大阪で商店、兵庫の山奥で宿泊施設!『Clan2F』の豚座大輝さんがカタチにした、人に喜びと豊かさを届けるための2拠点式の接客スタイル。
選択肢のある人生じゃなかったし、言われるがまま流されて、迷子にもなってきた。でも、そのおかげで出会えたのが、アパレル販売員の仕事だったんです。
豚座さんは但東町で生まれ育ったわけですが、大阪に出てくるまではどんな毎日を過ごしてたんですか?
小学校からバスケを始めて、けっこうガチで頑張ってたんですよ。趣味的なもので言えば、アクアリウムかなぁ。田舎だから田んぼとかに行くとザリガニやタナゴがわんさかいて、よく捕まえてたんですが、そのうち飼うようになり、どんどん水槽が増えてました。そこから熱帯魚に興味が移って流木や水草とかにもこだわり始め、水槽の中で1つの世界を表現していくことにハマったんです。自分の小遣いで少しずつ買い集め、メタルラックにズラッと水槽が並んでましたね。
そういうインテリっぽい趣味もあったとは(笑)。でも、アクアリウムも表現や演出の1つだから、実はスタイリングや内装といった今の仕事にも繋がってますよね。当時、何かしたいことや夢とかはあったんですか?
特に何も考えてなかったですね。中学校の時はやんちゃし過ぎて、先生から「お前はここの高校しか行かれへん。頭も良くないから、この高校なら体も動かせるし、ここ行け!」って感じで。言われるがまま工業高校に進学したので、建築土木を学びながら、フォークリフトやショベルカーなどの小型車両系建設機械の免許は取得できたんですよ(笑)。まぁ、将来役に立つとは全然思ってませんでしたけど。ただ、バスケだけは真面目に続けてました。
導かれたというか、選択肢がなかったと。でも、そんな特殊な免許も持ってたんですね。建築土木を学んでたなら、今となってはめちゃ役立ってるじゃないですか。
まぁ、素人の方よりかは多少の知識のベースはありますけどね。当時は建築土木の道に進むつもりはなかったですし、手に職をつけたくて料理人になりたいと思ってて。しかも栄養士の資格を持った料理人になりたいと漠然と考えてたので、資格が取れてバスケもできる大学を探したんですが、先生からは「大阪のここしかないわ。だから、ここ行ったら?」って。
バスケは必須やったんですね。でも、その時には豚座さん自身の目標は定まってたと。
バスケは大好きなので優先事項でしたが、料理人になることが明確な目標だと自信を持って言えるほどではなかったかなと。高校も大学も選択肢は1つでしたし、先生に促されて決められた道を進んできた感じだったので。ほんまに人生の迷子だったんですよ。
人生の迷子ですか…。そんなバックボーンがあったとは知りませんでした。
でもね、大学時代も迷子になってるんですよ…僕は(笑)。右も左も分からない状態で大阪に出てきたんですが、その時唯一頼れる存在だったのが、高校の先輩である『カジュアル割烹iida』のヤスオさん。昔からよく可愛がってもらってて、大阪でもいろんな人やお店を紹介してもらってました。その中の1つにセレクトショップの『ロフトマンコープ 梅田』があるんですが、僕もちょくちょく通ううちに稲葉さん(現『Ii』)から「うちでバイトしてみない?」と誘われたんです。それで「え!?じゃぁ…、はい」って感じで(笑)
アパレルの道に入ったのは、そういう流れで。誘われるがままというか(笑)
買い物に行く場所から、まさか働く場所になるとは。自分でも驚きでしたね。今まであんまり選択肢のある人生じゃなかったし、言われるがまま流されて、迷子にもなってきましたけど、そのおかげで出会えたのがアパレル販売員の仕事。最初は人に喋りかけるのも怖かったですし、田舎者だから人見知りもありましたが、慣れてくるとすごい楽しい仕事だったんです。当時はバーでもバイトしてたんですが、学業と販売員に集中するために辞めて、大学卒業後はそのまま社員になりました。もちろん、栄養士の資格はちゃんと取ってます。
迷子になってたとしても、出会えてるからいいじゃないですか。アパレル販売員の仕事は、どの部分に楽しさを感じたんですか?
まだ若かったですし、当時は店頭に立ちながら友だちを作ってる感覚が楽しくて。働くうちに「おう!」って感じで声かけてくれる人も増えて、飲んだり遊んだりする友だちも増えていったので、好みや趣味嗜好を共有できるアパレル販売業はいい仕事やなと。社員にもしていただけましたし、『ロフトマンコープ 梅田』では学生バイトも含めて5年間お世話になりました。
確かに、趣味嗜好が合う人と出会いやすい仕事ですよね。ノリの部分でもシンクロできると、お店以外での付き合いが増えるのも納得。
接客の根底的な部分はすごく勉強させてもらいました。今、自分のお店を持ってますが、ロフトマン時代から来ていただいてるお客様も多いですし、10年以上のお付き合いの方々が大半です。商売をする上だけじゃなく、豚座大輝として生きてる中でも助けてもらってるのは、ロフトマン時代の方が多いんですよ。
販売員とお客さんを超えた関係が築けてるって、素敵じゃないですか!
僕の中では人との関係構築の大切さを実感してたので、その感覚を持って『IMA:ZINE』に転職しました。でも、自分の当たり前が当たり前じゃなかったし、アパレル販売員や接客業の概念をいい意味で破壊していただけたんです。
どんな体験があったんですか?
代表の岩井さんやディレクターの谷さんがすご過ぎて、異次元の人と話してる感覚というか、最初はまるで英語を聞いてるような感覚でした。洋服の知識やその背景の話など、自分とは比べものにならなくて、何を言ってるのか理解できないレベル…。毎日ついていくのに必死だったし、その中で自分ができるのは接客しかないと思って食らいついてたんです。ただ、その接客においても、岩井さんや谷さんからは「常に考えろ」と言われ続けてて、まず考えることで物事の整理ができ、しっかりと言語化して伝えることができる。接客業はもちろんですが、人としてのすごく本質的な部分を教わることができたと思ってます。
経験値や知識量は積み重ねて身につくものですが、考えることは今すぐにできますもんね。『IMA:ZINE』でのその経験は、豚座さんの中ではかなり大きかったと。
めちゃくちゃ大きいです。今考えると、当時は人と話すことが当たり前にできてなかったのかもしれません。今回の取材でも自分の想いなどを言葉にできてるのは、『IMA:ZINE』で働いた3年間があったからやなと。
なるほど。では『IMA:ZINE』卒業後に、独立したってことですか?でも、アパレルではなく、なぜ宿泊施設を始めたのかが気になります。
何ができるか、何がしたいかをずっと考えてたんですが、自分自身には何もなかったんですよ。接客できてたのは服があったおかげですし、そこに服がなければ接客すらできない。自分は何も生み出せてなかったんやなと気づきました。それで、改めて接客する上で大事にしてたことを考え抜いたんです。
そこで辿り着いた答えとは?
シンプルなんですが、やっぱり人に喜んでもらうことがしたい。今まで接客を通じて自分が実現できたことだと思ったのが理由です。そして、人に喜んでもらうことの最高峰って、宿泊でのおもてなしをすることじゃないかなと。ずっとメンズ服を販売してきたからお客様は男性が多かったですし、家族連れの方はどうしても付き添ってる感があったんです。でも宿泊施設なら、家族みんなが喜んで楽しいことも共有でき、自分らしいおもてなしのスタイルを実現できるんじゃないかなと思いました。地元の美味しいごはんも提供して、自然も体験してもらい、但東町の魅力をしっかりと体感してもらえる。そこに服や雑貨があってもいいわけですし。
豚座さんがフルサービスで接客する空間ってことですね。
まさに、1泊2日丸ごと接客させてください!って感じです。
1泊2日丸ごと接客って、いいですね。宿の場所はどうやって見つけたんですか?
元々は、親父の実家だった場所なんです。豚座家が代々150年くらい受け継いできた日本家屋で、親父が早くに亡くなってからはずっと空き家状態になってて。人に喜んでもらうことがしたいと考え抜いた時、自分の中にあるリアルなものはこの建物と田舎だけだったので、ここで宿泊施設を立ち上げて大阪のお客様を呼ぶのが最善だと思ったんです。
実家の建物も喜んでるでしょうね。そこから内装も自分で行い、オープンしたと。
費用をなるべく抑えるために高校時代に勉強した建築土木の知識を呼び戻しながら、コツコツと改装していきましたね。宿泊施設もある程度完成してお客様を迎えられる状態になった頃、元『IMA:ZINE』の稲葉さんが独立してお店を始めることになり、「大輝、一緒にやろや!」と誘っていただいたんです。神戸市垂水区にある『Ii』というお店で、店頭での接客が楽しいことは分かってましたし、1人で宿を続けていくことの不安も多少はあったので、立ち上げから参加することに(笑)
但東町の宿はどうしたんですか?(笑)
もちろん続けてますよ。一旦は『Ii』の別事業というカタチで統合し、僕は店頭での接客と宿での接客、さらに内装業もしながらって感じで。大きな会社ではこんな自由過ぎる動き方はできないから、スタートとしては理想的だったかなと思います。そして、2023年2月に『Ii』を卒業し、完全独立で宿の運営と内装の事業にシフトしていったんです。
豚座 大輝
1991年生まれ、兵庫県豊岡市但東町出身。『ロフトマンコープ梅田』、『IMA:ZINE』を経て独立し、地元の但東町に『KOBUTA HAUSE(現dim store/オモテ)』を創業。その後は兵庫県垂水区のセレクトショップ『Ii』の立ち上げにも参画しつつ、現在は自身の事業である宿泊施設の運営と内装業に専念。2024年4月6日に、但東町の魅力を発信するための大阪の拠点として、『Clan2F』をオープン。商店的なスタイルで衣食住の側面から、人生を豊かにするためのコンテンツを自ら店頭に立って伝えている。4人の子どもを持つ、ビッグダディな一面もあり。
Instagram: @clan_2f_osaka
Instagram: @dim_store._omote_