「北新地では流行らん!」と言われて10年。チューハイ文化を根付かせ、オリジナル缶チューハイまで発売した『蜆楽檸檬』の植岡慶さんが、この街から発信してること。
元々はHIP HOPダンサー。ヘルニアを患い、自分の踊りに満足できなくて引退を決意した。
『蜆楽檸檬』を始めてからのお話を伺ってきましたが、それ以前のことも聞きたいなと。植岡さんは、ずっと飲食業界に身を置いてたんですか?
いえ、元々はHIP HOPダンサーをしてて、そこから不動産会社で働き、飲食業での独立を目指してフレンチレストランやバーで働いてました。
えっ!?ダンサーだったんですか?
まぁ、一応は…(笑)。でも遥か昔の話ですし、もう踊れないので…。
いやいや、そこはじっくり掘り下げますよ。ずっと大阪でダンス活動をしてたんですか?
生まれは広島県なんです。MISIAのバックダンサーに憧れて、中学3年の終わり頃からダンスを始めました。当時はダンスやってる子なんかいなかったし、広島の田舎だったので情報もない。ずっとPVを見て独学で練習してたんですけど、東京から戻ってきた先輩が偶然にもダンサーだったから、すぐに弟子入りして教えてもらってました。
20年以上も前だから、広島ではまだまだダンスカルチャーが浸透してなかったんですね。
田舎だったのでなおさらですね。周りはスケーターばかりでしたし、僕以外にはほんの数人の仲間がいたくらい。でも、すごく夢中になって踊り続けてました。それから高校を卒業し、ダンスで成り上がるために東京に出たんです。東京では大きいクラブイベントにも出させてもらったり、マライヤ・キャリーが渋谷でPVを撮るってことでバックダンサーとして呼ばれたり。
すごいじゃないですか!
でも、マライヤ・キャリーがドタキャンして、撮影はなくなったんですけどね(笑)。もし、真面目に来てくれてたら、また人生が変わってたかもしれませんが…。
超大スターですから!気分が乗らなかったんですかね。その後も東京で活動を?
東京でも活動してたんですが、やっぱり肌が合わないというか、街の空気感が自分には合ってないなと思うようになって。地元の友だちも大阪にたくさんいたので、ダンスの拠点を大阪に移すことにしたんです。それから変わらずダンスは続けてたけど、ヘルニアになってしまい、復帰するまでに半年間もかかってしまいました。
半年のブランクは、なかなか大変ですね。
なんとか治療を終え、復帰することはできました。でも、「さぁ、やるぞ!」って思いでメンバーと振り付けを合わせた時、自分だけ足の角度がうまく揃わなかったんです。無意識のうちに腰をかばって動いてるからだと思うんですが、「あ、もうダメだな」と。このまま続けても、メンバーに迷惑をかけてしまう。潔く引退した方がいいんじゃないかと思ってしまって。今考えると小さなこだわりかもしれないし、もっと続けられたんじゃないかと思うけど、当時はほんの少しのズレも許せなかったんです。すごくショックでしたが、自分はここまでだったのかなと。
ダンサーとしてのこだわりやプライドがあったからこそ、自分の動きにも人一倍厳しかったんでしょうね。中学3年から夢中で続けてきたことを手放すのは、相当な勇気と覚悟も必要だったと思います。
心も夢もポキッと折れた感じでしたね。そこからは、知り合いの方が経営する不動産会社で社会勉強も兼ねて働かせていただいた後、飲食業での独立を目指してフレンチレストランやバーで修業し、『蜆楽檸檬』をオープンするに至ります。
なるほど。気持ちの整理がつくまで大変だったかもしれませんが、次のステップに進んだからこそ『蜆楽檸檬』があるってことですね。でも、どうして飲食業だったんですか?
月並みな言葉ですが、やっぱり人が好きだし、常に変化を求めたいからですかね。『蜆楽檸檬』を立ち飲みスタイルにしたのも、人との距離が近いからですし、お客さん同士も仲良くなりやすい。そして、お客さん同士が仲良くなると、空間にまた新たな変化も生まれる。今、『蜆楽檸檬』という空間では、そんな思い描いてたことが現実に起きてるので、すごくハッピーですね。それに何の因果が分かりませんが、働いてくれるスタッフにはダンサーが多い。すごく不思議ですよね(笑)
植岡 慶
北新地の蜆楽通りにある生搾りチューハイ専門店『蜆楽檸檬』のマスター。大阪屈指の歓楽街・北新地にありながら、北新地らしくない異国情緒ある路地裏を盛り上げ、街の文化創生に貢献中。紳士的な出立ちのその内には、元HIP HOPダンサーとしての熱い魂を宿らせている。
蜆楽檸檬
大阪府大阪市北区曽根崎新地1-6-24
TEL/06-6344-2828
営業時間/17:30〜深夜
定休日/不定休
※新型コロナウィルス感染拡大などにより、営業時間・定休日が異なる場合があります。事前にお店までお問い合わせください。