悪ノリだけどCOOL!トリッキーなビールを造り続ける『ディレイラブリューワークス』山﨑さんの、トラブルを飲み込むスタイルとは。
大阪から締め出されて発注が来なくなったから、自分たちの直営店を持った。その方が誰のことも気にせず、造りたいビールが造れるから。
発売直後から大きな反響もあり、順風満帆なスタートでしたが、大変なことはなかったんですか?
最初の1年はニューカマーとしてチヤホヤされて、知名度も一気に上がりました。でも、いろいろやらかしてしまって…。一般的に僕らみたいないブルワリーは「THINK LOCAL」という考えのもと、地元から流通が広がっていくんですが、開業して1年後には大阪で扱ってる店はめちゃくちゃ少なくなってしまったんです。最近はようやく盛り返してきましたが、当時は東京と九州、京都が主で、すごくいびつな状態でしたね。
やらかしたのが原因っぽいですが、何があったんですか?
包み隠さず話しますが、まず1つは就労ビザの問題。開業当初は僕がブルワーとして造ってましたが、程なくしてアメリカ人のブルワーに手伝ってもらってたんです。ただ、ビールを造るためには専用のビザが必要で、彼が持っていたのは学校の先生としてのビザでした。通訳兼貿易事務スタッフとして雇用していたので、その流れでビール造りも手伝ってもらうならセーフゾーンだし、本人も了承してたんですが、自己顕示欲が勝ってSNSで「自分がヘッドブルワーだ」と発信するようになっていて…。開業して1年で一気に知名度が上がってる状況をよく思わない人もいて、入国管理局に通報されたんです。
けっこう大変な状況ですよね、それは。
本人にはSNSを閉じてほしいと相談したんですが応じてくれず、ビザの切り替えもできないし、通訳兼貿易事務スタッフとしての勤務もできないということで、お互いに納得した上で最終的には退社してもらうことになりました。でも、そこからが山場。大阪在住のアメリカ人コミュニティに「クビにされた」とか「名声と技術だけを盗まれた」とか、事実じゃないことを言ってたので、変な噂が飛び交うようになったんです。さすがにウソは困るから、SNSで事実はこうですって表明すると、さらに一悶着ありましてね。
事実を伝えただけなのに、何があったんですか?
ビザの問題はけっこうグレーゾーンだったので、僕が明るみに出したことで「何してくれんねん!」と、SNSでめちゃくちゃ叩かれたんです。Twitterで売られたケンカはしっかり買うタイプなので反論してたんですが、その相手の1人が業界の重鎮でした(笑)。今はちゃんと和解してますけど、大阪から締め出されることになって…。それまでは新作の発売日にすぐ発注がきてたのに、大阪だけ発注のない状況が1年くらいありましたね。業界をちょっと冷めた目で見てたんですが、それなら自分たちの直営店を持って取引先に左右されない販路を作ってやろうと思ったんです。その方が誰のことも気にせず、造りたいビールが造れますからね。
なるほど。その逆境のおかげで、さらにディレイラらしさが強まったと。
大阪以外ではトリックスター的なブルワリーとして認識されてましたし、母体の会社が安定してるから醸造予算もあることが知られるようにもなっていたので、経験はないけどセンスのある若い子たちが集まってくるようになったんです。今、ヘッドブルワーしてる伊藤も、横浜出身で東京農大を卒業して入ってくれましたからね。
母体の安定はもちろんですし、他とは一線を画すビールを造ってるCOOLさが、想いを持った若い子にはやっぱり刺さりますよね。直営店を持ったことで客層の広がりはありましたか?
京都の直営店は特にですね。昔ながらのビアギーク層には刺さらないけど、お酒が好きでクラフトビールを飲んだことがない層を取り込むための出店でもあったので、その層を刺しに行ったことで結果的に客層は広がってます。それが僕らのやるべきことだし、僕らが生きていく道なのかなと。大手と同じことしても意味ないし、大手のできないことを悪ノリしながらやる。業界の鼻つまみ的なポジションが僕らなんですよ。
でも、昔ながらのビアギーク層の存在はやっぱり大きいかなとも思いますが。
当然大きいですし、相手にしてないわけじゃないです。あくまでも認められてはおきたい存在かなと。技術があることはしっかり証明しておきたいから、「あなたたちに刺さるビールも造れますよ」という部分も見せつつ、トリッキーなビールを造ることを意識してますね。そこに僕らのアイデンティティーがあるし、ビアギーク層だけを見てビールを造っていないので。
ディレイラのビールは、技術があってこそだと。
そうですね。技術がないから逃げのスタイルでトリッキーなことをしてるんじゃないですよと。アメリカやオーストラリアの品評会にも毎年出品していて、この前はオーストラリアで銅賞をいただきました。日本ではちょくちょく金賞もいただいてるので、海外でも早く金賞を獲りたいですね。でも、やっぱりディレイラはトリッキーなビールを造ってる。そんな状況が理想かなと思ってます。
高校生の時は作家志望でライフプランを綿密に描き、大学生ではヒモをしてました。
『ディレイラブリューワークス』と言えば、これまでお話いただいたトリッキーなビールはもちろんですが、その世界観を飛躍させるストーリーやアートワークも真骨頂だと思います。その部分も山﨑さんが全て担ってるんですか?
まずビールの部分から先にお話すると、細かい技術やレシピはブルワーに任せてますが、「こんなものを造りたい!」というベースは無茶ぶりレベルで伝えてますね。例えば、阪神タイガースカラーのビールを出したいから、パイナップルとマンゴーでスムージーを作って、そこから小麦ベースで造ってほしいとか。めっちゃ雑に投げてるので、大変だとは思いますが(笑)。で、アートワークは自転車仲間にお願いしてて、僕が考えた商品タイトルとストーリーを伝えて制作してもらってます。
どんな感じの内容を伝えてるんですか?
この前造った<イチゴイチエ>で言えば、池田市さんから大量のイチゴをいただいたので、そのイチゴを使ったビールが造りたかったんです。でも、京都醸造さんが<一期一会>という名でイチゴのビールを造っているため、パクリと思われたくないから、イチゴとイチエという女子高生をキャラとして設定しました。その2人が卒業する前に文化祭で思い出を作るために漫才コンビを結成する…、そんなストーリーを考えたんです。それなら訴えられることもないかなと(笑)
悪ノリの範疇と言えばそうですが、ストーリーの背景が甘酸っぱくておもしろいですね。
伝える内容としてはすごく雑ですが、軸の部分だけはブレないようにしてます。最低限の情報を伝える方が余白もあるし、制作サイドも余白のある方が飛躍もさせやすい。そして、結果的には僕の想像する以上のものが生まれてくる。いつもそんな感じでキャッチボールして制作してもらってます。
でも、新作がどんどん発売される中で、ストーリーの背景を考えるのも大変そうですが、イマジネーションの発端はどこにあるんですか?
とりあえず、経費でいろんな本をたくさん買えるようになったのがデカイです。ビール事業を始める以前は、医療介護の会社なのにマンガを経費で落とせるわけないですからね(笑)。通勤中はマンガを読んでますし、映画も週2〜3回はレイトショーを観てます。そこから軽く一杯飲んで、ぼんやりと考えながら思いついたフレーズなどをメモするのが、僕の大切なルーティーンなんです。
昔からマンガや本が好きだったんですか?
昔から好きだったから、余計に拍車がかかった感じです。実は、高校生の頃は作家になりたいと思ってて、どうすればなれるかをずっと考えていたほど。とりあえず阪大文学部の国文学専攻に入学して国語の教員免許を取り、卒業後は高校の先生をしながら新人賞に応募し続けて、賞を取って作家になるというライフプランを綿密に描いてました。
けっこうガチですね(笑)
プロット書いてキャラ設定した資料を友だちに見せるというのが、僕の遊びと言えるくらいでしたから。その頃に描いてた夢を、20数年後にやってるような気もしてますね。ディレイラを始めてからいろんなタイトルやストーリーを考えてきたので、この前は調子に乗ってアートブックまで作ってしまいました。
しかも壮大なスケール(笑)。マンガや本が好きなのは分かりましたが、他にはどんなカルチャーに傾倒してたんですか?
今45歳なんですが、高校生や大学生の頃は日本のHIP HOPの黎明期で、あの頃の言語感覚にはかなり揺さぶられました。そして、今の若い子の言語感覚もすごくいいなと思ってて、フリースタイルでラップしてるのを文字に起こし、改めて韻の踏み方がキレイだなと感心したりしてます。同じ歌詞なのに、「てにをは」を変えると意味が違ったりする曲とかを聴くと、ワクワクが止まらないですし。難しい言葉を使うよりも、シンプルかつ簡単な言葉で表現する方が好きなんでしょうね。
文字起こしまでするって、相当ですよね。
でも、HIP HOPはめちゃ好きですが、僕自身はB-BOYじゃなかったですよ。当時はかなりデブで、ピーク時のMAXは120kgありましたから(笑)
今の姿を見てると、全く想像できないんですが(笑)
受かった大学を蹴って一浪したんですが、その時に記録した体重です。それでも大体100kg前後を推移してる状態で、高校で剣道してて痩せてる時でも80kgはありましたね。だから、100kgの自分が着こなせる服が僕の周りはなかったんです。38〜40インチのデニムを穿いても、デブなのでジャストサイズになりますし(笑)
話が脱線しますけど、ちょっと聞かせてください(笑)。今はめちゃスマートですが、どうやって痩せたんですか?
とりあえず大学デビューしたくて、いろいろやりましたよ。りんごダイエットやおでんしか食べないとか、一番痩せた時は60kg切ってましたから。
半分!テレビのダイエット番組に出れるレベルですね…。
それは大学を卒業する頃なんですが、卒業旅行でインドに行く前は65kgで、現地で体調崩してしっかり5kg以上落として帰国しましたね(笑)
まさにインドあるある!で、大学デビューはできたんですか?
そうですね、順調に体重を落としていって大学3年で無事に大学デビューできました。それまでは住之江の実家暮らしでしたが、彼女ができて同棲して、学生のくせにヒモをやらしてもらってました。
え、ヒモですか…(笑)
彼女がOLだったのでマンションに住ませてもらい、養ってもらってたんです(笑)
だいぶ華々しい大学デビューですね、それは…。さらに聞きたいんですが、ちょっとこの辺にしておきますね(笑)
山﨑 昌宣
大阪市出身。『ディレイラブリューワークス』の母体となる株式会社シクロの代表。介護支援専門員や相談支援専門員、理学療法士、社会福祉士の資格も持つ。自転車の実業団にも所属していた過去があり、現在はトレイルランに没頭している。