心血を注ぎ作り上げた、唯一無二の『GAKUYA BURGER』を“壊す”理由とは。全ては美味いバーガーのために、オーナーシェフの飛松正輝さんの決意。


「ハンバーガーってデザインとしてヤバい!」って思って、めっちゃ好きになったんです。

めちゃめちゃ美味しかったです。ご馳走さまでした!お話に戻ると、そもそも飛松さんがハンバーガー屋を目指すようになったきっかけを聞いてもいいですか?

子どものころ、地元の堺にアメリカ雑貨屋さんができたんですよ。ワクワクして行ってみたら、ラットフィンクがハンバーガーを持ってたり、椅子やテーブルになってたりと、ありとあらゆるアイテムにハンバーガーが落とし込まれてて。「ハンバーガーってデザインとしてヤバい!」って思ってからめっちゃ好きになりました。

たしかにハンバーガーって“ザ・アメリカン”なアイテムでカッコいいですよね。

でも実際には、雑貨やイラストで見るような「カッコいいハンバーガー」ってどこにも売ってなくて。僕が憧れてるバーガーは空想上のモノなんやなって落ち込んでたんです。当時12歳くらいかなあ。

ああ……。

そんなことを思ってたある日、テレビでやしきたかじんさんがやってた『たかじんnoばぁ〜』っていう番組で、「たかじんはハンバーガーを食べない」っていう回がやってて衝撃を受けたんです。

どんな回だったんですか?

たかじんさんって元々、お金がないときにハンバーガー屋に拾われて、そこでめっちゃお世話になってたんです。そのバーガー屋の店主さんは亡くなって、それから「お世話になった店以外でハンバーガーは食べない」って決意してたんですけど、当時のレシピで思い出のハンバーガーを再現して、何十年ぶりかにたかじんさんがそのハンバーガーを食べるっていう企画でした。

感動的な話ですね。

もう、たかじんさんが大泣きしながら食べてるんすよ。それを観て、大人がこんだけ泣くハンバーガーを作る人がいてるんやって思って。それと、チェーン店じゃない個人のバーガー屋があるってことも初めて知って、ダブルで衝撃やったんです。それを観てから、ハンバーガー屋さんを目指すようになりました。

たまたま観てたテレビで、大きく人生が動き始めたんですね。

最初はフードトラックから始めようって決めてて。そのために車の整備士になって、車の仕入れまで全部勉強しました。米軍の払い下げで40万円で買ったフォードのエコノラインっていう車から、僕のバーガー屋としての人生がスタートしたんです。

『GAKUYA BURGER』の幕開けになったキッチンカー時代の写真は、店の入口の壁に飾ってある。

ハンバーガーのために車屋からって、すごい計画的に動いてますよね。

何かをはじめる前に、すごい先まで計画を練るタイプなんですよね。

なるほど。じゃあ、車をゲットしてからは、いよいよハンバーガーをいろんな場所で販売していったんですね。当時の思い出はありますか?

摂津であったガラクタ市が、忘れもしない僕のフードトラックのデビュー戦で。朝まで寝ずに気合い入れて100個用意したんですけど、売れたのはたったの2個……。僕のバーガーって最初めっちゃ不味かったんですよ。今の時代やったら、一発で終わってると思います(笑)

それは悔しいですね……。でも、そこからバーガー屋としてどんどん有名になっていったと思うんですが、そのきっかけって何かありますか?

いろんなイベントにとにかく出店し続けてて。あるときのイベントで、めっちゃ大雨の日があったんです。周りのフードトラックはもう営業終了する雰囲気だったんですけど、僕はせっかくのイベントやから終わりたくないと思って。関係者の人に「1時間だけ好きなようにやらせてください!」ってお願いしにいったんです。そして急遽、100円ショップに行ってキャンドルを買いまくって、キャンドルナイトをしました。元々めっちゃパーティー好きなので、音楽もかけて知り合いのミュージシャンも呼んで、太鼓もいっぱい用意して子供らに叩いてもらって……もう、最高の時間やったんですよ!これがめっちゃ評判良くて、それから信じられんくらい仕事が入ってくるようになりました。

当時の写真もいただきました。写真左下の左側にいるのは、「元『GAKUYA BURGER』スタッフで、現『FATDOG』の拓ちゃんですよ!」と飛松さん。

おお!

で、今までとは比べもんにならないくらい儲かるようになって。そこまでは良かったんですが、僕が天狗になってダメなモードになっちゃったんですよね。毎晩焼肉に行ったり、忙しかった日のボーナスとして、スタッフに高いピストバイクをポンと買ってあげたり。接客もちゃんとお客さんと向き合わない感じになってしまって。

若気の至りというか、まあ、しょうがない気もしますが……。

ある日の出店終わりに、スタッフの子に「正輝くんにとってお客さんはいっぱいおるけど、お客さんは一生で1回しか正輝くんのバーガー食べへんかもしれへん。こんなんでいいの?今日来てくれたお客さんの顔知ってます?」って言われたんです。最初のまっずいバーガーからやっと食べてもらえるようになったのに、その喜びを忘れてたなって気付かされて、心がバキバキに折れて。それを言われてから、誘われてたイベントを全部断ったんすよ。

初心に戻って。それからはどうされたんですか?

もう一回、自分のバーガーとちゃんと向き合うようになって。田舎の村祭りとか、色々な場所に出店するようになったんですよ。でも、そのときに出店した老人ホームで、全く食べてもらえなかった。僕のハンバーガーは美味しいっていう自信があったんですけど、そこでもう一回心が折れて。

ボリューム感がお年寄りにはフィットしなかったんですかね……?

そうなんです。ジャンクなものってやっぱり身体に負担がかかるんですよね。それから、身体に優しくて子どもからお年寄りまで全員が食べられる、だけど食べごたえもしっかりしているバーガーを目指すようになりました。そのときに出会ったのが、今の犬鳴ポークです。ビーフよりも融点が低くいので、胃で消化されるときも負担がなくて、疲れないんですよ。

取材中に仕込んでいたドリンクも、全て店仕込みのオリジナル。

食材へのこだわりも、そういう出来事を一つひとつ受けて、自分のバーガーを見直し続けてきたからなんですね。でも、自信がある味を変えるっていうのも大きな決断が要りますよね。

僕は人生はやるかやらないかの二択だと考えているので、基本悩むことがないんです。「やっておけばよかったかも」って少しでも悩むと、そのモヤモヤが自分の心に溜まってしまって、ほんまに大事なときに動けなくなるんです。この教えは、ウチから出た子全員に教えてて。

谷町の『FATDOG』の佐竹さん然り、『GAKUYA BURGER』出身で、今活躍されているお店も多いですよね。

拓ちゃん(佐竹)は堺の店舗から手伝ってもらってましたね。最後、寝る前に「今日のお昼に食べたハンバーガーが美味しかったな」って思い出してもらうところまでが僕らのサービスやと思ってるんです。お会計の後に「行ってらっしゃい」って言うのは、今日という一日を楽しんでもらうため。その慣習が『FATDOG』なら「HAVE A GOOD DAY!」になってたりするんですよね。

最終的には、僕は海外で屋台に戻りたいんですよ。
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Profile

飛松 正輝

大阪府堺市出身。『GAKUYA BURGER 』オーナー。幼少期に見たアメリカ雑貨店でハンバーガーのデザイン性に惹かれ、ハンバーガー屋になることを決意。ソースは使わず、ポーク100%パティを使用するなど、従来のバーガーとは一線を画する唯一無二のスタイルで、全国に名前を轟かす。24時間365日、美味しいハンバーガーを作ることだけを考えているバーガー界のバガボンド。

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