魑魅魍魎が跳梁跋扈!商店街が妖怪色に染まる「百鬼夜行」を率いる、河野隼也さんの尽きぬ妖怪愛。
北野天満宮から南へ徒歩5分、京都市上京区にある大将軍商店街。ふだんは地元の人が行き交う静かな商店街が、多くの人であふれかえる一日があります。それが、百鬼夜行を現代によみがえらせたかのような妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」。2005年に商店街活性化を目的に第一回が開催されたこのイベントは、回を重ねるごとに注目度が上昇。国内外から多くの来場者が詰めかける、京都名物ともいえる超人気イベントになっています。仕掛け人は、妖怪造形家・妖怪文化研究家として活動する河野隼也さん。小さな商店街を妖怪でここまで盛り上げた河野さんとは、いったいどんな人なのか。4月20日(土)のイベント開催を前に、大将軍商店街にある「百妖箱」にお邪魔してお話を伺ってきました。果たして、百鬼夜行を率いる河野さんの正体とは。
それまでファンタジー世界のものだと思っていた妖怪が、実際に歴史や文化の中に存在しているっていうのがけっこう衝撃的で。
まずは、河野さんが妖怪に興味を持ったきっかけからお聞きしてもいいでしょうか。
ほぼすべての子供がそうだと思うんですけど、「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメがきっかけです。僕のときは多分、第3シーズンだったかな。鬼太郎は第6シーズンまであるので、だいたいの世代の人が1回は通ってますよね。それと、家に水木しげる先生の妖怪図鑑があって、それを見て興味を持ったのが最初です。
妖怪図鑑はどなたが購入されたんですか?
多分、親が買ったんだと思います。本はアニメと違って、けっこうリアルなんですよ。それを見て、アニメと違う!と思って。
小学生ぐらいの時ですか?
もっと前、幼稚園に入るか入らないかぐらいの頃ですね。普通はある程度の年齢になったら卒業していくものですが、僕は卒業せず、今に至るまでずっと好きなままっていう感じです。
鬼太郎で妖怪に出会い、そのままずーっと妖怪好きが続いているんですね。
それともうひとつ、子供の頃の水木しげる先生を主人公にした『のんのんばあとオレ』っていう漫画があるんですよ。のんのんばあっていう拝み屋のおばあさんが水木少年に妖怪のことを教えてくれるっていうお話なんですけど、それがNHKで実写ドラマ化されていたんです。妖怪が出てくるシーンだけアニメーションの合成なんですけど、それがすごく好きで。鬼太郎よりも、このドラマがきっかけでより妖怪を好きになっていきました。
私も好きで見てました(笑)。30年ぐらい前にやっていたドラマですよね。
そうです。鬼太郎にいまいちのれなかったのは、妖怪が出てくるのは好きなんですけど、悪い妖怪と戦うバトルアニメじゃないですか。ドラゴンボールとか北斗の拳とかに比べると、砂をかける婆さんのバトルってそんな盛り上がらんなと思ってたんです。でもドラマは、鳥取の片田舎が舞台で、実際に妖怪がいるってことをおばあさんが教えてくれるから、子供心にも「妖怪見えるかもしれへん!」って思えたんです。
たしかに、アニメよりドラマのほうがリアリティがありますもんね。
高校生になると、『魔界京都』みたいな本を読むようになりました。京都にまつわるこの手の本はたくさんあって、この場所でこういうことがありました、みたいな話が残ってたりするんですね。それまでファンタジー世界のものだと思っていた妖怪が、実際に歴史や文化の中に存在しているっていうのがけっこう衝撃的で。自分の住む街にもこんな話があるんだということを知って、ちょっと見方が変わりました。
なんとなく古の京都には、妖怪がいても不思議じゃない感じはあります。
京都は、大河ドラマとか歴史上の人物にからめたイベントとかはよくあるんですけど、ある意味、裏の歴史物語である妖怪を取り上げたものはなかったんです。大学時代に、京都で妖怪にまつわるイベントができないかと考えていた時に、たまたまこの商店街の妖怪仮装行列を知って。最初は、取材に来たんです。
取材で来られたんですか?
そうなんです。大将軍商店街が妖怪で町おこしをするという記事を見て、取材に来てみたんです。
てっきり河野さんが最初の企画から立ち上げたんだと思ってました。
商店街の人たちが活性化の企画を考えているときに、歴史に詳しい人が「ここは昔、百鬼夜行といって夜中に妖怪が通った話があるねんで」って教えたらしいんです。それで、妖怪で町おこしをしようってことになったみたいです。
でも、取材に行った河野さんがなぜ、がっつり関わることになったんですか?
いざ来てみたら、妖怪に詳しい人が誰もいなくて。手伝ってくれっていわれて、学生ながらなんとか一条百鬼夜行をカタチにしたっていう感じですね。
巻き込まれたんですね(笑)
商店街がイベントやりますと発表したのが7月で、僕が取材に行ったのが9月の終わりぐらいだったんですけど、10月にイベントやるって言うから、衣装とか大急ぎで作りました。
河野さんが取材に来なかったら、どうなっていたのか、考えると怖いですね。その当時は、大学で何を専攻されていたんですか?
芸術系大学の観光学科で、デザインの力で町おこしをするとか、そういうことを学んでました。僕の師匠にあたる先生が、世界遺産とかの研究をされている方なんですけど、めちゃくちゃアニメ好きで。「絶対に日本のアニメは海外で文化として扱われて重宝される時代が来る」って言ってたんです。それを聞いて、アニメがいけるなら妖怪もいけるやろうって(笑)。こういう妖怪話も地域の文化資源だから、それを生かして地域を盛り上げることが今後は大事なんじゃないかなって当時から考えてました。
まさに、観光×妖怪を実践できる場に巡り会ったんですね。大学時代から、妖怪を仕事にするイメージを持っておられたんですか?
僕は妖怪が好きで、かつデザインとかアートにも興味があって、2足の草鞋をどうやったら履けるのかなと思っていたんです。芸術系大学の観光学科なら、文化研究という名目で妖怪の研究もできるんじゃないかと思って入学しました。実際には妖怪に詳しい先生は1人もいなかったんですけど、僕の師匠の先生だけは詳しくはないけど理解があって、いろいろなところに連れて行ってくれたので、それはすごく自分にとってプラスになりました。
いい先生と出会ったんですね。その先生がいらっしゃるから、その大学を志望されたとか?
いや、それは全くの偶然で。実はその学科は、本当は別の人が担当する予定だったらしいんです。でもその人が連絡つかなくなったから、代わりに先生が来たみたいで。噂ですけど。
河野 隼也
京都市伏見区出身。妖怪造形家、妖怪文化研究家、「妖怪芸術団体 百妖箱」代表。幼い頃から妖怪に惹かれ、大学では妖怪を観光資源とした町おこし企画などを研究。「一条百鬼夜行」「嵐電妖怪電車」「伏見妖怪酒祭」「三井寺妖怪ナイト」など、妖怪にまつわるさまざまなイベントを手掛ける。
現在、怖いモノを見た。幽霊に出会った。あれは妖怪だったのか。オチはないけど不思議な体験をした。など「怖い話」を募集中。あなたの 怪談 聞かせてください