人も服もミクスチャーが楽しい!大阪・上町のヴィンテージショップ『HELLO Darling』を営むセバルさんがファッションを通して伝えたいこと。
ドイツ出身の店主・セバルさんが営む『HELLO Darling』は、大阪・上町のシェアオフィスに入居するヴィンテージショップ。陽射しがさんさんと入る店内には、ヨーロッパを中心にさまざまな国からセレクトした古着や雑貨がギュッと詰め込まれています。今回は、くしゃっと笑った表情がとってもキュート、1度話すと惹きつけられずにはいられないチャーミングなセバルさんに、大阪に住み始めたきっかけや日本でヴィンテージショップを開いた経緯、母国であるドイツの民族衣装の魅力などを伺いました。海外から移住した人ならではの日本のファッションの魅力や、国を超えたミックスカルチャーの面白さを教えてもらえたインタビュー。お店を通して新しい自分を見つけて、ファッションを思い切り楽しんでください!
ノリと勢いで日本へ!これまで18年住んできた大阪は、私にとってセカンドホームのような存在です。
まずはセバルさんのルーツを教えてください。
クルド人のおじいちゃんがトルコでおばあちゃんと出会い、結婚して生まれたのが私の父です。1960年頃のドイツは、戦争後の復興のために他国からゲストワーカーをたくさん呼んでいて、おじいちゃんもその中の1人でした。まとまったお金ができたらトルコに戻るつもりだったみたいですが、いつしかドイツをホームだと感じるようになり、家族を連れてドイツに移住したんです。両親はドイツで出会い、私が生まれました。
ドイツには母国の民族を愛する文化が根付いていて、私はクルド人のバックグラウンドを持っていたため、当時はドイツの民族衣装にシンパシーを感じることができずにいました。だけど、ドイツを離れて初めて、民族衣装を純粋なファッションとして見ることができるようになったのです。『HELLO Darling』にはドイツの伝統的な衣装「トラフテン」を集めたコーナーがあり、民族的な背景を超えた第三者的な視点から、その魅力やストーリーを紹介しています。
少し複雑なバックグラウンドをお持ちなんですね。日本に住み始めたのはいつですか?
18年ほど前になります。だけど全然すてきな理由じゃなくて(笑)。大学を卒業した25歳くらいの時、付き合っていた彼氏と別れてしまって、「今はドイツにいたくない!」と勢いで日本へ来ました。たまたま日本語を学んでいる人たちのパーティーに行って、「日本ってとってもいいよ」という話で盛り上がったんです。その夜はかなり酔っ払ってしまって、勢いのままパソコンで勤務先に応募して、3ヶ月後には大阪に住み始めました。
そういう時のノリと勢いって万国共通なんですね(笑)。日本の数ある都市の中で、大阪を選んだのはどうしてですか?
単純に、勤務先の選択肢が大阪しかなかったから。東京にも何度も遊びに行ったしファッションのためにはいい場所だと思ったけど、人が多すぎるのもあって住むのはちょっと違うなと。実際にお店で接客をしていて、東京と大阪のお客さんは全然違うなと感じます。大阪の人は「ディスカウントして」と言ってくるけど、東京の人は「安いですね」と言ってサラッと買っていきます。でもそんな大阪人のおおらかなマインドも大好き。大阪は私のセカンドホームだと感じています。
日本ではどんな仕事をしていたんですか?
最初は『NOVA』という英会話スクールで2年ほどドイツ語の講師をしていました。それが夜の22時から朝の7時半までオンライン授業をするという、かなりハードなスケジュールで。どうしてみんなこの時間にドイツ語を勉強したいんやろって考えていました(笑)。目尻に最初のシワができたのもその時ですね。午前2時にドイツ語を勉強したい人がいるなんて、ドイツじゃ想像もできない世界です。
日本人のストイックさが現れていますね。その後はどうしたんですか?
ある時急に会社が倒産してしまって、新しい仕事を探さなきゃいけなくなったんです。ドイツに帰ることも考えましたが、当時はあまりお金を持ってなくて。ある程度貯まってから帰ろうと思い、大学時代に政治や歴史を勉強していた経歴を活かして、NPOで英会話教師として働きました。子どもたちに英語を教えていたんですが、今ほど日本語が喋れなかったからコミュニケーションを取るのが大変で、よく泣きながら家に帰っていました。そんな私を見た当時のルームメイトが「ストレス発散にスポーツをしてみたら?」と提案してくれて、ムエタイキックボクシングに通い始めたんです。そこで今の旦那さんと出会い、ドイツには帰らず日本で生きていくことを決めました。
旦那さんとの出会いも日本で生きる理由の一つになったと。そこからファッションの世界に足を踏み入れたきっかけは?
もともとファッション関係の仕事がしたかったわけではなく、自分がファッションを好きだと気付いたのも、ある程度大人になってからなんです。子どもの頃から作家やシナリオライター、ドキュメンタリーライターに憧れて、そのために政治や歴史について勉強していました。言語の壁もありましたが、自分が本当にやりたいことは英会話教師じゃないという思いもあって、お金のためとはいえ仕事を続けるのは精神的に辛いものがありました。
そんな葛藤を旦那さんに相談すると、「セバルがアンハッピーなら辞めた方がいい」と言ってくれて。自分が本当にやりたいことは何か、どんなことで心が動くのか、紙にたくさん書いて、書いて、書きまくりました。そうするうちに、大好きな叔母のことを思い出したんです。叔母とは年齢もそこまで離れておらず、私にとってビッグシスターのような頼れる存在でした。彼女は80年代のファッションやインテリアが大好きで、彼女の影響もあり、私もその年代のカルチャーに惹かれていたんです。やってみるならこれだと思い、堀江のヴィンテージショップで働いている友人に声をかけて、2018年に海外の古着や雑貨を扱う『HELLO Darling』をポップアップ形式でスタートしました。
Instagramのアカウント名に“pop-up”が入っているのは、ポップアップからスタートしたのが理由だからなんですね。何年くらいそのスタイルを続けたんですか?
大体2年くらいですね。当時はインテリアや雑貨のセレクトを私が、古着のセレクトを友人が担当していました。私たちの好きなものやファッションセンスは最初から異なってはいたのですが、セレクトする対象も違うし、私自身ファッションを通して何をしたいのかが明確になっておらず、しばらく続けることはできました。だけど、私も彼女に合わせていた部分があったし、彼女も私に合わせて妥協することが多くなっていったんです。互いに違和感を感じてはいましたが、遠慮もあって言い出せず、ちょうどコロナが始まったのと同じ時期に小さな店を借りることになりました。そこは窓のない小さなお店で、閉鎖的な環境と世の中の状況が重なって、息苦しさを感じることが多くなりました。それを打破するため、「これは私たちのやりたいこととは違う。それぞれ好きなことをしよう」と話し合い、2人での活動を終えることにしたんです。彼女は東京への引っ越しも考えていたこともあり、私が1人で『HELLO Darling』を続けるか、全部辞めてしまうのかの2択で決断を迫られることになりました。そこで改めて自分を見つめ直した際、「まだファッションのことをよく知らないまま終わりたくない」と感じたんです。これまで色んな人に助けられてきたし、1度は1人で挑戦してみようと。それから、自分がファッションを通して何がしたいのかを深く考えるようになりました。
そこで最初に感じたのが、太陽が差し込む明るい空間でお店をやりたいということ。今『HELLO Darling』が入居している上町荘は、建築家の方が運営しているシェアオフィスで人の出入りが多いし、窓もいっぱいあるからセバルにぴったりだと友人が紹介してくれて、お店をやってみることにしたんです。2021年のオープン当初は2階を借りていましたが、イベントがやりたかったこともあり、翌年から1階のスペースも使わせてもらうようになりました。2024年の3月くらいに大通り沿いにお店のドアを作り、より入店しやすい空間へとアップデートしました。ちなみにドアのデザインを担当したのは、『HELLO Darling』の隣にある『YAP』という設計事務所です。
Seval Guendogdu Iga(セバル・グンドクドゥ・イガ)
ドイツの伝統的な服のほか、ドイツとヨーロッパを中心に様々な国の質の良いアイテムを扱うヴィンテージショップ『HELLO Darling』のオーナー。メインは80年代〜00年代。トルコにルーツがある両親を持ち、25歳で日本へ。英会話教室などで働いたのち、ヴィンテージの服やインテリア雑貨を扱う『HELLO Darling』を友人と共にポップアップ形式でスタート。2021年に上町荘で実店舗を構える。
HELLO Darling
大阪市中央区上本町4-1-68 上町荘シェアオフィス 1&2F
12:00〜19:00
火・水曜休