25歳のさすらい系フリーシェフ・浦口司さん。日本食を世界に広めるために突っ走ってきた型破りな道と、その次なるステージとは。
ブルガリアの資産家の元で、3ヶ月間専属料理人に。料理人としてだけじゃなく、人間としても成長できたと思う。
ブルガリアで専属料理人を務めてたってことですが、聞きたいことが山盛りです。まずは、どんな経緯でそうなったんですか?
ブルガリアの方からエージェントを通して僕に連絡があり、専属料理人として3ヶ月間働いてほしいと。その方はいわゆる資産家で、これまでに何度も専属料理人を抱えていて、今回はたまたま日本人である僕に白羽の矢が立ったって感じです。
なんか、どんどんスケールの大きい話になってきますね。
いえいえ。世界って意外と狭いですから。
それ、名言ですね。では、ブルガリアでの話をいろいろ聞かせてください!専属料理人はその言葉の通りだと思うんですが、不慣れな地だと大変なことも多かったと思います。
2021年6月から3ヶ月間の契約で、ブルガリアに行きました。リッツ・カールトンみたいな大豪邸で、毎日いろんな国からゲストが来たり、政府関係者や現地の芸能人が来たりと、完全に別世界。僕はそういったホームパーティーの料理を中心に、オーダーがあればランチやお弁当、スイーツを作ったりするのが役目です。毎朝、「今日は天ぷらが食べたい」「フレンチがいい」「あの食材を使った料理を」とか、いろいろリクエストされるので、そこからメニューを考えて、今日食べたいものをコースで作っていました。リピートされるメニュー以外は絶対に同じものを作らないと決めてたので、600品以上は作ったと思いますね。
すいません、気になることが渋滞してます。まず、毎日ホームパーティーなんですか?
ゲストが来ない日でも、オーナー夫妻の子どもや両親がバカンスで滞在していたので、規模の差はありますがほぼ毎日ホームパーティーでした。毎朝マーケットに行ってリクエストに応じた食材を探し、料理を作ってサービスもする。メニューに合わせてテーブルコーディネートや演出を考えるのも自分の役目だったので、めちゃくちゃ勉強になりました。
大変だけど楽しそうですね。コミュニケーションは英語?
僕との会話は英語ですね。オーナー夫妻は5ヶ国語くらい話せる方なので、自分の分からない言語の時は英語に訳してもらいながら話してました。
浦口さんも英語は話せたんですね。
ギリですね。これまでも英語を話すしかないような環境に飛び込んで行ったから、完全なストリート仕込みですが(笑)。でも、料理教室をした時はかなり困りました。「何でこうなるの?」と質問されても、日本語では「この温度に仕上げるから分離して、そこからこんな風に作用して…」と説明できるけど、英語で伝えるのは難しくて…。やっぱり最低限でも英語は話せないと無理だなと痛感させられましたね。
日常会話じゃなくて、複雑な説明になると余計に難しいですよね。たくさんメニューを作られたそうですが、特に人気のリピートメニューは何でしたか?
ナスの揚げ浸しは「大好きだ!」と言ってもらえました。ブルガリアには大根がないので、ラディッシュや日本とはまた違うカブでおろしを作り、現地のナスを揚げて作ったんです。いろんなパーティーでもリピートを求められて、日本食が受け入れられる喜びを深く実感できました。日本ではすき焼き料理の監修もしてたので、肉をスライスして割下にしゃぶしゃぶして提供すると、「こんな料理があるのか!アメージングだ!」って言われたことも。そもそも肉はステーキか塊で食べるので、スライスする文化がないんですよ。こんなにも驚かれると思ってもみなかったから、自分たちの常識に固執する必要はないなって改めて感じましたね。
浦口さんが掲げる日本食を広げるという目標が、ほんの少し叶った瞬間ですね。逆に、受け入れられなかったメニューはありました?
唯一受け入れられなかったのは、バスクチーズケーキですね。日本でもよく作っていたので出してみたら、「何だこれは!焦げてるじゃないか!」と怒られちゃって(笑)。日本で流行ってるバスクチーズケーキは表面がこんがりしてるのが普通ですが、現地のものはそこまで焼き目がついてなかったんです。だから、日本のものはバスクチーズケーキという名前を語った全くの別もの。海外の寿司がそうであるように、リメイクされてるんだなと。結局、一口も食べてもらえず、「これは失礼だからパーティーには出せないよ。クレイジーだ!」って言われてしまいましたね。
似て非なるものだったと。現地に行ったからこそできた経験だし、ハッキリとした反応があるのは料理人としてもありがたいですね。ブルガリのマーケットはどんな感じでしたか?
ブルガリアと言えば誰もがヨーグルトを想像すると思うんですが、やっぱりその通りで、乳製品の品揃えはスゴかったですね。一面にヨーグルト、ハムがずらっと並んでて、肉もありえない塊や見たことない部位が揃ってる状態。物価は日本の約半分で、ワインも1本200円くらいだったり、ビールも計り売りされてたり、水よりもカジュアルにお酒が飲まれてるような感じでした。
聞くだけでワクワクしますね。
みんな陽気で、街の至るところでお酒を飲んでましたよ。日本はコロナの影響で飲酒が制限されてるって言うと、「どうしてお酒が悪いんだ!日本はクレイジーだ。司、ダメだよ!」って、なぜか日本を代表して怒られちゃいました(笑)。文化や政策の違いはあれど、いろんな考えを吸収できたのも自分としては大きかったですね。
ブルガリア、いいですね(笑)。ちなみに専属料理人として働く中で、休日はあったんですか?
住み込みでしたが、もちろん休日もありましたよ。でもね、家の目の前にプライベートビーチがあって、その横にはパブリックなビーチクラブがあるんです。毎朝みんなでビーチに行ってコーヒーを飲んでたんですが、こんな仕事があっていいのかって感じでした。オーナー夫妻からは「せっかくブルガリアに来たんだから、楽しまないと!いろんな場所を見ておいで」と言われ、1週間のバカンスもいただきました。しかも、チケットやホテルも全て手配してもらって…。
手厚いもてなし!バカンスはどこに?
僕のいた場所はヴァルナというブルガリアの第3の都市で、黒海に面したリゾート地。ここにいるだけでも十分バカンスなんですが、この街には日本食レストランがないので、「首都にある人気のレストランを見ておいで」ってことで、ソフィアに行ってきました。日本食レストランと言っても現地の方がされてるお店で、居酒屋のようなスタイル。うどんや天ぷら、焼き鳥などがあって、ラーメンはなんと2000円!物価が日本の半分くらいのブルガリアではかなりの高級料理でしたが、スープは味噌汁みたいで(笑)。シェフの方も日本人が来てビックリな状態で、「これであってるか?」「この調理はどうすればいい?」って、めちゃくちゃ質問攻めに合いましたね。
リメイク系だったんですね。
「こうやって作った方がいいよ」とアドバイスもしましたが、それと同時に日本食がまだまだ浸透してないことも実感。流行ってるお店でしたし、みんなが日本食に興味は持っているけど、リアルなものは届いてないんだなと。食材を入手する難しさはあるかもしれないけど、改めて「日本食を世界に広めたい!」という想いは強くなりましたね。世界には、それだけの余白があることを身をもって体感できましたから。
目標の輪郭がまた一段とくっきりと見えてきたんですね。浦口さんにとってこの3ヶ月間は、時間や経験の濃密さだけじゃなく、さらに視野を広げるキッカケにもなったんでしょうね。
それは間違いないですね。料理を作る以外にも、オーナー夫妻からはたくさんの学びの機会を与えてもらいました。夫妻は動物愛護団体や貧しい子どもたちを救うための財団を設立してて、毎週イベントを開催してたんです。捨てられた犬や猫たちを農場で馬などと一緒に飼育し、そこに孤児や障害を持った子どもたちを集め、動物とのふれあいを通じてメンタルケアをしたり、料理を振る舞ったりしていました。それは、動物と子どもたちの双方にとって本当にウィンウィンなことだなと。僕も滞在中はイベントに同行して料理を作らせてもらえましたし、日本にいたら見れない実情を料理を通じて見ることができたのは、一番大きなことだったかもしれない。国や街をより良くするために本気で行動してる夫妻だったからこそ、僕の体験したこと全てがリアル。考え方、物事への向き合い方は、人間として本当に勉強になりましたね。
浦口 司
1996年生まれ、徳島県出身。元甲子園球児で、強肩を買われて外野手からピッチャーとなって活躍する。部活引退後から料理の道を志し、現在はフリーシェフとして日本各地で料理を振る舞う。2022年3月頃には香港に渡り、二つ星レストラン『Arbor』のスーシェフとして活動する予定。