国内外の新鋭カルチャーを発信する『STUDIO KUSHIKATSU』が神戸・元町にリニューアルオープン!感度の高いローカル達からも注目を集める新たなコミュニティスポットの魅力とは。

ショップは、その街のコミュニティの”顔”を象徴するひとつのパーツと成り得る。そこに行けば、その背景にどんなカルチャーがあるのかもわかるし、その場所を起点に共鳴する仲間たちから新しいクリエイティブな世界が派生していく。神戸は元町の中心地にリニューアルオープンした『STUDIO KUSHIKATSU』は、ダイニング・バー/ショップ/ギャラリーの3フロアで構成された新しいスタイルのコミュニティです。オープン間もなくから感度の高い人々が集まるスポットとしての存在感を発揮していて、多角的でインターナショナルなカルチャーを自由に発信しています。彼らのクリエイティビティを支えるもの、そして、オリジナルなカルチャーをもってコミュニティを作りあげた理由などについてお聞きしました。ちなみに『STUDIO KUSHIKATSU』という屋号ですが、串カツ屋さんではありませんので、あしからず。
『自分たちが作った場所で、それぞれがやりたい表現をやりたい』 そう思って、モチベーションに火が着いた。

まず『STUDIO KUSHIKATSU』がスタートすることになった経緯を教えてください。
Yohei:一番最初のきっかけで言えば、インターナショナルスクールから仲の良いメンバーで『なにか、みんなで面白いことやりたいな』って話してたのが一番最初かな。その時から『KUSHIKATSU BLDG』みたいな場所があったら面白いよなって話してて。
Ray:そう。『アートスタジオを兼ねたショップみたいなのをやれたらいいよね』って話してた。
Yohei:うん。自分たちが作った場所で、それぞれがやりたい表現をやりたいって。そんな話があってから、最終的なメンバーは俺とRayだけが残ることになるんですけど、そうなると余計に『絶対にやろう』『実現しよう』って、モチベーションに火が着いた感じ。Rayも自分のプロダクト『LOLA’S HARDWARE(ローラーズ ハードウェア)』の在庫の置き場所が自宅しかなかったし…(笑)
Ray:家に段ボールが溢れ帰ってた(笑)
Yohei:最初はRayも在庫をストックしておくための場所を探そうかなって言ってたんやけど、物置き場所だけのために家賃払うくらいだったら、もうショップをやろうって。そのテンションを維持したまま物件を探してゲットしたのが、以前の店舗ですね。
KUSHIKATSU以前から、Rayのプロダクト『LOLA’S HARDWARE』は稼働していたんですね。
Ray:うん。2017年からだから…自分が20歳くらいからスタートしました。
『LOLA’S HARDWARE』の成り立ちは?
Ray:ずっと日本とオーストラリアを行き来しながらスケートビデオを撮っていたんですけど、そのビデオを出す理由というか、スケーターがトリックをきめた動画をただYouTubeにアップするだけじゃなくて、もっと何か…自分たちを象徴するような、アイコニックなプロダクトを作って見せたいなって思って。

一番最初に作ったプロダクトは何でしたか?
Ray:最初に作ったのはビス(スケボーデッキとトラックを繋げるネジパーツ)です。だから『LOLA’S HARDWARE(ローラーズ ハードウェア)』が正式なプロダクトネームなんです。
スケボーのパーツからアパレルにも移行したんですね。
Ray:そう。『LOLA’S』を始めた当初は、俺はまだオーストラリアに居たんですけど、スタートしたはいいけど、その頃はまだまだネームバリューも無かったし、商品の数もそんなに多くは作れなかったので、身近な友達の間で着てもらっているくらいだったんです。でも、日本に戻ってきた時に神戸のスケボーショップ『SHELTER SKATE KOBE(通称:シェルター)』に入って、アパレルの生産やショップでの流通についての動き方を学びました。そこからはもっと真剣に『LOLA’S HARDWARE』を動かしていこうという気持ちになりました。
『KUSHIKATSU』をスタートした時、二人の間では『ここをどんな場所にしたいか』というイメ−ジも明確にありましたか?
Yohei:メンバーとして残ったのは俺とRayだけど、最初に居てくれた友人たちがアート作品をいくつも残してくれていたし、俺とRayが10代のクソガキだった頃から『SHELTER SKATE KOBE』の地下(通称:シェル地下)でオーナーの入塩さんに『俺らもここで何かやらせてください!』てアートショーをやらせてもらったりしていたから、そんな自由な表現が出来る場所が近くにあるのっていいなって。『STUDIO KUSHIKATSU』もそんな場所に出来たらいいなと思っていました。
最初の構想はアートギャラリーとしての活動がメインだったんですね。
Yohei:そう。シェル地下から受けた影響はやっぱり大きくて、自分たちがそこでアートショーをやらせてもらったのはガキの頃でしたけど、そこから自分たちも歳を重ねていって、今はちょうど先輩と下の世代との真ん中くらいの年齢に差し掛かってきて、俺たちが先輩から受けてきたことを、自分たちの下の世代の子たちにも渡せたらいいなと。Rayのプロダクトも含めて『STUDIO KUSHIKATSU』自体が自由でクリエイティブなスポットになれると嬉しいなって思って。


二人ともスケートボードカルチャーが背景にありますよね。
Yohei:単純に、当時通ってたスクールでスケボーがめちゃくちゃ流行ってたから、スケボーで遊ぶようになったんですよ。
Ray:そうそう。俺も友達に初めてスケボーパークに連れていってもらって、その世界と遊び方を教えてもらったのがきっかけだね。そこからどんどんハマっていって。でも始めた当初はほんまにヘタクソだったし、めっちゃスキルあるスケーターとか見たら『おー!スケーターってこんなすごいんや!』『こんな動きできるんや』って感動して。巧い人からトリックを習いたかったから、俺らは英語が喋れるし『じゃあ英語教える代わりにスケボー教えて』て、仲間が出来たりして楽しかった(笑)。フィルミング(スケーターのトリックやライディングをビデオカメラで撮影・編集して映像作品として公開する)のやり方もそこで教わって。
素敵なギブアンドテイク(笑)。二人は神戸がローカルでもあるけど、インターナショナルなバックボーンを持っているし『STUDIO KUSHIKATSU』に集まってくるカルチャーもかなりワールドワイドですよね。
Yohei:国内だけじゃなく、海外のスケーターやアーティストの友人が神戸に来たときにも『STUDIO KUSHIKATSU』が一緒に遊べるスポットになっていってくれたら面白いですよね。ギャラリーではアートに限らずアパレルのポップアップでも良いと思うし、1階は飲食スタイルだからFOODイベントも出来る。敢えてジャンルやカテゴリーを限定せずに、いろんな特技や表現を持った人たちといろんな遊びが出来たらいいと思います。いま3階で展覧会をやってるTUNABU(tunabu_dope)はアートもやるけど料理も出来るから、1階では一緒にキッチンに入ってそれぞれの料理を提供したり。
そういうの、めっちゃ楽しいですね。ジャンルやカテゴリーだけじゃなく、表現のスタイルも自由でいい。何なら特定の肩書きなんて別にいらない、というくらいのフレキシブルな感覚が。
Yohei:そう。本当に『何でも出来る場所』ってそうだと思うから。
1階のダイニングフロアを動かしているのはYoheiだけど、料理が好きになったきっかけは?
Yohei:うーん…何だったかな?友達がもともと料理をやっていたから、その彼からの影響は確かにあったのかも知れない。でも自炊も好きでやっていたし、いろんな仕事をやってきたけど、やっぱり飲食関係が楽しかったんですよね。自分にすごく向いていたというか。アパレルの世界でも働いたことがあるけど、料理ってやっぱり『手に職』というだけあって、あの独自のフィジカルワークが自分にとっては楽しいですね。『料理』という作品のスタートから完成までを自分でコントロール出来るのも面白いし、例えば『野菜から育てる』みたいな、ゼロから関われるのもこの世界の面白いところだと思うし。


農業にも興味があるんですか?
Yohei:おばあちゃんが田舎でずっと農業やってるんですよ。さすがに農業はまだ自分がコミット出来る領域ではないけど(笑)。その日その日の食材を買うところから、それをどう完成させるのかっていうプロセスが楽しいです。15歳くらいから飲食系のアルバイトをやっていたんですけど、その頃は正直あんまり楽しさを見出せなかった。でも、一周して改めて好きな世界になりました。それはやっぱり、周りに飲食店をやっているかっこいい先輩がいてくれたからっていうのは大きいです。お店をやること、料理を作ることの楽しさを教えてくれたから。
リニューアル前の『STUDIO KUSHIKATSU』も、知る人ぞ知るスポットとして面白かったけど、改めて移転をしようと思った理由は?
Yohei:俺がずっと飲食のお店をやりたかったんですよ。一度、Rayと自分は別々でやろうかって話も出たんですけど、物件を探しているタイミングで3フロアをまるごと使える一棟貸しのこの場所が見つかって『ここで全部出来るやん』で、即決しました。Rayは奥さんもオーストラリア人で、彼の本当のホームもオーストラリアだから母国を恋しく思うだろうし、いつまで日本に居るかわからない。だから、Rayと一緒に居るあいだに『STUDIO KUSHIKATSU』の足場をしっかり固められたら、その後の状況がどうなっても自分が主体となってこの場所を守っていけるって思って。ここはRayと俺の二人で始めたことだし、ちゃんとビジネスとしての将来性も考えてはいるけど、大切な家族のケアは何より大事だから。
確かにこれはビジネスではあるけれど『STUDIO KUSHIKATSU』をスタートした理由も『次世代や表現の場を求めている人たちの活躍の場に』と言っていたし、二人の関係性のなかでも、家族のケアを一番大切に思っていたり、ビジネスライクな関係よりフレンドシップやファミリーとしての意識が根底にあることが感じられて素敵です。
Yohei:うん、本当に、それが一番大事。
『LOLA’S HARDWARE』は、これからどんな展開を考えているの?
Ray:いま以上にもっと海外のシーンを攻めたいですね。『LOLA’S HARDWARE』は、今は日本から発信しているプロダクトというのもあるから、まずがアジア圏に広がっていってくれたら。それからアメリカとかヨーロッパにまで広がっていけたら嬉しいですね。それがいまの目標。
実際にアジアのローカルショップでのポップアップもされていますけど、どうやって縁が繋がっていくんですか?
Ray:現地のスケーターやショップと繋がった流れで、というのが多いかな。そんな感じで、その国のローカルコミュニティの仲間と繋がって展開できるスポットを広げたいです。
二人は英語が話せるから言語の壁も無いし、何よりスケーターは世界中にいる。『スケーターズ カルチャー』という共通項をもって、繋がろうと思えば本当に世界中と繋がれますよね。
Ray:うん。それは本当にそう思う。


STUDIO KUSHIKATSU(スタジオ クシカツ)
海岸通りエリアから、2025年5月31日に元町の鯉川筋沿いにリニューアルオープン。立ち飲みスタイルのダイニングバーを入り口に、ショップ、ギャラリー/ポップアップスペースの3フロア構成で多角的なカルチャーを発信する神戸の新たなコミュニティスポット。国内外の新鋭アーティストの展覧会やアーティストとのプロダクト展開も人気。営業日やイベント情報はInstagramをチェック!
Instagram:@studio_kushikatsu
Instagram:@lolas_hardware