ジャパンヴィンテージの魅力を伝える大阪・枚方の古道具とコーヒーのお店『ダーマトグラフ』で聞いた、知るほどに奥深い木彫り熊のロマン。
木彫りの熊には色んな彫り方やポージングがあって、とってもバリエーション豊か。どれも唯一無二の魅力を持っています。
八雲町の木彫りの熊はブランディングがすごいですね!農村美術からスタートし、“北海道の木熊のお土産”の礎となる八雲ブランドを確立させたわけですね。
東真:八雲町のブランド確立の裏には、八雲町の人々の活躍が不可欠だったわけですが、『熊彫図鑑』では、八雲町民の中から「八雲エイト」と呼ばれる8人の作家を紹介していて。作家さんの特徴や人生を紐解くことで、木彫り熊の歴史を辿っています。なかでも1番有名なのが、柴崎重行さんという木彫り熊作家です。
お名前を聞いたことがあります。
東真:彼は1905年に八雲町に生まれ、農業をする傍ら木彫りの熊の製作に従事していました。製作を続けるうち、より抽象的に熊を表現したいと考えるようになり、手斧で割った面を主として彫る“ハツリ彫り”という方法を編み出すんです。ハツられた自然な割れ目が織りなす表情は、木を熟知していなければできない手技の領域で、毛彫りをメインにしてきた八雲の木彫り熊のスタイルとしてはかなり斬新なものでした。
なるほど。そんな風にたくさんの作家さんが登場して、さまざまなスタイルを確立していったんですね。
東真:近年木彫りの熊の注目度が高まっていることもあり、熊彫り作家さんが増えて嬉しいのですが、「八雲エイト」の贋作のような作品も多くて。オークションサイトで高値で落札して、結局贋作だったという人もいるみたいです。
本物かどうか見極めるのって難しそうです。ちなみに正岡さんが好きな作家さんもいらっしゃるんですか?
東真:たくさんいますが、現代作家さんである増田さんの熊を紹介させていただきます。八雲町に木彫りの熊と本を扱う『kodamado』というお店があります。当時88歳だった増田さんがそのお店に偶然訪れたことで、増田さんの作品の存在が明らかになったそうです。
とても愛らしい顔の熊ですね!体勢もユーモラスです。
東真:聞くところによると、増田さんは長らく鳥の木彫りを趣味で作っていて。84歳の時に八雲町民が受けられる木彫りの熊の講習に参加して、そこから木彫りの熊を趣味で作り始めたそうです。増田さんの家のガレージにはこんな唯一無二の熊がたくさん並べられていて、『kodamado』さんのお誘いで作品をお店に置き始めたところ、たちまち人気作家となりました。僕たちもすぐに『kodamado』さんでスタンダードな「這い熊」を1匹お迎えしました。
すてきな熊ですね。私もほしくなります。
東真:それが残念なことに2022年に亡くなってしまって……。亡くなられる約6ヶ月前、『大阪熊の陣』という、熊彫図鑑の東京903会プレゼンツの⽊彫り熊の即売会が阪急メンズ館の1階で行われたんです。オープン前から130⼈ほど並んでいて、僕らは30番⽬くらいだったのかな。増田さんの熊も販売されたのですが⼀瞬で売れちゃいました。それでもなんとか⼿に⼊れることができたのがこの写真の熊でした。
有加里:行列に並んでいる時、会場には増田さんの熊が数十体見えてはいたのですが、気になっていたこの振り返り熊が奇跡的に残ってくれていたのでとても嬉しかったです。
東真:そのイベントでは「⼋雲エイト」が作ったヴィンテージの熊もたくさん販売されていました。もちろん、アイヌの熊も。それなりな価格の熊がびっくりするほどのスピードで売れていくんですよ。一番前に並んでいた女の子が、目玉商品の熊をさらっと購入したり……。この争奪戦の盛り上がりは、異常な熱さがあったと記憶しています。もう、フェスの熱気以上!
木彫りの熊業界は大変なことになっているんですね。店内を見ていると、思った以上に色んなポーズの熊がいることに驚きました。
東真:よく見る4足歩行のものは「這い熊」。座っているものは、子どもや動物などに対し愛らしい気持ちで使う、座る=“おっちゃんこ”という北海道の方言から、「おっちゃんこ熊」と呼ばれることも。ゴルフをしている熊や楽器を弾いている熊など、擬人化された熊も人気があります。海外の文化が入ってきたことで、多様な熊が制作されるようになったみたいです。
(左)正岡東真、(右)正岡有加里
東真さんはムービーの撮影・編集をしつつ、古道具のバイヤーや空間スタイリングを担当。有加里さんはスチールカメラマン、グラフィックデザイナーとして活動。1960〜90年代のジャパンヴィンテージを主にデッドストックにこだわってセレクトするショップ『ダーマトグラフ』を運営。関西きっての木彫りの熊ラバー。
DERMATOGRAPH (ダーマトグラフ)
大阪府枚方市星丘4-16-29-1
11:00〜18:00 (日祝13:00〜)
不定休