【私的録-MY PRIVATE SIDE】 キーワードはCLASSIC ALWAYS!地元・堺の思い出の地を巡りながら聞いた、『IMA:ZINE』TANY/谷篤人さんの、今。
僕自身の中で一時的に時の流れを止めたことで、目の前には小さな感動があふれてることに気づかせてもらい、物事の概念が常にフラットな状態になった。そう考えると、僕は地元に助けてもらったんやなって思うんです。

今日は地元を案内していただきありがとうございました。地元も含め、谷さんの中には“CLASSIC ALWAYS”というキーワードがあるとのことですが、これはどういう意味なんでしょうか?
この“CLASSIC ALWAYS”というワードは、ニューヨークのクリエイターであり、スタイルの人類学者としても知られているモデカイ(Mister Mort)に教えてもらいました。変わりゆく時代性を感じることが必要ってことなんですが、そこを紐解いていくと、CLASSICがあるからこそ新しいものが生まれるというわけで。これまで作られてきたものやカルチャーをきちんと見直さなければ、新しいものや今の良さは分からないという意味なんです。それは服だけじゃなくて、街並み、何かをずっと続けている人の話もそう。

物事の背景やルーツも知っておくことで、自分の感覚や選択にも明確な理由ができるし、表層的ではなくなる。物理的に経験できないことはありますが、知識として持っておけば、ものづくりや表現においては必ず役立ちますもんね。今回の地元案内で言えば、谷さん自身のCLASSICを僕らにも見せてもらったわけですが。
自分が見てきたもの、感じたものが30数年経っても残っていて、いろんな経験をしてきたから当時とはまた違った視点で見れたり、感じたりできる場所なんです。みんな好きなことをずっとやり続けてる人ばかりで、時代の流れに逆行してたとしても、信じてやり続けてきた。その強さを感じられることは、僕にとってはほんまに大きいことだなと。今の時代はSNSもあるから物事が短編的に切り取られがちですが、あの人たちを見てるとちゃんとしたストーリーがないと爪痕は残せないなと思って。Shawn Stussyの言葉を借りるとすれば、まさにリビングレジェンド。地元に戻る度に存在の大きさを感じますし、僕自身が自分のCLASSICを見つめ直す機会にもなっています。
自身のCLASSICを見つめ直すことで、谷さんのものづくりや表現にも生かされていくと。今でも定期的に地元に行ってると話してましたが、回想するのではなく、その場所で追体験することを大切にしているのも何か理由が?
やっぱり直接触れたり感じたりしたいですし、その場の空気、匂いもあるじゃないですか。五感で吸収した上での反応が自分の中にないと、新しいものを生み出す創造ができないんですよ。

なるほど。その時のリアルな感覚や気持ちって、自分の中から自然と生み出されていくもの。谷さんにとってのものづくり、表現、クリエイティブもそこが源流なんですね。戦略や手法も大切だけど、自分の好きなものというか、自分の中から生まれたものを作る。それが谷篤人らしさにもなるのかなと。
今の時代、服もたくさんあるし、それをカタチにする技術も数え切れないほどあります。売り方や手法を優先したり、瞬発的に生まれるブランドも多い中、好きなことや愛だけじゃ売れないってことも分かってます。でも、AIには絶対に分からない自分の哲学を持つには、自分のCLASSICを持っておかないといけないと思うんです。だからこそ自分らしさが出る。普段のものづくりやプロジェクトにおいても、流行りを追うのではなく、自分らしさを大切にしたい。全てのお客さんに自分の哲学を知ってもらうのは難しいかもしれないけど、例えば10人中3人に伝われば、そこからまた広がっていくのではないかなと。そして、少しずつだけど自分の哲学に共感してもらい、僕らのものづくりを好きになってもらえればと思ってます。
CLASSICを大切にすることもそうですし、ものづくりや表現のスタイルとしても、一過性ではない。“CLASSIC ALWAYS”という谷さんの考えに対しての理解が深まりました。
目先の何かではないよってことですね。情報化社会の今、AIの技術もすごいスピードで進化してるし、自分の欲しそうなものが勝手におすすめされたりするけど、自分の意図まではAIにも分からないじゃないですか。ものづくりや表現を行う者としては、そのプロセスの部分を考え続けることが必要だと思い、言葉としても発するようにしてるんです。そして、自分のファッションやスタイルも含めて伝えていけたら、何か残せるんじゃないかなと。

表層的な部分ではなく、思考や想い、背景も乗せてお客さんに伝える。そこを知ることでものを見る時の視点が変わり、愛着も深まりますし、作り手への想いも大きくなりますよね。『IMA:ZINE』はオープンして7年が経ちました。前回インタビューさせていただいたのは2020年11月ですが、谷さん自身の変化は何かありましたか?ちょっと振り返りながら色々聞かせてもらえればと思います。
『IMA:ZNE』がオープンしたのは2017年6月。その当時は、「谷が東京から戻ってくる」「あいつは何ができるんやろうか」「逃げてきたんか」とか、期待と中傷が入り混じったような言葉も色々ありました。もちろん「やったる!」っていう覚悟はありましたが、最初の変化としては自分自身の立ち位置の捉え方が変わったことです。打算的に物事を測るのが嫌いで、物差しではなく角度で考えたいから、ものではなく、人を大切にしたかった。VERDYくんや<orslow>の仲津さん、ザ・モンゴリアンチョップスの2人、かつての同僚だった<TENBOX>のPIG、そして関西のドン・牧田耕平さんなど、縁の重なりで出会ってきた人たちとクリエイションをする中で、自分はバイヤーではなく編集者だなと思ったんです。だから、別注とは呼ばずに編集プロジェクトという言葉を掲げてきた。それが自分自身の第一段階の変革。『IMA:ZINE』がオープンしてからの3年間は、そんな想いで走り続けてきました。
自身の存在や人との向き合い方も込めたものが、編集者という肩書きだったんですね。編集者・谷篤人として、大切にしてることって何でしょうか?
今も変わらず大切にしてるのは、人と人のコミュニケーションは生モノであるということ。編集プロジェクトにおいても鮮度があるし、いろんな出会いに対しても当時はより鮮度を求めてました。ただ、すごいスピードを要するものだし、自分の経験や出会ってきた人たちとのクリエイションは、スタッフを置いてけぼりにしてた部分はあったかなと。お客さんにおいても、想いも含めて伝わってたとは思いますが、僕のアウトプットに乗ってもらってることもあったかもしれない。もちろん、ものづくりや表現に一切の妥協はせずに、アウトプットを続けてきた上での話ですが。

今思えば…、という話ですね。BEAMS時代から走り続け、『IMA:ZINE』ではさらにギアを上げてきた中で、そういった気づきはいつ頃に抱いたんですか?
ちょうどコロナ禍のタイミングですね。全ての流れが変わり、誰もが戸惑っていた中で、スピード感を求めるよりも、自分がやってきた経験は一度切り捨てないといけないなと。スタッフも含めて、みんなとスタートラインを合わせないといけないのではないか、そんな想いが芽生えて自分自身をもう一度見つめ直すことにしました。勇気を持つことは必要だったけど、コロナ禍での時間を利用し、自分の育った場所や当たり前に見てた風景を見るとどうなるんだろうと思ったんです。
スピードを落とし、そして振り返り、戻ってみる。突っ走ってきた中でのその決断は、ちょっと勇気がいることですよね。
今までが快速で走ってきたとすれば、意図的にスローダウンして、なおかつ戻るという選択をしてみる。久々の地元に、快速じゃなく各停に乗って帰った時、街並みや景色の変化を見て気づいたんです。スローダウンする時は、今を感じることできるんだ、って。ここで昔はこんなことをしてたなーとかもね。そんな考えごとに浸れるのが、地元でした。

なるほど。谷さんにとっての地元の存在意義が、ここまでまた繋がりました。実際のところ、意図的にスローダウンし、戻るという選択をした結果、谷さんの中にどんな変化が生まれました?
僕自身の中で一時的に時の流れを止めたことで、目の前には小さな感動があふれてることに気づかせてもらったり、物事の概念が常にフラットな状態にもなりました。そう考えると、僕は地元に助けてもらったんやなって思うんです。遊んでた場所、たむろしてた場所、いろんな場所にフラッと立ち寄ったり、昔の友だちと会うことで、ずっとフル回転だった脳もスローダウンする。そのゆっくりとした脳の動きをじっくりと味わえるようにもなりましたし。僕にとっては、そんな内面の変化がすごく大きかったと思います。
マインドセットにもなるでしょうし、そういった内面の変化がまた新しい創造にも繋がっていくと。
脳がスローダウンする話をしましたが、その時に思いついたのが<BRAIN DEAD>との編集プロジェクト『IMA:ZINE DEAD』でした。別注したら売れるっていう浅はかな考えではなく、IMA:ZINEの脳みそを壊すという想いを込めたプロジェクト。このプロジェクトは今も継続してますし、僕自身の内面の変化によって、これまで以上に本質的なストーリーを作り込むようになったと思いますね。

より本質的であり、想いを込めるという部分の純度もいっそう高まったわけですね。
それと『IMA:ZINE』の谷としての変化で言えば、これまでは編集者としてアウトプットばかりしてきましたが、もう一度地に足をつけて今を見るべきだと思いました。バイイングやディレクションという業務が中心だったので、本来であればまた違うことをした方が良かったのかもしれませんが、業務としても一回戻ることにしたんです。店頭立ちをして、もっとお客さんと関わりたいなと。他のスタッフにもバイイングや企画を任せながら、僕の手が離れる時間をお客さんとの時間に費やしていく。その時に出会った一人が、『ウンコちゃんの家具屋さん』の圭司。この歳になって新しい友だちはできないと思ってたけど、彼ともコミュニケーションを重ねることができたから、良い関係が築けたんです。業種は違うけど、久しぶりにザ・大阪なエエ人間に出会ったなって(笑)

谷 篤人
1978年生まれ、堺市出身。25歳の時にBEAMSでアルバイトを始め、関西プレスを経て東京に異動し、バイヤーを担当。名物バイヤーとして、数々のプロジェクトを手がける。2017年に退社し、大阪・中津のエディトリアルストア『IMA:ZINE』の立ち上げメンバーとしてジョイン。ファッションへの愛と自身の哲学、想いを込めた唯一無二のプロダクトを生み出し続ける、関西ファッションシーンのキーマン。
IMA:ZINE IG : @imazine_osk