ったりもしてます。

音楽と執筆で補いながら、Sundayカミデという人間を表現してると。

僕もいろんな人から影響を受けて生きてるし、経験したことや思ったことを文章で残してると、もし誰かが読んでくれた時に「こんな最悪なこともあるんやったら、自分はまだ頑張れるな」とか思ってもらえたら。何か生きるヒントになればと思って書いてます。

めちゃくちゃ面白いエピソードとか詰まってそうですよね。いつか出版社から書籍化の話も来るんじゃないですか?

東京のライターの知り合いが「Sundayさんの物販アイテムになってる本は、ちゃんと出版社から出したい!」と言ってくれて、すごくうれしかったですね。実際に動いてくれたりもしてるようですが、NGワードも満載だし、単純に知名度の問題もあってまだ実現はしてませんが…。いつかは書籍化されるかもしれませんね。

「支えられ力!」みたいな本も出せそうな気がします(笑)。でも、音楽で表現するのと違って、文章で残すのは自身の頭の整理にもなるし、読者としてもまた違う世界に引き込まれるのかなと。

まぁ、例えば経験してきた話で言えば、16歳の時に窃盗団のリーダーに間違えられて、24時間くらい取調室に軟禁されたことがあったんです。

(笑)。いきなりすごいのが来ましたけど…。

もちろん濡れ衣ですよ。「取調室ってこんなにすごいよー」って、万が一の時の参考になるように書いたりしてます。僕が経験してきたちょっとアンダーグラウンドな世界とか、ディープな側面も文章にすることでキャッチーになるし、世の中のいろんなことを少しでも伝えたいんですよ。音楽だけじゃなくてね。

ためになりそうだし、読むと元気になれそうな気がします(笑)。で、その後はどうなったんですか?

疑いが晴れてちゃんと帰って来れました。でも、何年か前に当時の担当刑事さんが「息子さん元気ですか?今、何してますか?」と、実家に2回も電話してきたんです。母から「あんた何かしたんか?」って連絡あったんですが、もちろん何もしてませんよ。それで3回目にかかってきた時に「バイクの窃盗チームを追ってて実家の近くを通ったので、ちょっと懐かしくなってまた電話してしまいました」と言うわけですよ。そんなハートウォーミングなことって、公の場ではなかなか言えないけど、文章にすることですんなりと入ってきますから。

めちゃほっこりエピソードですね。窃盗繋がりではありますけど(笑)

僕を間違えて取り調べしたことが印象的だったんでしょうね。当時、疑いが晴れてからもその刑事さんは僕のことをけっこうマークしてくれてましたし。

ヤンチャな時代もあったと。

捕まるような悪いことはしてませんけど、マークせざるを得ない1人だったとは聞かされてます。まぁ、そんな話とかを書き綴ってるんですよ。

これからも音楽の場所を作りたい。その時その場所にみんなが集まって楽しみ、踊る。それって、めちゃくちゃ平和にアプローチしてる行動だと思うから。

いろいろと聞かせてもらいましたが、8月6日(土)に大阪城音楽堂で開催される『Love sofa 2022 summer special』の見どころについても教えてください!

バンドって、続いてることが奇跡でしかないし、1つの生命体だと僕は思ってるんです。輝いてる時もあれば、輝ききれない時もある。それがバンド。そんなストーリーをたくさん持った人たちが集まるので、生命体としての生命力を感じられる日になると思います。

生命体ですか、なるほど。紆余曲折もあるし、いろんな想いが詰まり合ってるし、生まれたり、終わったり。そんなストーリーを持った人たちがステージで重なり合う瞬間って、すごいエネルギーを発するはず。

僕もそんな生命体の1つだし、bonobosは解散が決まってるというのもあるけど、出演者それぞれのストーリーも含めて、オーディエンスのみんなに感じてもらいたいですね。

8月6日(土)、楽しみにしてます! 『Love sofa』はもちろん、Sundayカミデさん自身の音楽活動もこれからどんどん続いていくわけですが、目標ってありますか?

余生なんでね。強い目標や夢はないけど、余生だからできることは何だろうとは考えてます。そういう意味では、金勘定で小さくまとまるのはあり得ないかなと。「余生を生きてる分際で、何を守りに入っとんねん!」という感じにはならないように心がけてます。

余生という言葉が、自身にハッパをかけてるのかもしれないですね。

ただ1つ思うのは、音楽の場所を作ることは使命かなと。場所を増やしたり、なくなりそうな場所を何とかしたり、そんな活動はもっと精力的にしていきたいですね。音楽の場所というのはアーティストとオーディエンスの関係だけじゃなく、その時その場所にいること自体がめちゃくちゃ平和にアプローチしてる行動。音楽ならではと思われるかもしれないけど、音楽はその行動にすごく向いてると思うんです。勝ち負けがないからこそ、その場所でみんなが楽しみ、しゃべり、踊る。そんな音楽の場所を作り、増やすことが目標なのかもしれませんね。

コロナ禍という時代を経験してるし、音楽の力を痛感してるからこそですね。これからの活動も楽しみで仕方ありません!!では最後に、Sundayカミデさんにとって音楽とは?大阪とは?

鶴瓶さんから言われた言葉があるんです。ラジオに呼んでもらった収録後、電話番号を教えてほしいと言われて交換した時に、こんな言葉をかけていただきました。
「お前、おもろかったで。大阪で育ててもらってこんなにおもろなったんやから、それを東京で返しなさい。大阪に返すんじゃなくて、東京に返してお前が全国区になることで、大阪の人もホッとするから」と。

背筋がピシッと伸びる金言ですね。

大阪に返すんじゃないのかと。僕の音楽や大阪への想いは鶴瓶さんのこの言葉に詰まってるから、すごく意識するようになりました。今でもたまにお電話をいただくので、この言葉だけは守ろうと思って余生を生きてます!!


<Sundayカミデさんのお気に入りのお店>

CONPASS(大阪市中央区東心斎橋)
fire fly時代から公私共にお世話になってるクラブ。『Love sofa』もレギュラーパーティーとして定期開催してます!

HAMA・GYM(大阪市大正区三軒家西)
K-1 WORLD MAXにも出場経験があり、今も現役の濱崎一輝選手が代表を務めるキックボクシングジム。大阪にいる時はよく通っていて、今日も取材前に汗を流してきました!

雲亭(奈良県生駒市門前町)
大先輩であるマッカーサーアコンチのアチャコさんがしているピザ屋さん。生駒の山頂付近にあり、雲の上でピザを食べてるような感覚になります!


<INFORMATION>

Love sofa 2022 summer special

日時: 8月6日(土) OPEN 13:15 / START 14:00
場所: 大阪城音楽堂(大阪市中央区大阪城3-11)
前売料金: 1名4800円 / 2名9000円 / 3名12000円 / 4名15000円 / キッズ2000円(中高生対象)
当日料金: 5300円(全自由)

【LIVE】
ワンダフルボーイズ
奇妙礼太郎(バンドセット)
bonobos
neco眠る
DENIMS
YONA YONA WEEKENDERS
DJやついいちろう
清水アツシ
大野裕也
松井洋介
べべチオ
KEISHI TANAKA

【FOOD】
ハマカレー(Cafe&Spiceリズモ)

【SHOP】
cabo

【TICKET INFO】
GREENS!
https://www.greens-corp.co.jp/schedule/info/index.php?event_id=10616

Profile

Sundayカミデ

OSAKAUNDERGROUNDのPOPMAKERでありワンダフルボーイズのボーカル。 21世紀の名曲「君が誰かの彼女になりくさっても」の作詞・作曲としても知られ、様々なアーティストへの楽曲提供やサウンドプロデュースも手掛ける。 また、ラジオ、トークライブ番組でのMCや自らのエピソードをまとめたエッセイ集を出すなど活動の幅は多岐に渡る。自身がオーガナイズするイベント『Love sofa』はスタートから22年目を迎え、熱烈な音楽ファンから深く愛されている。

https://www.sundaykamide.com/

share

TWITTER
FACEBOOK
LINE