この味、この場所、この想い。『casual KAPPOU iida』の飯田恭央さん、次はどんな道を歩んでいくんですか?
カウンターから身を乗り出して見たくなるリズミカルな調理、ヒゲをたくわえてアクセもじゃらじゃらさせたクールな出立ち、心地よい音楽と程よい緊張感から生まれるGood Vibesな空間。そして何より、料理がおいしい。割烹ストリート1丁目1番地として人気を博してきた『casual KAPPOU iida』が、誕生から5年を経て新たなステージに突入するってことで、代表の飯田恭央さんにいろいろお話を聞いてきました。生まれ育った豊岡でのことからバイト代を握りしめて大阪に出てきたこと、独立のこと、スタッフのこと、新しいお店のこと…、飯田さんのバックボーンや想いを垣間見ることで、『casual KAPPOU iida』という存在を改めて知れると思います。街には音楽やファッションなどのいろんなカルチャーが入り混じり、それぞれが発光しながら醸成していってるけど、『casual KAPPOU iida』もそうなんじゃないかと。飯田さんから生まれ、スタッフやお客さん、たくさんの人たちと共に育まれてきたこの場所は、ストリートからカルチャーになる!?そんな気がしてならないほど、これからさらに色濃く発光していきそうです。
高校の卒業式の次の日に大阪に出て、1週間ほど遊んだら帰るつもりだった。でも、結局帰らなかった。
26歳で『casual KAPPOU iida』を始めたわけですが、それまでの昔話も聞かせてもらえればと。飯田さんは兵庫県の豊岡市出身だそうで、高校時代はボクシングもしてたんですよね?
豊岡市の竹野の方で、海がめちゃきれいなんですよ。ボクシングはしてましたけど、ジムに行ったり行かなかったりくらいの感じで、そんなにガチじゃないです。
そもそも、なぜボクシングを?
単純に腕っぷしが強くなりたかったんです(笑)。まぁ、ちょっと元気な高校生だったかな。学校には4限目に行って、学食でごはん食べて5限目には帰っちゃうみたいな。いつも補習を受けてるようなタイプでしたね。
良く言えば、元気で力が有り余ってるタイプだったと(笑)。その頃って、将来の夢とかあったんですか?例えば、料理人になりたいとか。
特になかったですね。ただただ毎日遊んでるのが楽しかったですし。でも、ごはんを作るのは好きでした。母親が旅館で働いてたので、中学3年の頃から夏休みとか冬休みには調理場に入らせてもらい、盛り付けの手伝いをしてたんです。高校生の時は飲食店でバイトしてたし、両親が共働きだったんでおじいちゃんのごはんを作るのは僕の役目でしたね。
意識はしてないけど、ごはんを作るってことがめちゃくちゃ身近なアクションだったんですね。おじいちゃんにはどんなものを作ってたんですか?
たいしたもんじゃないですよ。作り置きのものを温めたり、昼メシにインスタントラーメン作ったりとか、それくらいのレベルでしたけどね。でも、やらされてる感はなかったし、好きでやってたかな。
気持ちがこもってることが大事ですもんね。おじいちゃんも孫に毎日作ってもらえるのは、うれしかったと思います。大阪にはいつ頃出てきたんですか?
高校の卒業式の次の日ですね。バイト代の7万円を握りしめて、大阪に出てきたんです。地元の先輩が桃谷に住んでたんで、1週間ほどお邪魔して大阪で遊ぼうかなと思ってました。でも、結局そのまま転がり込んだんですけどね。
1週間の予定だったのに、帰りたくなくなった?
楽しかったんでしょうね。兄や姉はずっと地元にいたから、僕はいつか都会に出たいなと思ってたんです。都会への憧れが漠然とあっただけで、何かしたいわけでもないし、就職や進学もしない状況でしたからね。まぁ、どうにかなるかなと。とりあえず大阪に出てから考えようって感じでした。
両親には何て伝えたんですか?
「豊岡には帰らん」って言いました。そこから引っ越しの準備で一度戻り、荷物をまとめて先輩の家にルームシェアさせてもらったんです。両親も納得してくれましたが、「都会で生活するなら自立してやってや!」と言われてたんで、まずは食っていくためにもバイトを始めましたね。
バイトは飲食店ですか?
『鳥貴族』ですね。先輩に初めて連れて行ってもらったんですけど、地元には朝まで営業してる店なんてないし、コスパもいいし、若造にとっては衝撃やったんですよ。それで、ここでバイトしよって思いましたね。
大阪暮らしは『鳥貴族』と共にスタートしたんですね。その後は?
いろんな飲食店とかお金ない時はごみ収集のバイトとかもしてましたね。それで20歳くらいの時にもつ鍋の『蟻月』で働き始めて、22歳の頃から3年間は野菜のセレクトショップで働いてました。
野菜のセレクトショップですか?
こだわりの野菜を作ってる農家さんから直接仕入れてるお店ですね。野菜の目利きとか、めちゃ勉強になったかなと。その後は、豊岡の水産会社が経営してる和食屋さんで働いてました。ケンカして1年でクビになっちゃいましたけど(笑)
ケンカで?
地元の会社がやってる店で、そこの職人さんにはホントいろいろ教えてもらってたんですよ。魚の捌き方とか出汁の取り方とか、特に修業と言えることをしてきてなかった自分にとっては、料理の入門編を教わったような店でした。でもね、オーナーさんが料理のことをめちゃくちゃ口出してくるんです。それで、「お前は言うだけで、料理全然できへんやんけ!」って言うたら、クビになりました(笑)
ハッキリ言っちゃったんですね(笑)。それで予期せずに独立することになったと。
自分で店をやろうなんて考えてなかったですけど、「辞めたるわ!」と啖呵をきった手前、もうやるしかないなと。でも、その時は貯金が2万円しかなかったんです。それで、曽根崎にある日本政策金融公庫に行ったんですけど、さすがに貯金2万円では融資してもらえずで(笑)。担当者さんからは「何とか貯金額を100万円にできませんか?」と言われたので、両親に頭下げました。そのおかげで貯金額が102万円になり、無事に融資してもらうことができたんです。
担当者さんも最初はビックリしたでしょうね。「この子、大丈夫かな?」って。
そうやと思います(笑)。でも、25歳やったので比較的融資してもらいやすかったみたいで、何とか助かりましたね。そして、その資金を元に『casual KAPPOU iida』を2017年3月3日にオープン。僕が26歳の時でした。
飯田 恭央
兵庫県豊岡市出身。18歳で大阪に出てきて、26歳で谷町6丁目駅の近くに『casual KAPPOU iida』をオープン。2022年4月1日に2店舗目となる『casual KAPPOU iida 2』をオープンする。休日はNETFLIX三昧か、友だちと自宅のバルコニーでBBQしてのんびりチルするのがもっぱら。
casual KAPPOU iida 2
大阪府大阪市中央区上町1-1-1 1階
TEL/080-2423-4590
営業時間/18:00〜24:00
定休日/水曜・日曜・祝日