K-POPアイドル志望からお笑いの世界へ。いつだって負けず嫌いでストイック、松竹愛に溢れるピン芸人・くわがた心さんに宿るホットスピリット。
先輩のアドバイスを受けて、自分の個性を生かしたネタ作りを。大舞台の決勝を経て、意識がガラッと変わりました。

芸人としてやっていくために、何か努力したことはありますか?
今はコントが軸ですけど、1〜2年目はモノマネを交えた漫談をメインにしていて。CMの英語の発音とか百貨店のアナウンスとか、親がめっちゃ笑ってくれるんで小さい頃からモノマネはずっとやっていました。養成所1年目でモノマネの授業があって、地元の高槻にある百貨店の聞き取りにくいアナウンスを作家さんの前でやってみたら、「ベタではあるけど今後もやっていくべき」と言っていただいて、漫談でモノマネをするようになりました。当時は常にアンテナを張って、とにかく人を観察しながら街を歩いていましたね。電車に乗ってもスマホを見ず音楽も聴かず、人の癖を観察してネタ作りのヒントを探していました。
あと、これは努力とかじゃないかもだけど、隙あらば喫茶店に行ってネタを書く習慣をつけました。前は1人で書いていたけど、今は誰かと一緒に書くのがスタンダードで、最近は後輩のアーモンドスーツ・三明風生(みやけぶい)くんと書くことが多いです。彼は大喜利も強いし、ネタの嗅覚も信頼していて、このくだりどう思う?という相談もめっちゃします。去年の『THE W』決勝に出場した吉本の同期のやましたともよく一緒にネタを書きますね。
やましたさんと仲がいいと他のインタビューでもお見かけしました。
各々の都合がいい場所で一緒にネタを書いています。私が角座で出番がある時は心斎橋まで来てもらうし、やましたが難波で出番がある時は私が難波へ行くし、お互いの家の近くで書くこともあります。彼女とは友達であり良きライバルであり、いつも刺激をもらう相手です。今すごく勢いがあるので、負けないようにしなきゃとも思っています。

芸人になって想像してなかった苦労はありますか?
電流はマジで無理です。私めっちゃビビリで痛がりなんですけど、容赦なくビリビリくるんですよ。番組の企画でチーム戦のクイズをやって、間違えたら連帯責任でイスに電流が流れる罰ゲームがあったんですが、下から鞭を打たれたみたいに強い電流が流れて。最初はボケ倒していたんですが、途中から本当に痛くてテレビ的に良くないリアクションをしてしまって……。そのOAは見れなかったけど、カットされてる可能性もあります。お風呂に入ったらちゃんとアザになっていました。
最初の方のお話と少しかぶるんですけど、「かわいくてネタ入ってこうへんわ」とか言われてた時は、めちゃくちゃ悔しかったです。お笑いの世界って男社会やから舐められたくなくて、「かわいい」って言われたら負けやと思っていましたね。今は事実やと思って受け入れて、そこも個性や長所として活かせるようなネタを作っています。去年『NHK上方漫才コンテスト』の決勝にいかせていただいたのも、自分のルックスを裏切る展開を落とし込んだネタがきっかけですし。
コンプレックスを感じていた自分のルックスを長所に変換していったと。
これは紺野ぶるまさんの教えなんです。『R-1グランプリ』の芸歴制限が10年未満に変更になった時、ぶるまさん扮するR-18(アールワンパチ)先生が、後輩のネタを見てアドバイスをする「R-1グランプリへの道」という松竹芸能のYouTubeチャンネルがスタートして。直接私に言われたことではないのですが、自分の見た目や特徴は活かしたほうがいいという言葉が印象的だったんです。ぶるまさんは芸歴10年以上なので急にR-1への道が閉ざされて、精神的にもキツかったはずなのに、真摯にネタを見て意見をくださいました。それ機に、私もR-1グランプリの予選を見に行くようになったんですが、吉本のピン芸人・真輝志さんがご自身の手足の長さを生かしたネタをしてはったのが印象的で。ぶるまさんがおっしゃっていたのはこれかと合点がいったんです。そこから自分のルックスや特技であるダンスとモノマネを生かした、より私らしいネタ作りを意識するようになりました。当時はまだ芸歴も浅くて、ぶるまさんの意見を理解しきれていない部分も多かったんですが、今になって「あの時言ってはったんはこういうことか」という答え合わせができているように思います。本当にありがたい企画でした。
先輩芸人さんとの交流も多いんですか?
ガクテンソクさんが上京前にFM宝塚でラジオパーソナリティーをしていて、私はアシスタントとして2年ほどお世話になっていたんです。今考えるととんでもないことですけど、冒頭で私がネタを披露して、お2人からダメ出しをいただいてまして。NHKの決勝とかR-1の予選の動画も送らせていただいて、ダメ出しやアドバイスをしてくださっていました。
1人で考えず、誰かにアドバイスを求めることも多いんですね。
脳みそ1つで考えるより、アドバイスを求めた方がいいのかなって。1人でネタを書いていると、どうしても思考が固まって偏りが生まれてしまうんです。そうならないために、誰かの意見を求めることは大切にしていて。ぶるまさんやガクテンソクさんの意見は素直に聞きますし、めちゃくちゃ勉強させていただいてます。
その素直さもきっと、くわここさんの強さなんでしょうね。
後から知ったんですが、私が賞レース前にネタ動画を送って意見を聞いていた時、ぶるまさんは妊娠してらっしゃったみたいなんです。めっちゃ長文でアドバイスをくださるし、夜中に何ラリーもさせていただいて。申し訳ないと思いながらも、結果で返すのが一番の恩返しなのかなと。そのためにも頑張りたいと思っています。

昨年の『NHK上方漫才コンテスト』では、松竹芸能から13年ぶりの出場ということで話題になっていました。事務所を背負っている気合いみたいなものはありましたか?
まさに「いけると思ってませんでした」状態で。まさか自分が決勝に進めると思ってなかったので本当にびっくりしました。テレビでよく見る芸人さんの中に自分がいる、自分はこの強い人たちと一緒に戦っていくんだと強く思って、そこからガラリと感覚が変わりました。
決勝にいけてラッキーっていう思いもあったけど、大会が終わってめちゃくちゃ悔しくなったんです。決勝翌日は顎が痛くて目覚めたんですが、寝ている間に歯を食い縛りすぎてたみたいで。顎が痛くて目覚める生活が数ヶ月続きました。今はマウスピースを買ったのでマシなんですけど、自分で思っている以上に悔しかったみたいですね。自分はこの人たちに勝たないといけない、そのためにもっと強いネタを作らなきゃいけない。そんな風に考えて、以前よりもっとネタのクオリティを意識するようになりましたし、マネージャーさんや社員さん方への感謝の思いも変わりました。受け身じゃなくマジで勝ちにいきたい、『R-1グランプリ』も獲りたいっていう思いがどんどん強くなりました。
決勝の舞台は、普段立っている劇場と違っていましたか?
全然違いましたね。角座はお客さんとの距離感が近くて芸人の数も少ないけど、お隣の吉本興業はもっと大きな劇場があって芸人がわんさかいて、決勝に残る人はその大勢の中でも選ばれた精鋭で。その人たちと戦っていくとなると向き合い方が全然違ってくるな。最近は『ytv漫才新人賞』の決勝に松竹で初めて進出したオーパスツーさんっていう先輩もいらっしゃるけど、向こうはそんな人たちがたくさんいる。本気でお笑いに向き合わないと絶対に勝てないって思いました。
お笑いの世界の厳しさを実感して、これから戦っていく覚悟ができたと。
マウスピースが破れるくらい歯を食いしばらなあかんのやと思いました。

くわがた心
2001年生まれ、大阪府出身。2024年の『第54回NHK上方漫才コンテスト』決勝進出。今年1月に開催された『第25回新人お笑い尼崎大賞』で大賞を受賞。情報番組『ゆうドキッ!(奈良テレビ)』のリポーターや釣り番組のレギュラーとしても活躍中。フルマラソンに挑戦するなど、体力にも自信あり。
YouTube:@kuwakoko923