布施ローカル発・ストリート育ちなピザショップ『That’s PIZZA』。地域密着を掲げて10年間、ふたりで積み重ねてきたものとこれから。

大阪に現在4店舗を構え、ピザの本場・イタリア仕込みのナポリピザを気軽に楽しめると人気の『That’s PIZZA』。スケーターとのコラボや音楽イベントの出店など様々なカルチャーとの関係も深いこの店が、布施というローカルな街から始まったって知ってましたか? 店を立ち上げたのは、ストリートな雰囲気を醸し出すヨウヘイさんとダイスケさん。ノリと勢いからスタートし、地元の人から恐がられたり、相棒と衝突することもありながらも、自分たちのスタイルを貫き続けた10年間は、苦難を超えた分だけ信頼と仲間を築き上げてきた歴史でもありました。今回はそんな“カッコいい街のピザ屋”のお話です。

自分の“武器”になる料理を見つけた。計画性なんて皆無で、ふたりともノリと勢いだけでとにかく突っ走ってた。

今年で10周年を迎える『That’s PIZZA』ですが、今日は立ち上げのきっかけから今に至るまで改めてお聞きできたらと。まずは、おふたりの出会いから教えてください!

ダイスケ:もともとヨウヘイが布施で『Cafe That’s』っていうカフェバーをやってて、俺は当時アパレルで働いていたんです。仲のいい先輩がヨウヘイと友達で、そのカフェバーへご飯に連れていってくれたのが最初の出会いかな。

ピザ屋を始める前はカフェバーだったんですね。ちなみに『Cafe That's』はどんなお店だったんですか?

ヨウヘイ:オムライスやハンバーグとか、唐揚げ定食みたいな、ガッツリしたご飯を出してて、夜はお酒も楽しめるっていう、まあよくあるカフェバーみたいなノリで、6坪くらいのちっちゃい店でした。ほんまにダイスケは毎日来てくれてたよな(笑)

ダイスケ:その時は家も近所で一人暮らしやったし。とにかく飯がめっちゃウマかったんですよ。

左がオーナーのヨウヘイさんで、右がダイスケさん。普段はダイスケさんが南堀江店で働いているため、布施店にふたりが揃うのは久しぶりとか。

ダイスケさんのように常連もたくさんいたと思うのですが、カフェからピザの道に進むことになったのは何故でしょうか?

ヨウヘイ:小さいハコでずっとひとりで店をやるっていう将来があまり見えなかったんですよね。カフェバーっていろんなメニューを満遍なく出せるけど、裏を返せば「コレだ!」っていうスペシャルなメニューはなかった。自分の“武器”になる料理をずっと考えていたら、ある日「ピザ」っていうわかりやすい料理にビビッと来て。それで、どうせなら本場で勉強したろうと、ナポリに行くことにしたんです。

すごい行動力ですね! ナポリに行かれたときは、何かツテがあったんですか?

ヨウヘイ:ゼロです(笑)。とにかく働きたいっていう強い意思だけ持っていきました。一応、リサーチしてた店に行ったら、すでに日本人のおっちゃんが働いてたんですよ。ナポリのピザ屋って、各店にひとりしか日本人が在籍できないっていう暗黙のルールがあったんです。そのおっちゃんが別のピザ屋に口利きしてくれて、観光ビザが切れるギリギリまで修行させてもらいました。

ナイスなおっちゃんとの出会いですね。それから帰国して、ダイスケさんを誘ってお店をやることにしたんですね。

ヨウヘイ:誘ったというか、僕は「一緒にやれへんか?」って提案したくらい。

ダイスケ:それを誘ったって言うんちゃうん?(笑)。まあ、その時俺はアパレルでゴリゴリに働いてたんですけど、いろいろあって悩んでいた時期で。そんなタイミングで声をかけてくれてたから、ヨウヘイと一緒にやるんやったら絶対おもろいなって思って即決しました。23、4歳くらいやったかな。

グラフィックデザイナーのcoverこと堀陽輔さんに描いてもらったイラスト。中央がヨウヘイさん、左がダイスケさん。右は幼馴染のシュンさんをモチーフにしている。

お互い信頼できる仲だし、タイミングがバッチリ合ったんですね。

ヨウヘイ:ほんまにね。場所は僕の地元である布施で決めてたから、ピザ窯が入るキャパの物件を探して、たまたま見つけたのが商店街のココやったんです。その時はふたりとも遊びまくってたから借金もあったりして……(笑)。銀行から融資を受けるために、ちゃんとホワイトな幼馴染に代表者として加わってもらい、最初は3人でスタートしたんです。

ダイスケ:なんとか開業資金を作らなあかんから、お互いの実家にも一緒に頭を下げに行って、ひとり200万円ずつ集めました。で、店を始めて数年後に借金も返済して、南堀江店をオープンしたくらいの時に、その幼馴染からヨウヘイが店を買い取って今の体制になったんです。当時は若かったし独り身やったから、計画性なんて皆無。ほんまにノリと勢いだけでとにかく突っ走ってた感じです。

イタリアから輸入したピザ窯。元々は白色だったが、こちらもcoverさんにペイントを依頼した。
当時は街で完全に浮いた存在。どれだけダメな時期でも離れないで続けることが一番大事なことだった。
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Profile

梶原 洋平

カフェバー『cafe That’s』を経て、ピザの本場・ナポリにピザ修行に出向き、2015年に『That's PIZZA』を地元の布施で創業。不動のピザ職人として布施店の厨房に立つ。

Profile

岩下 太輔

長崎県出身。アパレル業界で働いたあと『That's PIZZA』の立ち上げに関わりピザ職人の道へ進む。主に新店舗の立ち上げや出店、アパレル企画を担当するグループのNo.2。

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